第21話 総理暗殺
2000人の大乱闘、半グレの逮捕―。
ここからもヘリの音が騒々しく聞こえてくる。
不破勇太の事件を思い出す。
二度も続けて、重大な事件の渦中にいる自分の立場。
警察署内の、白く無機質な取調室の壁。
事件発生から、およそ2時間弱が経過していた。
不思議なもので、自らクビを突っ込んでおきながら、有働には実感がなかった。
何か遠い出来事、テレビの向こうの作り話のように思えた。
「警察では、水かお茶しか出せないんだ」
有働の前に、湯飲みに入った緑茶が置かれる。
「もう年が明けて、1時間たってるよ。あけましておめでとう」
担当の刑事は、納谷(なや)警部補と違い、いくらか有働に好意的だった。
堅苦しさはなかった。
彼は雑談をするように、有働から調書を取りはじめた。
担当刑事は、有働努という高校1年生の勇敢さを褒めると共に「それでも、今回の行動は向こう見ずな蛮勇だよ」と諭すように言った。
「いくつか腑に落ちない点を聞かせてくれないか。君は、なんでそんな格好…太って見える変装をしたんだね」
刑事はボールペンの先を、有働のでっぷりしたニセモノのカラダを指しながら、訊ねてきた。
「ネット中継がコンサート会場に入るから…学校にアイドルオタクだってバレたくないし、あとは仲間へのウケ狙いからです」
有働の言葉に、刑事は頷きながら、ノートに文字を書き込む。
その背後、別の警察官もパソコンに、有働の発言を打ち込んでいた。
「なぜ防弾チョッキを着ていたんだい」
刑事は、有働の目をまっすぐ見つめていた。
「近頃、物騒でしたから。僕の住んでる市内では、小学生による発砲事件もありましたから」
有働も、目を逸らさず答える。
事実だった。
用意してた答えだった。
刑事と会話するうちに、この事件が現実のものなのだと実感がわいてきた。
「なぜあんな危険なことをしたんだ。警官隊が突入するまで待てなかったのか」
刑事は、有働から視線を外し、ノートに文字を書きながら、訊ねた。
「やれる時に、やれる事をする。あのとき、犯人に一番近かったのは僕です。飛びかかるしかなかった」
刑事はアゴに手を当てて考え込む。
「もし、防弾チョッキを着ていなかったら…。あのとき、僕は間違いなく死んでいました。答えてください…。僕が撃たれる瞬間、警察はそこにいましたか?助けてくれましたか?」
刑事は首を振った。
警察にもできる事と、できない事があるんだよ、という風に。
「普段から防弾チョッキを着るという、僕の判断が自分自身の命を救った。僕らには自分の命を守る権利があります。あのとき、僕は生き残るために行動に出た。結果、僕の判断が、僕や2000人の命を救うきっかけになった。あと、僕らが丸焦げにならなかったのは、火を奪った勇敢な人たちの行動のおかげです」
刑事は首を縦に振る。
「ああいう奴らを野放しにした警察の責任ですよ」
有働の本音。
密造銃が犬尾から冬貝に渡る前に、警察が早急に事件の真相を突き止め、検挙していれば、こんな危ない綱渡りせずに済んだのだ。
一応、最前A列の中央席に座った有働が、冬貝たちを制圧できなかった時の保険として、また、愛娘(まなむすめ)のエミが、有働に協力すべく客席にいるという事情から、遠柴とその部下たちが、関係者にカネを渡し、二階席で麻酔銃を構えていたのだが、半グレたちがガソリンを撒き始めたときは、さすがに肝を冷やした。
一歩間違えれば、大惨事だった。
それは紛れもない、事実。
刑事は気まずそうに頷いた。
「協力ありがとう。お父さんが迎えにきている。気をつけて帰りなさい」
刑事はロビーまで有働を見送った。
父はうろたえながら、有働の肩に手を置いた。
「母さんも心配してる、さぁ帰ろう」
父は落ち着き払っていた。
心配はしていたのだろうが、余計な事は聞くまいとしている顔だった。
(父さん。もしこの先、日本で大規模なテロなり占領事件が起きると分かったら警察はどう動くかな)
(犯行前のテロリストを捕縛したりはしないの?)
