第34話 米合衆国大統領の正義

 エイブラハム・オブライアン大統領―。


 民主党での指名争いに勝利し、共和党有力候補を破り、米合衆国初の有色人種大統領となった若き指導者。


 だが大統領選のその実は、共和党候補者を擁するダニエル・ゴッドスピードと、オブライアンを擁する民主党の上院議員であるジェイムズ・ゴッドスピードの一騎打ちだった。結果、オブライアンはジェイムズが得意とするマスコミ戦略の恩恵を受け、勝利。ダニエルは臍を噛むこととなった。


「私たちは、やれる!」


 オブライアンが、世界中に爽やかな笑顔を見せた六年前。誰しも米合衆国の変革を信じて疑わなかった。


「低迷する、この国を救う新時代の救世主だ」


 そんな声が、あちらこちらから聞こえてきた。


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 そして現在―。


 国交問題。

 低迷する経済。

 低下する支持率。


 米合衆国大統領―、エイブラハム・オブライアンが抱える課題は、山積みだった。


 だが―。


「今はそれどころではない!」


 東京、港区にある「ホテルコクラ東京」

 宿泊した部屋のトイレに、オブライアンはいた。


 目下の緊急事態―、腹痛。

 オブライアンは叫びながらトイレのレバーを押す。


 水洗の音と共に呻り声をあげた。


「痛い痛い痛い…痛いよぉぉ!」


 忌まわしい異臭と共に、ブビリリリ、と身体中の水分が流れ出す。便座と親友になり、かれこれ一時間が経過した。


「先程の寿司屋が原因か」


 冷や汗をかきつつ、廊下で直立するSPにクスリを頼んで三十分。本日、五回目の便座タイムに菊の花弁がひりつく。


「早く持って来いよ~」


 オブライアンは、子供のように泣きはじめた。


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 ノックする音。


「お薬をお持ちしました」


 ホテルのドアとトイレは近くにあるため、明瞭に声が聞こえた。


「ドアの前に置いておいてくれ」


「お薬の場合、当ホテルでは安全の為、手渡しのみとなっております」


 英語の発音がおかしい。ホテルの従業員か、オブライアンが合点がいった。


「そうか…今、開ける」


 声が幼いな、と思いつつ、ウッォシュレットとペーパーで用を済ませ、スラックスを穿き直し体裁を整えた。


「誰だ、君は」


 内股ぎみにドアを開けたオブライアンの眼前―、そこに立っていたのは、サングラスをかけた日本の少年だった。Tシャツには「鬼畜米英」と漢字で書かれている。オブライアンはハワイ出身なので漢字が読めた。


「くらえ!」


 少年の右拳がオブライアンの顎を射抜く。人に殴られたのはいつぶりだろう。鼻の奥にツンとした痛み。鉄の味が口内に広がった。


「何をする!私は大統領だぞ…」


 オブライアンは顔を押さえながら言った。同時に腸も痛み出す。


「こいつを、お前に喰らわせてやる」


 少年は、バッグから何かを取り出した。ナイフか銃か。オブライアンの背筋に冷たいものが走った。


「待て…早まるな!」


 叫び声は、ドアが閉まる音と共に塞がれた。


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 ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブブブブブブブブブブブ…


 バビュン、バビュン…バブルルルルルル…


 …ブリッ!ビチ!ビッ!バブリ!


