第7話 土下座
「明後日の日曜までに権堂さんの前に誉田を連れてきます。きちんと謝らせますから、そうしたら遺恨は残さず、抗争なんかバカなマネはもう考えないでください」
有働は言った。
床に仰向けに寝そべったままの権堂はモゴモゴと何か言っていたが聞き流した。「権堂組」の面々の視線が突き刺さる。
「なにか問題でも?皆さん、毎週日曜に六道坂の古いゲームセンターに溜まってるらしいじゃないですか。明後日も12時から17時くらいの間まで、全員であそこにいてくださいね。そこに誉田を連れていきますんで」
有働は彼らに言い放った。誰も何も言わなかった。22名の屈強な男たちは教室から出て行く有働に道を空けた。
教室の外で待っていた春日と久住を押しのけ3年生用のトイレに駆け込む。血のカタマリを吐く。鏡に映った自分。顔はパンパンにうっ血していた。1週間は鏡を見ないようにしよう。そう思った。
(さて…父親になんて言い訳するか)憂鬱なため息が出る。
「おい!有働おまえ」
蛇口をひねり水を出しっぱなしにして血を洗い流していると春日が追いついた。
「やりましたよ。計画通りです。明後日には誉田を連れて、権堂さんに謝罪させます。それでチャラです」
「お前、誉田ともやり合う気なのか」
「いえ。もう手は打ってあります」
「あ?それって、どういう意味だよ」
「誉田の相手は、まぁ…ある意味、内木です」
「内木?」
「楽しみにしててくださいよ。準備ができたらお二人にも協力してもらいますから。その時は宜しくお願いします」
春日と久住は顔を見合わせていた。有働はテッシュを丸め鼻につめるとその上から用意してたマスクとサングラスを着用しトイレから出た。それらは権堂が自分を無傷で帰してくれるとは思えなかったため、あらかじめ有働自身が用意していたものだった。
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「うわ。そ、そ、そ、そうとう派手に、な、殴られたみたいだね」
内木の部屋に有働はいた。内木が痛々しそうな目で有働を見る。薬局で買った消毒液が染みる。鎮痛剤はまるで効かなかった。
「今日が金曜でよかったわ。今日と明日、明後日は内木ん家に泊まるって親には言ってあるから、泊めてくれよ」
「い、いい、いいけどさ、2日や3日じゃ、は、腫れ引かないでしょ」
「引いてもらわないと困る」
そう言いながら有働は内木の部屋のソファに寝そべった。
「あ、あ、明日あたりが、い、い、一番腫れると思うよ」
「ああ。そうだろうな。すまんが、何時間か寝かせてくれ。リポリンの件はうまくいきそうか?」
「い、いい、い、い、今、何とかコネクションやネットワーク使って、ネタのバーターしてるから、まま、ま、待ってて」
「期待してるぜ。相棒」
有働はそう言うと数分で眠りに就いた。
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「や、や、やったよ…、僕のも、も、も、持ってるネタ2つと、リポリンのネタ1つ、交換…成立したよ」
まどろみの中で内木の声が反響する。「ああ」とだけ答えた。
「あ、あ、明日の夜20時に、渋谷区の道玄坂の、ち、ち、地下バーに現れるってさ」
「ああ」とだけ答えた。
「じゃ、じゃあ、今夜はゆっくり寝てね。僕はい、今から、タクシー乗って、ネタの提供者に会って来る。しゃ、写真とネガもらってくるから」
柔らかいものが被さる。内木は毛布をかけてくれたようだった。
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翌日、土曜の20時―。
"リポリン"こと、浮名リホが、マスクに帽子をふかく被り、サングラスをかけ、会員制の地下バーに入っていくのを、有働と内木は見張っていた。
内木―大判の写真を数枚いれた茶封筒を胸に抱えていた。
