第27話 お前が仕切らなきゃダメだろう

 5月31日(日)

 17時00分―。


 有働のスマホに振動あり。

 見知らぬメールアドレスが表示される。


「椋井にあるラブホテル―、テンプテーションの301号室まで来い。今のところは一切、手を出していない。だが、もしもサツにタレこんだら、お前のオンナがどうなるか分かるよな?」


「まさか、エミ」


 有働は参考書を閉じ、震える指で画像を開く。

 ダウンロードまでの数秒が永遠に感じられた。

 数秒後、画像が大きく表示された。有働の動悸は加速する。


「なんで吉岡が」


 添付された画像―。

 ガムテープで口を塞がれ、手足を縛られた莉那が写っていた。着衣に乱れはないが、挑発のつもりだろうか、莉那の足元には巨大サイズの「電動式玩具」が、これ見よがしに転がっている。


「クソどもが」


 椋井―。

 ということは、以前、しめてやったカマキリ男のツレに違いない。だが報道を見る限り、カマキリ男は有働の言うとおり自首したはずだった。


「執行猶予がついて報復に出たのか」


 有働の奥歯が軋みをあげる。いつぞやの老婆の家から帰る途中の視線の正体がやっと分かった。一緒に歩いていた莉那を「有働のオンナ」だと勘違いしたのだ。


「くそ…俺のせいだ」


 有働は、もしものために刃物にも効果がある防弾チョッキを着用し、その上に動きやすい黒のパーカーを着込んだ。


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「まずは敵地の調査だ」


 有働はそう呟くと、スマホで指定されたラブホテルを調べた。所在地、口コミ、すべてに目を通す。


《このホテルは、フロントがなくて支払いも自動精算機なので、従業員に会うこともなく出入りできるのが最高です》

 おそらくは不倫に勤しむ五十代会社員の書き込みだった。

 なるほど、連れ込み犯罪の温床になるはずだ、と有働は溜息をつく。


《301号室を使わせていただきました。内装がとても綺麗だけど、ちょっと狭かったのが残念でした》

 二十三歳、OLによる書き込み。

 部屋の全体像が、写真でアップされていた。ワンルームの大半を占領するベッドとソファに、ユニットバス式の簡素な部屋だった。


「相手が何人か分からないが、この程度の部屋に詰め掛けられる人数など、限られているな。せいぜい十名ってところか」


 有働は舌なめずりをした。


 狭い場所であれば、壁を背にして前や横から現れる敵を一人ずつ倒せるという利点もある。全員からダウンを奪ったら、これまで以上のお仕置きをしなければならないな、と思った。


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「ちょっと出かけてくるよ」


 階段を降りた有働は、靴を履きながら1階の両親に声をかけた。


「おい、ちょっと待て!努!」


 非番の父が椅子から立ち上がり、有働に駆け寄る。

 有働の背筋に寒いものが走った。


 父はパーカーをめくり、有働の体をまさぐる。


「なぜ防弾チョッキを着てるんだ?」


 父の問いかけに有働は何も答えなかった。


「こんな暑い日に、厚手のパーカー。おかしいと思ったんだ」


 沈黙。


「何かトラブルか」


 再び父からの問いかけ。


「トラブルなんてないよ」


「年末コンサート占領事件だって…本当は事前に何か知っていたんじゃないのか」


 目を合わせようとしない息子の肩を抱き、父は母に聞こえない程度の小声で言った。


「何を言ってるのか分からないよ」


 有働の背筋に大量の汗が流れ出た。

 これ以上、父を騙し通せるとは思えなかった。


「もし知っていたなら…、お前の行為は凶器準備集合罪にあたる。他にもいろいろ罪状が重ねられるだろう」


 父は有働を「無垢な子供」とは思っていなかった。

 その目は真剣だった。


「だったらどうするっていうんだよ」


 有働は思案する。

 こうしてる間にも莉那はあの男たちによって恐怖を与えられ続けているはずだ。

 自分はどう動くべきか。

 場合によっては実力行使で、父を倒し、椋井へ赴く必要も考えられる。


「努、こっちへ来なさい」


 父は有働の首根っこを、ものすごい力で引っ張り、1階の父の書斎まで引きずった。台所の母がそれに気づいた様子はなかった。


 何より驚いたのは、父の腕力だった。


 有働の想定よりもはるか上―、恐らく権堂や誉田と同じくらいの腕力を備えているだろうと思えた。


「痛いな、何すんだよ。オヤジ」


 有働の言葉に怒気が含まれる。

 父を倒すなら一撃で急所を突くしかないと思った。


「お前はこれまで二度の重大犯罪に関与している。このままじゃどうなるか分かるか」


 父からの問い。有働は何も答えなかった。

 父の書斎に入るのは初めてだった。「法治国家とは」「倫理」「社会心理学」などのタイトルが目に入る。


「公安警察に怪しまれる」


 有働は息を呑んだ。


 父が言うこの「公安警察」とは―、警察庁と都道府県警察の警備警察にあたる公安部門の総称である。


 主に「国家の体制を脅かす事案」に対応する組織であり、極左暴力集団、日本共産党、社会主義協会、市民活動や、新宗教団体、セクト(特殊組織)、右翼団体など「脅威になりうる団体や人物」を対象として、捜査、情報収集を行い、法令違反があれば事件化して違反者を逮捕する権限を持つ「隠密組織」ともいえる。