「クソ大統領が!汚ねぇモノを飛び散らせやがって!」


 数分後、ホテルの室内に響き渡るのは、少年の怒号とオブライアンの呻き声だった。


「しょうがないだろ…」


 命じられるがまま、四つん這いにされたオブライアン。根本までずっぷり包み込まれた電動式玩具。


 少年がそれを深く、浅く、出し入れするたび、菊の花弁から、珈琲色したゲル状の飛沫が純白のシーツに飛び散る。オブライアンはその様子を足の間から見て、羞恥に顔を歪めた。


「やめ…やめてくれ…頼む…頼むから…」


 ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュンというモーター音に、ブリリ、ブリリ、ビッ!ビッ!ブッ!という情けない音が混じる。


「すんなり入ってるじゃねぇか!」


 オブライアンの呻き声が、甘美な様相を示し始めるのを見て、少年が意地悪く罵る。少年の玩具遣いは巧みだった。「なぜこんなに巧いんだ。日本の高校生は日頃から恋人にこんなものを使っているのか」とオブライアンは歯を食いしばった。


「てめぇ、初めてじゃないな?」


「ああ。そうだ…君の言うとおりだ…」


 目頭に涙が滲み始める。オブライアンはすべてを認めてラクになるのを選んだ。


「これだけ太いモノが入るのは大学(カレッジ)時代以来なんだ…だから…そんな、乱暴に虐めないでくれ…頼む」


 頬が熱くなった。異臭が漂うベッドの上、苦痛から開放されたオブライアンは、歓喜の鳴き声をはじめた。


「やめ…やめてくれ…、お願いだ…やめ…やめないでくれ…やめないでくれ…そのままもっと、もっとぉ!」


 ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…


「おえっ、ぶっ…、ちゃっかりキノコが直立してるじゃねぇか!くせぇ!おえぇ!クソ!」


 少年は吐き気を堪えながら、吐き捨てるように言った。


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 数十分後。

 室内には異臭が立ち込めていた。

 少年は洗面所で吐き続けている。


 点在する茶色い染み。

 シーツだけでなく壁や床、ベッドサイドに置かれた高級腕時計や携帯電話、文庫本、国家機密に関する書類ファイルにまで被害は及んでいた。


「ああ、なんてことだ…部屋がめちゃくちゃだ」


 オブライアンの妻―、ファーストレディ・シェリルのポートレイトにも、珈琲に似た汚物がしっかり飛び散っていた。顔を汚されても愛しい妻は可憐な笑みを湛えたままだった。


「すまない…シェリル…すまない」


 何に対する謝罪なのか、オブライアン本人も分からなかった。白いワイシャツに下半身は裸という状態でベッドに座り、しくしくとむせび泣いていると、さきほどまで蹂躙の帝王として君臨していた少年が洗面所から戻り、仁王立ちをしながら「いつまでも泣いてんじゃねぇぞ、クソ大統領」と言いながらオブライアンを睥睨した。