有働―バケモノのように腫れ上がった顔を隠すためにサングラスとマスクを着用。奇しくもお忍びのアイドル歌手―"リポリン"と同じような風体となっていた。
「本当に来るとはな」
有働は言った。体中が痛い。顔が痛い。喋るたびにクチの中が痛い。しかし、ここで計画を推し進めねば、こういった痛みのすべてがムダになる。
権堂辰哉は強かった。抗争を止めるため、校庭で蹴り倒された雪辱を晴らすため、3年の教室まで"話し合い"に赴いたは良かったが、思いのほか権堂は強く、苦戦してしまった。
強者との殴り合いは、痛みを伴うものの、ゾクゾクした。強ければ強いだけ、権堂を倒した瞬間の快感は言葉には表せぬものがあった。
「オヤジをバカにされたんだ。権堂さんはメンツを重んじる人だから、オヤジさんを犬死よばわりした誉田を、とことん許せなかったんだろうよ」
春日はあの日、決着をつけズタボロになった有働に言った。「そうでしょうね」と血まみれになったクチを開き、有働は言葉を返した。
権堂の父親はヤクザの鉄砲玉として死んだ。
事実だった。
だが彼は、組をたった一人で壊滅させた強者だったらしい。権堂はそんな父親を誇りに思ってたに違いない。有働は殴りあいに夢中になるあまり、権堂を殴り殺しそうになっていた。死が迫りくることを覚った権堂は怯えながら、それでも、自らのメンツを、オヤジの誇りを汚した誉田を許しはしなかった。
「誉田の…方から…う…、うってきたケンカ…だ。あいつが…俺に…詫びない…限り…俺は…あ…あいつを…許さない…」
権堂は、そう男泣きしながら言っていた。
両者の遺恨は深い。
特に、誉田への権堂の憎しみは深い。誉田から謝らせるしかない。
当初から想定していた計画だったが、やはり、誉田を意のままにするには―この計画しかない。
そう思った時だった。
「出てきたよ」
内木が言った。
有働はリポリンへと近づいていった。
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「浮名リホさんですよね?」
有働の問いかけに地下から出てきた女性は答えなかった。サングラスとマスクで表情は分からない―だが、氷のオブジェのように固まったまま動かなかった。
「あなたが、あの地下バーで何を手に入れたのか、この写真を見れば察しがつきます。今から写真を見せますので、後悔しないように、よく考えて行動してくださいね」
有働は背後の内木から茶封筒を受け取り、中身―大判サイズの写真数枚を取り出した。
大判写真の1枚目―そこに映し出されたのは、マンションの一室で国民的アイドル歌手の"リポリン"こと浮名リホが、男から透明の小袋を受け取ってる写真だった。
2枚目の写真で、男の顔がクローズアップされる。数ヶ月前、新聞記事を賑わせた薬物汚染された俳優だった。彼にそそのかされ薬物に手を染めた芸能人は50人とも、100人とも言われていたが、そのリストに浮名リホの名はなかった。
「もう一度聞きます。浮名リホさん―ですね?」
有働はもう一度訊ねた。女性が、ゆっくりと頷く。
「よかった、話は早い。"リポリン"って呼んでいいですか?」
女性が頷く。
「では、リポリン。ここでお話するのもアレなんで、カラオケ屋にでもいきましょうか」
3人は渋谷道玄坂にあるカラオケ屋に入った。店員は"リポリン"に気づく様子もなく、部屋を案内してくれた。
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「いったい何がしたいのよ。あなたたち」
"リポリン"が言った。サングラスとマスクは外されている。目にはうっすら涙が浮かべられていた。
「どういう状況でこの写真が撮影されたかは、分からないです。しかし、僕らはこの写真をある人物から買い取りました」