 彼らの、対象者を秘匿に行動確認、尾行する手法は、旧ソ連KGBや米国CIAの工作官ですら絶賛するほど、高度で洗練されたものであり、彼らに目をつけられれば有働は今後、自由に行動をできず、嫌疑が晴れるまで永遠に公安の監視下に置かれるといっても過言ではない。


「お前のいるところ、いるところで事件が起きれば無理もない」


 父は語気を強めた。

 地方派出所の巡査である父は組織として統制された警察の完璧さ、執拗さを骨の髄まで理解している。


「じゃあどうしろっていうんだ」


「何があったのか話しなさい。そのための警察組織なんだ」


 父は真っ当な解決方法を提案してきた。

 有働は何も言い返せなかった。


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 18時過ぎ―。


 有働は父とともに地元警察を連れて、ラブホテルの301号室へ向かった。


 共働きの吉岡家には電話が通じず、親戚にあたる和菓子屋「仁源堂」も不破勇太の一件で閉店し、よその町へ引っ越していってしまったため、有働親子が証拠のメールをもって警察に届け出ることとなったのだ。


「警察だ」


 合鍵で中に入った制服警官数人を見送りながら、301号室の外の廊下で、普段は姿を見せないホテルのオーナーと共に、有働親子は成り行きを見守っていた。


「くそ!有働、てめぇ汚いぞ」


 制服警官に手錠をはめられ、中から出てきた大柄な男が怒鳴り散らす。

 彼が何者なのか、一発で分かった。


 あのカマキリ男―、免許証によると、たしか名前を長峰慎一郎といったか。

 おそらく彼の兄だろう。カマキリ男の顔の特徴はまったくそのまま、彼を十年老けさせたような風体だった。


「マジかよ!こんなことなら、あん時、ムリにでもしゃぶらせときゃ良かったぜ。くそ」


 続いてモヒカンの少年が、警官に小突かれ出てくる。


「あの時、長峰さんがパーカーに入ったままの財布を取りに戻ってこなけりゃな…くそ」


 双子の片割れ―、ボブカットの少年が吼える。


「おい!有働、コラ!てめぇのせいで弟は実刑くらったんだ!絶対に許さないぞ!クソが」


 長峰はホテルの廊下で吼えた。


「自業自得だ!」


 有働も声を張り上げた。

 莉那を巻き込んだ犯人への憎しみが吹き出すのを必死で堪えた。


「関係ねぇ!お前は俺の弟の大事なものをぶっ壊した!あいつはお前のせいで嫁さんやガキを失ったんだ!」


「おい、暴れるな」


 警官に押さえつけられながら、それでも長峰は吼え続けていた。


「覚悟しておけ!いつかお前を潰してやる!」


(弟にしても、あんたにしても自業自得だろ)


 有働は、警官の手前、溜息と共に本音を飲み込んだ。


 三匹の獣がフロアから消えた後、少ししてから部屋の中から怯えきった吉岡莉那が、婦人警官に保護される形で出てきた。


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「有働くん」


 莉那は泣き顔のまま、有働を見つめた。


「すまない」


 謝る有働。

 近づく彼らを見て、有働の父と婦人警官は気を利かせたのだろう。二人から距離を置いた。


「怖かったよ…有働くん」


「俺のせいだ。あいつらは俺が狙いだったんだ」


 有働は莉那の肩を抱いた。


「事情は、あいつらの話してた内容で何となく分かる…権堂さんのお母さんを守ったんでしょ?」


「そうだが…すまん。吉岡」


「私ならいいの。運よく何もされなかったし…」


 莉那は泣き顔のまま笑っていた。


「でも…、でも、今回も助けに来てくれるって、信じてた」


 有働は何も言えなかった。


「信じてたよ。ありがとう」


 莉那は婦人警官に付き添われ、先にエレベーターに乗っていった。


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 6月6日(土)