「外のトイレの個室でSPたちはノックダウン。中ではクソまみれ。米国大統領の権威も失墜だな」


 少年は、呪詛を吐いた。悪意に満ちた笑みでオブライアンを見下ろす。


「ま、まさか…そのサングラスは」


 オブライアンは少年のサングラスのフレームに小さな穴があるのに気づいた。


「ああ、そうだ。察しがいいな。このフレームには、小型カメラが内蔵されている。その気になればこれを動画サイトにアップして、あんたを人気者にさせてやれるぜ」


 少年はサングラスを右人差し指で弾きながら笑った。


「何が目的なんだ」


「偽名を使っても仕方があるまい。俺は有働努。内木孝弘の友人だ」


「タカヒロウチキ…?」


 オブライアンは聞き覚えのない日本人の名を復唱した。


「てめぇ!」


 少年―、有働の拳が腹部にめりこむ。


「ぐっ」


 オブライアンの菊の花弁から、直腸に残留していた汚物が「ビチッ」と音を立てて飛び散った。


「な、なにをするんだ」


「てめぇのせいで吹っ飛ばされた高校生の名も忘れたのか!ふざけんじゃねぇぞ!」


 鬼の形相。有働の拳は震えていた。


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「すまなかった…」


「頭をあげろよ。そんなもんいらねぇよ」


 有働は消え入りそうな声で言った。


「私の…私の謝罪を受け入れてくれないのか?」


「謝罪なんて糞ほどの価値もねぇ。態度で示せ」


 訛りのある英語であれど、有働は難しい単語も交えながら持論を述べる。そして「何か」のスイッチが入ったように、目を輝かせながら嗜虐的な笑みを浮かべた。


「では、どうすればいい」


「正義を行え」


 有働はにべもなく言った。


「なに?」


「友人を死に至らしめたアンタを許せないが、殴るのはさっきの一発に留めておく。しっかり、働いてもらわねばならないからな」


「な、な…何をさせる気だ?」


「そう怯えるなよ。梅島の研究。中華人民共和国…人民解放軍…これだけ言えば分かるよな?俺は友人の死の原因を調べた…ありとあらゆる方法でな。ある筋からネタは上がってる」


 オブライアンの背筋に寒いものが走った瞬間だった。


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「有働くんと言ったか…君は何がしたいんだ」


「このままでは、一党独裁国家が、不死身の兵士を誕生させてしまう。世界七十億の平和と未来の為にあんたに動いてもらう」


「私にできることなど限られているんだぞ。そう簡単に右から左へは動けないんだ…」


「なぁ…、あんたが動けないのは、別の理由があるんじゃないのか?」


 有働の眼光がオブライアンを射抜く。およそ十代の少年とは思えぬ、数多の修羅場を潜り抜け、あらゆる不誠実を見抜く目つきだ。


「何が言いたい」


「米国政府も、あの永遠の命とやらを狙っているんだろう」


「何…」


 オブライアンは唾を飲み込んだ。


「だから…中国や韓国が梅島で行っている研究の証拠を握っても、米国政府は未だ公に糾弾できない」


「な、何を…」


 オブライアンの動揺を察して、有働は口の端を歪めた。


「どう考えてもおかしいよな?脅威とみなせば爆撃を繰り返し、他国の政治にまで口を出す、でしゃばりな米国政府がやけに大人しいじゃないか。背後(バック)に大物でもついてるのか?」


「そ、それは…」


 有働の問いかけに、オブライアンは口ごもる。


 正解だった。すべては民主党上院議員、ジェイムズ・ゴッドスピードの意向だった。彼は、叔父のダニエル・ゴッドスピードが秘かに研究している「永遠の命」を、自らも欲しがり「永遠の命が確実なものとなったいま、あの研究を公にするのは、やめてほしい。全て水面下で処理してくれ」と薄い頭髪を撫でつけながら、何度もプレッシャーをかけてきた。


 ドールアイズこと、マイケル・ホワイトよりも優先順位が高い飼い主の顔を思い出し、青ざめたオブライアンは「おお、神よ」と呟く。


「…なぁ、オブライアン。あんた、大事なことを忘れてないか?」


 オブライアンは、はっと我に返る。


「大事なこと…?」


「正義は…」


 有働は深く息を吸った。


「…打算や損得で行うものではない!心で通すものだ!」


 怒号。


「はっ」


 心臓を鷲掴みにされた。オブライアンの鼓動が加速する。


「あんたに正義はあるのか?いま立ち上がらなくて、どうする!何のため、そこまで登りつめたんだ?誰かの飼い犬になるためか?違うだろ?」


 有働は声を張り上げる。


「はっ」


 瞼が痙攣を始める。動悸。大統領就任時の宣誓式以来の緊張感だった。


「永遠の命など蔓延したら、世界はめちゃくちゃになる!どこかの金持ちがそれを欲しがっていようが、それを阻止するのが法治国家であり、世界警察である米合衆国政府の使命だ!」