有働は嗜虐的な笑みを浮かべた。内木は微かに震えて成り行きを見守っていた。
「まぁ、正確に言えば、買い取ったのではなく"交換した"わけですが。あなたの薬物疑惑の写真と、若手アイドル2人分のネタとを―、その人物と交換したわけです。ちゃんとネガも回収しました。このデータを持っているのは我々だけです」
「若手アイドル…2人分のネタと交換…?」
「そうです。あなたも安く見られたものですね。ムリもないでしょう。この前、不倫報道もありましたし、もう24歳でしょ?アイドルとしてはそろそろ」
「もういいわ。お金がほしいの?」
「いえ」
「なに?身体?」
「はい」
"リポリン"は一瞬こわばった表情をしたが、すぐに冷静さを取り戻したかのように表情を弛緩させた。
「なに。ここですればいいわけ」
「いいえ」
「じゃあ、どこへ行けばいいの?1回だけよ」
「明日、日曜日に、ある男とデートしてあげてほしいんです」
「デート?」
「はい。と言っても、ただ手を繋いで歩き回るようなデートではないです。いわゆる大人の室内デートですよ。」
「誰と?」
「とある童貞の男子です。細かい事をこれ以上は聞かないでください。知りすぎるとあなたにも躊躇がでてくると思うので」
有働は有無を言わさず"リポリン"を脅した。内木は視線をキョロキョロと動かして成り行きを見守っていた。
「いいわ。明日はちょうど1日中オフだし。遅くなりすぎなければ1日中つきあってあげる。そしたらネガも写真も返してね」
有働は頷いた。"リポリン"は思ったとおりの女だった。こうやって男を渡り歩いて、一時期とは言えアイドル歌手の座を手に入れたのかもしれない。
(やっぱりメジャーなアイドルはダメだ。汚染されてる…地下アイドルじゃなきゃダメだ。MANAMIちゃんは、こんな女ではありませんように…)
交渉が成功したにも関わらず、アイドルという女のしたたかさを"リポリン"を通し、目の当たりにした有働は、意味もなくそう心の中で呟いた。
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翌日。日曜の12時―。
有働は春日と久住を連れて往訪商店街のゲームセンターに入った。以前、問題を起こしたスクーターの連中はいなかった。
代わりに格闘ゲームの台を占領していたのは―間違いない。往訪高校の誉田虎文(ほまれたとらふみ)とその配下数人だった。
「往訪高校の誉田さんですね。ちょっと、いいですか」
有働は話しかけた。椅子に腰掛けているが、誉田は、権堂よりもすこし背が高い。おそらく190cmを越えているだろう。着込んだ虎のスカジャンがはち切れそうなくらい筋肉量もあった。
「あ?なんだ?」
誉田の反応は薄かった。
格闘ゲームに夢中になってる誉田の脇にいた配下数名が動いた。有働はサングラスとマスクを取った。配下たちが赤黒く腫れ上がった有働の顔を見てたじろぐ。
「殷画高校の権堂さん、知ってますよね?お二人には因縁があるそうですが…今日、それを終わらせませんか?」
「あ?」
誉田がはじめて顔を上げた。有働の顔を凝視している。
「誉田さんひとりで、ちょっと来てもらえませんか。サシで話すのが怖いなんてことはないですよね」
「あ?」
誉田は壊れたテープのように同じ音声を二回続けて放った。彼にはボキャブラリーがそれほどないのかもしれない。
たじろいでいた配下の一人―赤毛リーゼントの男が有働に近寄ってきた。追い払うつもりだったのだろう。
瞬間、赤毛リーゼントの男は宙を舞った。有働が繰り出した右足で重心を崩され大きな音を立てて尻餅をついた。
「別に殴り合いで解決してもいいんですけど、その前に、一度、誉田さんとサシで話し合いさせてもらえないですか?」
有働は配下たちに言った。誉田はもう格闘ゲームに興味がないようだった。警戒するような視線を有働に投げつけてくる。
「俺とお前で、どこで話し合いするんだ」