こんな質問を、以前息子がしてきた事を、父は忘れていなかったのだろう。
父は何かを悩んでるように、眉を顰めていた。
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1月1日(木)
午後1時―。
スマホが振動する。
深夜に帰宅し、この時間まで寝ていた有働は飛び起きた。
「アラームじゃない。そうだ、まだ冬休みなんだった」
画面を見る。
莉那からのメールだった。
「初詣これないの?みんなで行っちゃうよ」
有働は返信せず、スマホをベッドに放り投げた。
「1人のファンがステージで凶悪事件に立ち向かう!極限の人間心理とは」
「2000人のアイドルファンの絆!あわや大惨事の凶悪事件を阻止!」
などと、正月早々、大晦日コンサートの占領事件のニュース報道が賑わせているが、莉那は、そこに有働が関わってるとは夢にも思っていないだろう。
犬尾、斎貞、八女出ら3人の死に様が、脳裏に焼きついていた。
「撃つな」
有働は言った。
「暴発するから、絶対に撃つな。死んでしまうぞ」
敢えて、言わなかった。
怯えた表情をつくり「撃つな」と言いながら、彼ら3人が発砲するように誘導した。
自滅すればいい、有働はそう思っていた。
3人の無残な遺体―。
思い出すだけで吐き気がした。
有働は自室のゴミ箱にゲロをぶちまけた。
母が作ってくれた雑煮が、ぜんぶ流れ出ていった。
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同日。
午後3時―。
「努、お客さんよ」
1階からの母の呼びかけ。
有働は何も答えなかった。
権堂か、春日か、久住か、誉田か…。
昨日の件で心配してくれているのかもしれない。
(何を話せばいいんだよ)
有働は寝たふりをした。
母に何も答えなければ、来客は帰ってくれるだろう。
そう思っていた矢先、階段を昇る足音が聞こえた。
ノック数回のちに、勝手にドアが開けられる。
「有働くん」
エミの声だった。
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「有働くんが心配できちゃった」
有働は何も答えなかった。
女子が、この部屋に来たことなど初めてだったな、など考える余裕も無かった。
エミはコートを脱ぎながら、有働の部屋を見回す。
スーサイド5エンジェルズのポスターをじっと見つめた後、ゴミ箱に視線を落とした。
「わ!ゲロ!ゲロじゃん」
エミはゴミ箱を見て言った。
異臭が部屋に漂っていた。
「精神的に…きついの?」
エミは言う。
そして、ベッドに座った有働の右隣に座り、有働の頭を右手で撫でた。
風呂にも入らず、有働の頭皮はベタベタだったが、エミは寝癖のついた髪を梳かしてくれた。
「ぶっ殺すつもりで…人を殴った事はあったが…実際に人間が目の前で…死ぬと…気持ちが悪いものだな。こんなの初めてだ」
はじめて他者に語った、本音。
震えが止まらなかった。
エミが有働の背中をさする。こみ上げたものを必死に堪える。これ以上、吐きたくはなかった。
「もしかして…罪悪感?」
エミの横顔が近づく。
甘い香り。
会うたび、いつも違う香りがする。エミは特定の香水に拘っていないらしい。
「不破勇太の母親を死なせた時と違って…まったく罪悪感が…ないんだ…でも、そんな自分が…」
手のひらに爪が食い込む。
なぜだろう。涙が止まらない。
「なんで泣いてるの」
エミの言葉。
有働自身が訊きたかった。
なぜ、俺は泣いてるんだろうか?