 怒号。有働の喝が室内に響く。


「はっ」


「今こそ戦え!そのための大統領だ!偽善者ではなく、本物の英雄になるんだ!」


「はっ」


 身体中の動脈を、酸素が駆け巡る。明瞭な視界に、うすぼやけた幻が浮かぶ。有働という日本の少年の背後に見える影…。


 それは…。


「トミー…そこにいるのは、トミーなのか?」


 数年前に他界した古き友人…いや恋人の姿だった。


「誰だ、トミーって?」


 首をかしげる有働をよそに、オブライアンの目に映るのは、トミー・ランバート軍曹の姿だった。


「トミー…この有働という少年をつかって、君がくれたメッセージなんだね?」


 宙を見つめながら、涙を浮かべる。


「ごめん、トミー」


 オブライアンは、大統領予備戦を控えた「ある日」の出来事を思い出した。


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 七年前の一月―。

 オブライアンが、米合衆国大統領に就任するちょうど一年前。


 あれは、大統領予備戦が迫り来る寒い日だった。


「なぁ、トミー。一部パパラッチが嗅ぎまわっているようだが…あの夜のことは、ずっと胸にしまっておいてくれ。大事な時期なんだ」


 利きすぎる暖房のためコートを脱ぎながら、オブライアンは、退役軍人施設の個室で友人に話しかけた。


「もちろんさ。俺とお前だけの秘密だ、オブライアン」


 ベッドでそう答えたのは、トミー・ランバート軍曹。目尻に皺を寄せながら薄い青の瞳を潤ませながらオブライアンを見つめていた。


「僕らは大学(カレッジ)時代の親友。これまでも、これからもだ」


 オブライアンは、首から下が動かない友人の手を一方的に握りながら言う。その目には光るものがあった。


「ああ。あんな素敵な日々をなかったことにするのは寂しいけどね」


「すまない」


 二人の男を沈黙が包み込む。見舞いの花束の芳香すらも甘美な過去には敵わない。数秒か、数分か、時が流れた。


「その代わり…大統領として、正義を貫いてくれ」


 トミーが言葉を紡ぐ。


「正義?」


「肩書きではなく…本物の大統領になってほしい」


 声が震えていた。涙を拭うことも敵わない彼は顔を上げていた。


「トミー…」


「この俺を見ろ。中東で背骨を撃たれ全身麻痺だ…かつて君を楽しませた、俺の極太ジョニーも感覚がまるでない」


 涙の雫が溢れ出すのを恥とせず、トミーはまっすぐオブライアンを見つめながら言った。


「なんと言ったらいいか」


 いつの間にか、オブライアンの頬も濡れていた。


「なぁ、オブライアン。戦争をするのが大統領じゃない…戦争を回避するのが正義…真の米合衆国大統領だ」


「真の…大統領…」


「ああ、そうだ」


 眩しい笑顔。窓から差し込む太陽よりも、屈託のない笑顔がオブライアンに向けられる。


「今はむりでも…これから先、俺のような境遇の兵士をつくらないでほしい。米国に限らず…全世界の兵士が、誰も撃たず、誰にも撃たれず、一生を終えられるような…そんな世界にしてくれ」


「トミー」


「君ならやれるさ、オブライアン大統領」


 数週間後、対立候補者である女議員ヒルダに予備戦で連勝し、一気に指名争いをリードしたオブライアンはその翌年の一月、大統領への階段を駆け上がった。


 トミー・ランバートはその吉報を見届けるようにこの世を去った。呼吸器不全だった。


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「トミー…君と交わした…あの日の約束を…僕は守らなければならない」


 握りこぶしが震える。身体が燃え滾るようになっていた。少年時代の夢「大いなる正義を成すこと」そして、かつての友人、いや恋人との誓い「平和な世界実現」が直列に繋がった瞬間だった。