「駐車場まで来てください」
よほど腕力に自身があるのか、有働のあとに誉田は無言で着いて来た。
春日と久住は残された配下数名―往訪高校の生徒たちを見張る役目として店内に残った。
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「え!え?え?え?え?ほ。ほ、ほ。ほ、ほ。ほ…」
誉田は言葉をつむげないままでいた。
有働に促されるまま、駐車場に停められたタクシーの中から"リポリン"が出てきた。誉田は彼女の熱心なファンだ。大画面でいつも最新曲のPVを観ているという噂を聴いた事がある。顔そのものは勿論、ホクロの位置やわずかなシミを見れば、これがソックリさんなどではなく、本人だと理解できたであろう。
有働がリポリンに合図を送る。
リポリンは数歩前に出て、誉田の手を握った。そして頬にキスをした。何かをゴニョゴニョと誉田の左耳に囁く…。有働は何を囁いたのか知っている。
"リポリン"がつぶやいたのは、有働が事前に指示した台詞―「権堂くんに、きちんと謝ったら●●●や×××してあげるわね。ちゃんと謝れる人って男らしくて好き。だから▲▲▲や▼▼▼もしてあげたくなっちゃう」といった卑猥な言葉だった。
「もう戻ってください」
有働に言われ"リポリン"はタクシーに戻った。ドアが閉められてタクシーは去っていった。
「僕は殷画高校の生徒会長の代理として、もう誉田さんとトラブルを起こさないように、と権堂さんと話しをしたんです。そして…結果、僕はこの顔になりました。話し合いの結果、権堂さんはある条件で、誉田さんたち"往訪高校"との因縁をチャラにしてくれるそうで―」
誉田は固まったままだった。
「おい!話きいてるか?」
イライラした表情で、有働は誉田の鳩尾を思い切り蹴り飛ばした。
誉田の巨体が沈む。
目に涙を浮かべながら、うずくまっている。
「これは夢じゃないですよ。誉田さん。俺に蹴られて痛いでしょ?」
有働の右足のつま先が、咳き込む誉田のアゴをしゃくりあげる。
「俺は殴り合いで解決したっていいんだぜ?」
有働は誉田を見下ろしながら睨む。
「アンタはどっちで話をつけたいんだ。"殴り合い"か?それとも"気持ちがいい方"か?10秒以内に答えろ。答えがなければ"気持ちがいい方"はナシだ」
「10、9、8…」
有働がカウントダウンを始めた。
「"気持ちがいい方"だ」
3秒もしないうちに誉田が言った。
有働は内心ホっとした。
金曜の権堂との殴り合いで体中が痛かった。誉田とここで戦闘になった場合、良くて引き分けといったところだろう。誉田が熱心な"リポリン"ファンだというのは内木からの情報でウラは取れていたし、誉田がまだ童貞だという噂もおそらく本当だと踏んでいた。
「話の続きに戻るが、事の発端は、誉田さん、アンタが権堂さんのオヤジを"犬死"だと罵った事が原因だ。権堂さんは、オヤジさんを尊敬してる。それで怒りに我を忘れた。アンタだってリポリンを悪く言うヤツが許せないだろう?」
誉田は何も言わなかった。
有働に跪いたままの姿勢のまま、話に聞き入っていた。
「権堂さんは、誉田さん。アンタが一言、謝罪してくれれば、それでいいそうだ」
「権堂の野郎が…そんな事を言うはずがねぇ。あいつはとことん俺をぶちのめしたいはずだ…。お前が…あいつをそんな風に説得したのか」
「いえ。謝罪による平和的解決を提案してきたのは権堂さん自身です。権堂さんのメンツはアンタの謝罪一言で保たれる。逆に言えば、アンタを男として買ってる部分もあるんでしょう」
誉田は何も言わなかった。
「問題なければ、このまま俺らと一緒に六道坂のゲームセンターに行ってもらい、権堂さんに会ってもらいます」
「おい、さっき"リポリン"が言った事はマジなのか…」
「何がですか?」