「わからない…わからないんだ」
エミの手が、有働の握りコブシの上に置かれた。
「今までの日常が遠ざかっていく気分…」
エミの薬指、小指からはゴムの感触しか伝わってこない。
「家族、学校の友達や、先生、挨拶してくれる近所の人たち…慣れ親しんだ日常が…自分から遠ざかっていく気分…。でしょ?」
エミの親指、人差し指、中指にチカラが入る。
有働の握りコブシを包んでいた。
「…」
静寂。
「エミも、一番最初に…人を殺したとき…そんな感じだったかも。今となっては麻痺して、思い出せないけど…たぶん、今の有働くんみたいに苦しんだと思う…」
涙の粒が有働の膝の上に落ちる。
そのパジャマの柄―、青いストライプの一部分が水滴で、色濃くなる。
「それを、少しずつ思い出させてくれてるのは、有働くんだよ」
涙で歪んだ先に、エミがいた。
「今度は、エミが有働くんを守るから…ずっと傍にいるから」
エミの唇が有働に重なる。
「お前は、俺のものだ」
そんな言葉をクチにしたのは生まれて初めてだった。
有働は舌を入れてエミの唾液を吸った。
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有働は、指輪と共にエミの義指をすべて取り、第一関節までしかない、短くなった指それぞれにしゃぶりついた。
「やめて…ふふ…くすぐったいよう」
気づけば、有働の部屋で、二人は一糸纏わぬ姿となっていた。
エミの全身に、直線と直線で刻まれた傷跡。
誰か男の個人名―。
卑猥な単語―。
意味のない文字の羅列―。
意味のない落書き―。
有働は、エミの身体中に刻まれたすべての傷を、鎖骨から順番どおり舌先で、音を立てながら丹念になぞった。
唾液で濡れ光る痛々しい傷跡。
エミの甘美な声が大きくなる。
1階の父母に聞かれまいと、有働はエミの声を、優しく唇で塞いだ。
「ほんとうに…はじめてなの?」
有働自身も不思議でならなかった。
初めてであるにも関わらず「こうしたい」という本能に従ううちに、大胆になっていた。
舌先が、エミの腹部に到達した。
いつかの変態が刻んだ卑猥な記号を、舌先でぐるりとなぞる。
「そこから下は…はずかしい。洗ってないし」
有無を言わさず、有働は続けた―。
汗と柔軟剤の香り。
部屋の片隅で、ポスターの中のMANAMIが笑っていた。
唾液とエミの体液が混じり合う―。
塩辛かった。
有働はポスターのMANAMIと目が合った。
それはMANAMIを写した、ただの印刷物なのだと感じた。
エミの黒い茂みに潜んだ包皮を押し広げ、突起を吸う―。
何となくそうしてみたが、正解のようだった。
部屋中に充満したゲロの匂い。
エミはそれを「汚い」「捨ててきて」とは言わなかった。
部屋中に粘着質な音が響き渡った―。
これは現実だった。
エミの表情を盗み見る。
頬が紅潮していた。
有働の昂ぶり、エミの恍惚。
ふたりは、一つになろうとしていた。
数秒間の有働による、マナーに則った、ある準備。
「つけないで」
いつの日か、誉田にふざけてもらった小さなビニール包みを開けようとしていた有働に、エミの言葉。
「なんで」
沈黙。
倫理、ルールが意味を成さない二人だけの世界。
「今までの彼氏にも…こんなこと言わなかったもん。生でしたことないよ…あの…」
あの…の続きの言葉。
あの事件の犯人以外は、という言葉を、有働は唇で塞ぐ。
「言うな」
唇が離れ、うんとエミが答えた。
MANAMIのポスターは、相変わらず笑っていた。
それは人の顔と言うより、人の顔をした模様のように思えた。
ポスターを見つめる有働を、エミは、じっと見ていた。
長い睫毛。
潤んだ瞳は、愛しい人の心を探ろうとしている。
何か言いたそうな顔。
有働が、それに気づく。
有働は笑った。
「お前が考えてるようなことは一切ない。ただ、大きいポスターだから視界に入るだけだ」
有働の言葉に、エミは満足そうに微笑む。
心が通じた。
エミが唇をつきだす。
優しく唇を貪りあう。
形が崩れる前に、潤いが干からびる前に。
エミの襞が有働を受け入れた。
粘膜の摩擦、数分間の永遠。
絶頂。
荒い息遣い。
朦朧とした意識でエミを探し求めた。
額に口づけをする。
脳は酸欠を起こし、数分間の記憶が欠如していた。
夢か幻か。