「飼い主が誰かなんて関係ない。私は大統領なんだ」


「ひとりでなに言ってやがる」


 有働はあっけらかんと言い放つ。


「私の負けだ…目が覚めたよ。有働くん」


「なに?」


 深呼吸をする。正義の血流が躍動をはじめる。心臓音(ハートビート)まで、有働に聞かれていやしないかと、オブライアンは少し照れた。


「私のすべてを賭けて…世界七十億の未来のため、大規模な戦争がおきないように…米国政府は、正義のために動こう」


「その言葉にウソはないな?」


「ああ。そして私たちは、これからは友人だ」


「よし、あんたを信じよう」


 二人の男は、人種や国籍、年齢や立場を超えて、がっちり握手した。


「その前に」


「何だ」


 怪訝な顔の有働。オブライアンは「それ」を頼むべきかどうか、数秒ほど迷った。


「…もう一度、そのスイッチを押してもらえないだろうか。君はすごかった。その…リズムというか、手首の動かし方が」


 気恥ずかしい。妻を初デートに誘ったあの日を思い出す。オブライアンは筋金入りの両刀使いだった。


「てめぇ」


 怒気が含まれた、有働の反応。


「過去を思い出し、昔の自分に戻るためにも…こじ開けなければならない門なんだ」


 オブライアンはすまなそうに言った。有働は鼻にティッシュを詰め込みながら深い溜息をつく。


「そっちのケはないが仕方がない。四つん這いになれ!」


 有働に蹴飛ばされ、オブライアンは「きゃっ」と少女のように小さな悲鳴をあげる。やがて咳払いをしたのち、体勢を立て直し、頬を桜色に染めながら、素直に四つん這いになった。


「大統領さんよ、しっかり動画撮影してやるからいい声で鳴けよ」


 悪魔のような少年の言葉に、スフィンクスのような姿勢のまま、「うん」という期待の相槌と共にキノコが上下に動き、やがて痙攣と共に透明の雫が、ピッピと糸を引いて飛び散った。


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 悪臭漂う数十分が、経過した。


 四つん這いのオブライアンは、二度ほど白濁とした欲望を放出した。


 グイングイン…グウィンウィンウィンィィィン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…グイングイン…グウィンウィンウィンィィィン…


「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい、もももももっとぉぉおおお」


 オブライアンの後ろで有働は吐き気を堪え、えづきながら「黙ってろ、欲張りめ」と罵った。深い場所からグイングイン…グウィンウィンウィンィィィンという音に変わりはじめる。


「ああああああああああああああああああ」


 有働は手首を緩め、オブライアンの耳元に口を寄せた。


「なぁ、大統領さんよ。場合によっては、中華人民共和国に、国際緊急経済権限法を適用してもらう。いいな?」


「ななななななななな、なにぃいいいいいい?」


 国際緊急経済権限法―。


 それは、米合衆国の「安全保障」や「外交政策」「経済」に対する、異例かつ、重大な脅威に対し、非常事態宣言後、米合衆国で司法権の対象となる資産を没収し、外国為替取引、通貨及び有価証券の輸出入の規制、禁止などを行使できる法律―、いわゆる「経済制裁」と呼ばれるものであり、議会を必要とせず大統領令一つで適用可能な強権である。勿論、中国共産党幹部が米国口座にある資産も、その適用に含まれる。


「そそそそそそそそんんんんなここことしたら、べべべべ、米国債の信用ががががががが」


 案の定の、オブライアンの反応。


 中華人民共和国は、日本と一、二を争う米国債の保有国で、その額、日本円にして百三十兆円―、国家予算に匹敵する額となる。


 それを一瞬にして無効化させる法律である。


 これまでロシアや中東テロ組織に行使してきた実例はあるが、国際社会での理解を得られぬまま、世界有数の米国債保有国への国際緊急経済権限法を行使すれば、米国債の信用失墜、米ドル暴落は免れられない。いわゆる「経済の核ボタン」を押す未来を一瞬想像して、あの日、オブライアンは青ざめ、固いキノコは、萎れていった。


「世界が破滅するよりはいいだろ。中国が永遠の命を手放さなければ、相互確証破壊の概念も崩れ去る」


 有働はにべもなく言った。


 相互確証破壊―。


 核戦略に関する概念、理論、戦略。A国がB国に対し核兵器を用いた場合、B国からの核兵器による報復は必至であり、最終的にA国B国ともに核兵器により破壊しあうことを互いに確証するものである。