「俺が権堂に謝りさえすれば…マジで"リポリン"は21時まで往訪キャッスルホテルにいてくれるのか。この俺の筆おろしをするためだけに…」
「ええ。彼女はちゃんと約束してくれてます」
「どんな手を使ったか知らねぇが…」
誉田は肩を揺すった。泣いているのだ。
「ありがとうな…ありがとうな…。俺…嬉しくて、嬉しくてよぉ…」
「いえ。はやく謝っちゃいましょうよ、誉田さん。"リポリン"は21時までしかいてくれませんから。グズグズしてたら時間がもったいないですよ」
「ああ。お前、イイ奴だな…死ぬほど好きなアイドル"リポリン"が…、この俺のために…あんな…あんな事まで言ってくれたんだぜ?…泣けてくるわ。権堂ぶっ倒して名を売るなんて、ちっぽけな夢なんざ、どうでもいい。俺は…今日、リポリンと…リポリンと…キッスがしたい…あとは…」
「まぁ、俺も好きなアイドルいるんで気持ちは分かります。さぁ、行きましょう」
「お前、名前は?」
「殷画高校1年E組の有働努です」
「有働か…お前の名は忘れねぇ。感謝するぜ。さぁ、タクシーでも呼んで、さっさと謝りにいくか!」
誉田は巨体を立ち上げて言った。
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1時間後。
六道坂のゲームセンター。
異様な空気を纏った私服姿の高校生たちを前に、一般の客は姿を消していた。店員は知らないふりをしてトイレ掃除に行ってしまった。
麻雀ゲーム機の椅子に腰掛け、白いタンクトップに厚手のライダースを着込んだ、権堂がいた。顔の腫れは有働同様にピークに達していた。その周囲には権堂組22名がいる。
権堂の前、誉田がいた。
誉田を睨みながら、権堂組の面々は誉田への恐れを必死に隠そうとしていた。
誉田の背後、有働、そして春日と久住がいた。
「さっき、誉田さんと話をつけました。今回のキッカケは権堂さんのオヤジさんの悪口を、誉田さんが言ったのがキッカケでよね。誉田さんはその事を謝るつもりだそうです」
権堂が、何か恐ろしいものを見るように有働に視線を投げかけてきた。(何をした。どうやったんだお前―)そう言いたげだった。
「さぁ、誉田さん」
有働に促されるまま、誉田は一歩、権堂に近づいた。
そして―、これは打ち合わせにはなかったのだが、誉田は膝をついた。
「権堂。お前のオヤジさんは"犬死"なんかじゃねぇ。俺のオヤジも極道だがよ。お前のオヤジの伝説は、面識がなかったうちのオヤジですら嬉しそうに語る。極道の鏡だってな―。俺は羨ましかったんだ。お前が、お前のオヤジが―」
すまなかった。
誉田は見事な土下座をした。
権堂組の誰かがスマホで動画を撮っているのを、有働は見つけた。
「そんな事したら、権堂さんのメンツつぶしますよ。これは男同士の話し合い、謝罪の場だ。さっさと動画を消してください」
有働に言われ、焦りながらその男は有働の目の前で動画を削除した。
「もう、頭を上げろや、誉田」
権堂は言った。誉田は頭を上げた。
誉田は立ち上がり、権堂と握手を交わした。
「おい。誉田。和解のしるしによ、今からメシでも行くか―」
権堂の言葉に誉田の表情が凍りついた。
「あ、い、いや。今日は、ちょっとよ」
「誉田さん、今日は彼女と約束があるらしいんですよ」
有働の助け舟に、誉田は安堵の表情を浮かべた。
「そいつは残念だな。んじゃ来週以降でどうよ。連絡先交換しとくか」
男たちを取り巻いていた剣呑な空気が和んだ。
有働はスマホで"リポリン"を呼び出した。2コールで繋がった。
「今から誉田さんが、そちらへ行きます」
「分かったわ。誉田くん…だっけ?さっき、駐車場で見たけど、イカつくてけっこうイイ男じゃない。むしろ好みかもしれないわ」
"リポリン"は歌うようにそう言った。
「21時までって約束だったけど、ちょっと楽しみすぎて時間オーバーしちゃうかも。じゃあこのままホテルで待機してるわ。302号室だからね。早く来てって誉田くんに伝えておいて」