 12時過ぎ―。


 焼き肉屋「辰前」のテーブル席で、有働は焼き肉をつついていた。


 誉田、春日と向き合い、有働の右隣には久住。内木はデートで忙しいらしく欠席だった。


「なぁ、有働」


 誉田はそう言いながら、ウーロン茶のジョッキを置いて溜息をついた。


「言いづらいがよ。お前にも責任があると思うぞ」


「分かってます。吉岡にも謝りました」


「そういう意味じゃなくてよ。その何ていうかよぉ」


 と誉田が言いかけたときだった。


 景子目当てで店の手伝いに来ている遠柴が、皆で注文したカルビとロースの皿を置きにきた。


 汗だくの遠柴は、有働と目が合うと、不満そうに厨房を指差した。


 景子と間壁が親しげに話し込んでいた。自分だけ蚊帳の外に置かれたと思ったのか、遠柴はひどく落ち込んでいた。「頑張ってください。まだ負けたわけじゃないですよ」と有働が小声で言うと、遠柴は薄く笑顔を浮かべ引っ込んだ。


 誉田は、有働と遠柴のこのやり取りを、奇妙な目で見ていたが、咳払いをひとつすると話を続けた。


「何ていうかよ。椋井に誰も纏めるやつがいないのは、お前も分かってたはずだ。纏めるやつがいなきゃ、イカれたやつが好き勝手するのも無理はねぇだろう」


 腕組みをしながら誉田は言った。その左隣で春日が意地汚く塩タンを食いながら首を縦に振った。誉田の主張に対する頷きのつもりだろう。


「それによ、権堂がいない殷画は、軍隊のない国と同じだ」


「何が言いたいんですか」


 有働は箸を置く。誉田は深く頷いた。


「いつかまた、椋井の連中が襲撃に来るかわかんねぇぞ」


「そうですね」


「いくら平和な日本だっていってもよ、政治や経済、極道…どこだって同じだ。世界は陣取りゲームなんだよ。有働」


 誉田はジェスチャーのつもりか、意味あり気に鉄板を指差した。


 そこでは所狭しと沢山のカルビが焼かれ、ロースやタンは少数、鉄板の端に追いやられていた。


 有働は「これは需要と供給の問題であって、陣取りゲームの例えとしてはどうかな」と感じたものの、とりあえずは頷く。


「多めに焼いといてよかったぜぇ~」


 春日の独り言と共に、沢山のカルビは春日と久住によって掻っ攫われ、一気に半分まで減り、ロースやタンと同じ枚数になった。


 誉田の得意げな顔が一瞬、曇るのを有働は見逃さなかった。


「僕はどうすればいいですか」


 煙が目に染みる中、有働は誉田の目をじっと見つめた。


「権堂が帰国するまでの間、お前にできることを、お前がやればいい。そうだろ?」


 誉田はふん、と軽く笑いながら言った。

 今年の春、日本を立つ際の権堂ですら言わなかった言葉を、誉田は簡潔に述べた。


(衝動的に何かをしたいと思ったとき、自分の心に耳を傾けなさい)


 いつかの新渡戸教諭が、有働に投げかけた言葉が蘇った。


(殷画を椋井の連中に好き勝手、荒らされたくはない。だからといって、警察が動くような話でもない。解決するためには…)


 有働は思った。


「ありがとうございます、誉田さん」


 有働はなにか憑きものが落ちたような表情で、誉田に礼を言う。


「ていうかよ、お前がその気になれば、犯罪組織…いや、国家そのものさえ滅ぼせるんじゃねぇのか?」


 そう言ってから誉田はウーロン茶のお替りを厨房に向かって叫ぶ。


 遠柴と景子が、同時に出てきてぶつかる。


 二人は互いに謝り合いながら、一緒にテーブル席にやって来て、景子が空の皿を、遠柴が空のジョッキを下げていった。


 遠柴は去り際、有働に親指を立てていた。


「…なんてな、それは言いすぎだわな。俺に出来ることはなんでも力を貸すぜ。なんせ殷画と往訪は同盟国だからな」


 誉田は、まるで兄貴のような振る舞いで、有働の肩を叩いた。


 いつかの権堂を思い出す。

 久しぶりに権堂に連絡を取ってみようかと有働は思った。


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 6月7日(日)

 13時20分―。


 有働はバスを使って椋井まで赴き、古びたゲームセンターに赴いた。


 柄の悪い連中が十名弱。

 不真面目な勤務態度の若い男性店員は、外の駐車場でタバコを吸いながらスマホのアプリに夢中になっていた。


「おい、お前ら」


 有働の声に振り向きもせず、対戦ゲームで肩を揺らすオールバックの男が「くそ!負けたぜ」と言いながらゲーム機の本体に拳をぶつけていた。


 後ろから、その襟首をつかまえる。「あんだコラ」と威勢よく振り向いたのは、有働の知った顔だった。


「あ、有働さんっすか。ちぃっす」


 以前、有働がボコボコにしてやった鼻血男だ。

 周囲の連中もあの日のことを思い出し、怯えた表情に変わる。


「お前ら、最近、殷画に足を伸ばしてるよな」


 有働の問いかけに、鼻血男は「待ってください!俺は一度も殷画には足を踏み入れてないっすよ」と答えるも、目は泳いでいた。関与はしていなくとも、関知はしているということだ。