 事実、この概念が「喪失の脅迫」となり核抑止に繋がり、この七十年間、核兵器による戦争は行われていない。


 有働は、永遠の命、不死身の兵士などが横行すれば、この「相互確証破壊」の概念が崩れ去り、積極的に核兵器を使用する国家が出てくると主張する。


「だだだだがががが」


 振動に合わせて声が震えるものの、至ってシビアに反応するオブライアン。


「いずれにせよ、中国は、今年になってから少しずつ米国債を売却しはじめているそうじゃないか。何かの前触れとしか思えないな。そんな中で永遠の命について言及されれば、一斉に米国債を売り払い、お前ら米国経済をつぶしにくるかもしれない。その前に中国の保有する米国債を無効にするんだ…考えがある。俺がやれと言ったら、そのタイミングでやれ。いいな」


 その言い分は正しかった。

 永遠の命と言うものが発見されてから、世界は一変した。ここ数十年で培ってきた世界の常識が常識でなくなっている。


 本来ならば、米合衆国と中華人民共和国は、経済で切っても切れない関係にあり、片方が倒れれば、双方ともに痛手となるのは必至だった。


 しかし―。

 永遠の命と言う神からの贈り物を受け取ってしまった中華人民共和国が、目先の経済的損失を怖れて、米合衆国の忠告を素直に受け入れるとは限らない。


 失うものが目に見えていても、取り憑かれた国家は、暴走をはじめる。


 例えば―。

 第一次大戦前夜のイギリスとドイツ。第二次大戦前夜の日本とアメリカは、それぞれ経済に強い繋がりがあったが、大義名分やメンツのために、いとも容易く戦争は起きてしまった。経済と安全保障は必ずしも一体化ではないという見本だった。


 戦争は起きてはならない。

 しかし、未来に七十億規模の被害の出る戦争を回避するためには、火種となり得る「永遠の命」を徹底糾弾し、場合によっては、中華人民共和国に「米合衆国のホンキ」を見せなければならない。結果として多少の小競り合い、万単位の血が流れるだろうが、将来的に大爆発が避けられないならば、手前で小さく爆発させてしまった方がいいだろう。


「トミー。君の言うように、戦争のない世界を目指すよ。でも、そのためには最低限の戦争は必要かもしれないんだ」オブライアンは、天国の愛しい友人に、心の中で言い訳をした。


「むむむむむむむむむむ」


 先手必勝―。やるなら徹底的に―。ただの脅しではなく、実力行使によって短期で結果を出すべきだ―。そう、中国の出方によっては迅速に経済制裁を加え、一気に武力制圧するしかない。


 眉間に皺を寄せて快楽に身を委ねつつも、オブライアンは米合衆国のリーダーとしての考えをまとめた。キノコが再び膨れ始める。先端の鈴口から透明のエキスが滲み出し、爆発の兆しを見せた。


「米国に帰ったら、中国の永遠の命の研究について公式に言及し、糾弾しろ…分かったか。俺がやれと言ったら、そのタイミングでやれ。いいな」


 有働はそう言うと、オブライアンの体内に、電動式玩具をギリギリの深い部分まで、思い切り押し込んだ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!わわわわわわわ、わかったぁぁああああああ!だだだだからもももも、もっとぉおおおおおおおお!」


 グイングイン…グウィンウィンウィンィィィン…ブブブブブブブブブブブ…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン……ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…ブィィィィィン…ズヒュンズヒュンズヒュン…グイングイン…グウィンウィンウィンィィィン…


「ふん。分かればいいんだよ、分かれば」


 米国大統領が、日本の高校生、有働努の傀儡になった瞬間だった。嗜虐的な笑みを浮かべる有働の前で、オブライアンは三度目の白濁とした欲望を放つと「やれやれ…とんだ東京オリンピックに参加してしまったな。僕はいくつ金メダルを獲れただろうか?」と呟き、満足したような顔で気絶した。

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