残されたのは、ぼんやりとした多幸感だけだった。
「今度は、感情に流されずに、別の日に時間をかけて…」
有働の言葉を、今度はエミが唇で塞いだ。
「エミは有働くんのもの」
唇は、そう言った。
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1月3日(土)
午後2時過ぎ―。
莉那からメールが何度があり「話したいことがあるの」と言われ、有働は往訪のファミレス「パリス」で、莉那と2人で待ち合わせをした。
「何度かメールしたけど…忙しかったの?」
有働は莉那の顔をまっすぐ見た。
感想―。
顔立ちの可愛い女の子だな、と改めて思った。
莉那はコーヒービーンのファー付ストールを外した。ホワイトのアラン柄ニットからは女性的な膨らみが強調されている。
「うん。色々あって」
コンサート会場の事件のあれこれは、権堂らに口止めしてある。
学校関係者や、莉那の耳に入る事はないだろう。
聞いた所で、どうリアクションすべきか困るだろうし「大変だったね」「大丈夫」という言葉をかけられても、どう言っていいか分からない。
有働は言葉を濁すに留めた。
「メールの返事…ずっとしてなくて、ごめんなさい」
莉那は頭を下げて言った。
百合の花に似た甘い香りがする。
莉那から漂う香りはいつも変わらなかった。
「いや、俺の方こそ…変なものを見せてごめん。誤解されたくないから言うけど…あれは、ただの知り合いの…変態おばさんっていうか」
有働は説明に困った。
「だよね。…有働くんはもてるんだね」
莉那なりに、世の中の一部の女性の生態について考えたのだろう。
そして、そういうものを送りつけて悦ぶ人種がいるのだと理解したのだろう。
誤解は意外にも簡単に解けたようだった。
「いや…もてないけどさ。そういや、クリスマスイブにさ、吉岡、誰か男子と歩いてたろ」
有働は単純な疑問として訊いた。
そして、その質問の回答内容にそれほど執着しない自分に気づき、少し驚いた。
「見てたの」
莉那は目を丸くして言った。
「ああ、見てたけど…声はかけずらかった。っていうか隠れた」
有働はその時の気持ちを過不足無く伝えた。
「ふふふ。隠れなくても良かったのに。あれは親戚のお兄ちゃんだよ。彼女へのクリスマスプレゼントを選んであげてたの」
莉那は笑った。
「それに…私、別にクリスマスを過ごす男子なんていないし」
莉那は笑っていた。
もったいないな。莉那の魅力に気づく男子がもっといてもいいのに。
有働の本音だった。
「もったいないな。吉岡の魅力に気づく男子がもっといてもいいのに」
有働は、本音をそのまま言った。
沈黙。
莉那の視線が泳いだ。
気まずい空気。
(俺が本音を言うと、こういう空気になるのか)
有働は居心地が悪かった。
エミと一緒にいる時の感覚とは全く違う。
当然だった。
目の前にいる相手が違うのだから。
莉那の頬が紅潮する。
だが、莉那の微細な表情の変化に気づいたり、言動に隠された真意を汲み取ろうとする意識がはたらかなかったのだろうか…有働の目には何も映らなかった。
「悪い。また、何かまずいことしたかな」
有働の言葉。
「ううん。そういうんじゃないよ」
莉那が、ぶんぶんと手を振り回した。
長くて綺麗な指だった。
5本ちゃんと揃っていた。
莉那の指を見つめながら、エミのことを思い出していた。
(エミは何をしてるだろうか。あの時、指にしゃぶりついたのはまずかったかな)
有働は思った。
エミの過去も現在も未来も、受け入れたかった。
エミの傷を、醜さを、ゲロの充満する部屋で自分の抱えた闇と引き換えに食べ尽くしたかった。
(あの行動はエゴだったのかな)
有働の胸が痛む。
エミだって、隠したい部分があるはずだ。
悩む。
だが、あれをああして良かったのかな、ダメだったかな、と素直に聞いても答えてくれる大らかさがエミにはあった。
「親戚のお兄ちゃんにね…相談したんだ。有働くんのこと、動画のこと」
莉那の声で、思考が現実に引き戻される。
「動画の件は、モテる男子だったらそういう事される時もあるよ、ってお兄ちゃんは笑ってたよ」
莉那の瞳は潤んでいた。
有働の顔をじっと覗き込んでいた。
「そうなのかな。吉岡は彼氏つくらないの?」
有働は、美しい顔の少女に訊ねた。