発情した"リポリン"の声は潤んでいた。
("リポリン"乗り気じゃないか…。くそ、誉田の野郎…。これで夜遅くまで憧れのアイドルとウハウハか。計画を立てたのは俺だとは言え、成功したとは言え、約束をしたとは言え、アイドルファンが憧れのアイドルとウハウハするシュチュエーションは羨ましすぎてむかつくぜ。)
有働は、舌打ちをこらえながら、ニヤついて権堂らに別れを告げる誉田を睨んだ。
「どうした、有働。なんか機嫌悪そうじゃないか?…とりあえず、もう行くわ。今日の件は、サンキューな!」
誉田はニヤニヤしながら言った。有働は誉田の顔面に思い切りパンチをめりこませたい衝動を必死で押さえ込んだ。
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「どういう手を使ったのか知らんが俺の完敗だ」
権堂組全員と、春日、久住、そして居心地の悪そうな内木を店内に残して、焼き肉屋「辰前」の駐車場で煙草を吹かしながら、権堂は言った。
「いえ。誉田さんの謝罪を受け入れた権堂さんの懐の深さに感動しました」
「お世辞や、おためごかしはもう止めろよ」
権堂は寂しそうな目で言った。
「何がです?」
「お前にはもうバレてるんじゃねぇのか。俺は、そんな強い男じゃねぇんだ」
「そうは思いません」
有働は本音を言った。
あれだけ有働に殴られながらも、権堂は自分を最後まで曲げなかった。誉田を憎むにはきちんとした理由があった。父親を侮辱された事は、自らの死や痛みへの恐怖よりも、ずっと深く痛い事だったのだ。
「俺のオヤジは、お前も知っての通り、鉄砲玉だった。俺はオヤジが死んだ原因に不条理さを感じながらもな、どこか目を背けようとしてた」
権堂は煙を深く吸い、吐き出した。
「組のためとは言え、オヤジだって死にたくなかったはずだ。でも仕方がなかったんだろうな。人はオヤジを勇敢な男だと言うけどよ、オヤジは死ぬ日まで誰にも本音は言えなかったんだろうな。路地裏で死んだ時も怖かったはずだ」
「卒業後は、お父さんと同じ道を行くんですか?」
「わからねぇ。でも、もう一度、自分で世の中を見つめなおしてみて、それでも極道になりたきゃ…なるしかねぇだろうな。いずれにせよ、何を守って生きていくべきか、自分で答えを出さなければならねぇ」
「何かを守るために、命をかける。権堂さんのオヤジさんは、何を守ろうとしてたんですかね」
「オヤジはな、ここだけの話、うだつの上がらないヤクザだった。このまま組で普通にやってても出世しねぇ。鉄砲玉やって懲役くらえば家族の面倒は組が見てくれる。オヤジはそう考えたのかもしれねぇ。家族を守るために死んだんだ」
権堂は根本まで吸い込んだタバコをもみ消した。
「この焼き肉屋…"辰前"って名前な。オヤジの名前"辰道"と、オヤジの弟分で俺にとって第2のオヤジみたいな存在"前島さん"の名前からつけたんだわ。俺がオフクロに提案して決まった」
「二人とも何してるの~お肉なくなっちゃうわよ」
店先から権堂の母親の声がする。若々しい声だった。
「今日は奢りだ。たくさん食え、有働」
「権堂さん、その前に…ひとつお願いがあります」
「なんだ?」
「俺、今月末の生徒会役員選挙に、生徒会長として立候補しようと思います。あの学校で会長に立候補する生徒なんて毎年いなくて、教師に指名された生徒がやっていたようですが…俺は今回、立候補します。もし生徒会長になれたら…殷画高校を変えるため…マトモな学校に戻すため…チカラを貸してもらえませんか?」
有働は力強く、権堂に言った。
「お前の頼みならよ…殺し以外なら、何だってやるぜ。この俺の、メンツにかけてもな」
権堂は笑ってそう答えた。
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