「彼氏…う~ん…。好きな人とお付き合いしたいし」
そりゃ、誰でもそうだろう。有働は思った。
「好きな男子いないの?」
有働は訊いた。
「好きな人…いるの?」
莉那は答えずに、質問をそのまま返してきた。
「いるよ」
にべもなく有働は答えた。
心はエミでいっぱいだった。
初めて味わう女のすべてはエミだった。
有働の弱音を吐けるのはエミの前だけだった。
エミを一生、離したくないと思った。
「この前の…動画の人?」
莉那が固まった。
動画の中年女を恋人だと思われたくなかった。
有働は手を大げさに振る。
「違う」
言葉でも、ちゃんと否定した。
「じゃあ…どんな人」
莉那が俯く。
義務として、会話の流れとして、ただ、訊いているように、その視線は、ぼんやりと意味もなくテーブルの上のコーヒーカップに注がれている。
向こう側ではしゃぐ子供たちの声。
それを優しく叱る母親の声が聞こえてくる。
「一番辛いときに、ずっと傍にいてくれた」
有働の答え。
「そっか…」
莉那の大きな瞳が涙で濡れていた。
「なんで泣くの…?」
本音だった。
言った後、有働はハっとした。
気づいた。
すべてに気づいた瞬間だった。
沈黙がふたりを包んだ。
少し前の記憶が蘇る。
雨の中、酔っ払ったまま、莉那の手を握って一緒に走った夜。
もう少し前の記憶。
バスの中で、莉那を覗き見していた日々。
莉那を今まで思っていた時間。
莉那の事を考えていた、たくさんの時間。
それは恋だった。
莉那も、何かしら有働のことを考え、思ってくれていたのだ。
恋は成就しかけていた。
しかし、この瞬間に終わった。
「メール…ずっと返せなくて、ごめんね」
返さなかった、のではない。
返せなかった、のだ。
有働は言葉の意味に気づいたが、今、気づいても何の意味もなかった。
莉那は嗚咽していた。
気丈な少女は、予想外の胸の痛みに耐えていた。
有働にはどうしていいか、分からなかった。
ただ、慌てふためくだけだった。
「気にしなくていいよ」
胸の奥のどこかが痛んだが、思いつく限り最善と思える言葉を紡いだ。
莉那は、無言のまま頷くだけだった。
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1月13日(火)
午前7時―。
新学期は、すでに始まっていた。
正月気分は、すっかり抜けている。
部屋のゲロの臭いも、もう消えていた。
いつもの、朝のニュース。
「密造銃のばら撒き事件、犯行グループ逮捕」
当然だった。
逮捕された冬貝が、10日以上意地を張った後、やっと自供したのだろう。
すぐに、事件の概要は全国に知れ渡った。
「一連の事件について、総理官邸から中継です」
第99代総理大臣の桐柿甘造(きりかきかんぞう)が、報道陣に囲まれながら、この事件についてインタビューに答えていた。
桐柿総理は二重アゴをたぷつかせながら、報道陣に遺憾の意を示す。あとは誰もが思いつきそうな無難なコメントを述べるだけだった。
わざとらしい七三分けの髪型。
フラッシュで整髪料がテカテカと光っていた。
有働は味噌汁を啜りながら、画面越しに、ぼんやりとアホな権力者を眺めていた。
瞬間。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「わ」
という声。
画面が真っ黒になった。
「なんだ、なんだ?」
父がチャンネルを変えた。
他番組でも、ニュースキャスターが慌てていた。
「なんだろう」
有働も呟いた。
「まぁ、なんでもいいけど」
有働はさらに呟いた。
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数時間のちに、日本を震撼させたニュース。
それは約79年ぶりの現職・日本国総理大臣の暗殺事件だった。
報道陣の1人が「ステルス爆弾」を体内に仕込み、総理や他の報道陣と共に自爆したと報道された。
この事件が、あらゆる波及となり、負の連鎖を生み出し、世界を絶望の渦に突き落とす事となる。
世界は破滅を辿る。
破滅の元凶こそ、人類が捨て去る事のできない「愛と憎悪」だった―。
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