「板チョコ食ってる、そこのお前!この前、六道坂の駐車場で俺のダチをカツアゲしようとしたよな」


 有働の右人差し指の先―、おそらく柔道部出身か。耳の潰れた少年が板チョコを食いかけたまま「あ?」と呟き、有働を睨んだ。


 周囲の何人かが柔道少年に「やめとけ。あの人に喧嘩を売るな」と囁く。


 だが少年は、意にも介さず板チョコを知人に預け、ズイと周囲を押しのけ有働に近づいた。


「あ~んだ、お前~?この前、ガタイのいい二人組の影に隠れてたヤツかぁ」


 柔道少年の挑発。


 あの時たしかに「まて有働、俺らがとめてくる」と、春日と久住が前に出た。有働は二人に任せ後方で成り行きを見守っていた。


(舐められても仕方がないな)


 有働は溜息を漏らした。


 実力行使しかないと考えた有働は、古着屋で買ったばかりの十字架の四隅に髑髏が配置された、毒々しい八十年代ヘヴィメタルのビンテージバンドTシャツの袖を捲くった。


「一発で終わらせてやる」


 有働は、身長百八十弱、体重百キロほどはある柔道少年に歩み寄り、サっと右拳を彼の胃に思い切りめり込ませた。


 少年は崩れ落ち胃液を吐き出し、やがて前のめりに倒れた。

 有働による格闘ゲームさならがの鮮やかなKOに、取り巻きが息を呑む。


「加減したから、胃袋は破れてないはずだ。大げさに苦しむんじゃねぇよ」


 そう有働は呟き、右足で倒れた少年の頭を踏みにじり「舐めたクチ聞いたらぶち殺すぞ」と低い声で恫喝した。


 少年は「すいません」と言いながら吐き続ける。


「辰前襲撃事件主犯の長峰の一件もそうだが、俺を怒らせたいか」


 有働は、椋井の連中を睨みつける。


「い、いや、待ってくれ!長峰と俺らは一切関係ねぇよ…あの兄弟は昔からまじイカれてるから、みんな距離を置いてたくらいで…あんたが今、踏んづけてるそいつだって、カツアゲはともかく、長峰兄弟とは関わりがないはずだ…」


 圧倒的暴力を見せつけられた鼻血男が、有働に媚を売る。


 たしかに前回、長峰弟の居場所を吐いたのはこの鼻血男だった。その言葉は嘘には思えない。


「知るか!俺から言わせりゃ敵か味方か、それだけだ!分かるか?」


 有働はあえて、横暴に振る舞った。「個人ではなく、椋井という町そのものに問題があるんだ」という論理に持ち込むためだ。


「そ、そんな」


「この町で一番、強いやつは誰だ」


「つ…、強さでいえば、五味年男(ごみとしお)…間違いなくあいつだと思う。この町の強面(こわおもて)の誰もが避けて通るほどだ。今あんたが踏んづけてるそいつは五味の後輩にあたる…。もしかしたら、そいつらがカツアゲ目的で殷画に足を伸ばし始めたってのも、五味の指示かもしれない…。だ…、だろ?」


 鼻血男の言葉に、柔道少年が「そ、その通りです」と地面に這ったまま頷く。


 黒幕を突き止めた有働は、薄く笑った。


「五味とやらをぶっ倒してやる。連れて来い」


 有働は柔道少年を思い切り蹴り上げてから言った。


 少年は「ごめんなさい、ごめんなさい。もう殴らないでください」と言いながら泣いていた。


「あ、あんた何が目的だ?ダチをカツアゲされた復讐か?」


 鼻血男の問いかけ。


「復讐なんかじゃない。そいつに勝ったあと、この町を俺に仕切らせてもらう。これは陣取りゲームだ」


「仕切る?何をだ」


 鼻血男は、言葉の意味を理解していなかった。


「俺は殷画の代表として言ってるんだ。無法地帯の椋井が俺たちに敵対するか、下につくか。それだけの話だ」


 有働の恫喝に、その場にいる全員が震え上がった。


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 14時過ぎ―。


 柔道少年の携帯を使って呼び出された五味年男は、身長百九十ほどある、大柄な男だった。


「あんだ?てめぇは」


 五味は有働に吼えかかった。

 短く刈り込まれた髪に刃物で切り裂いたような相貌が、粗野な印象を与える。


 喫煙を終えた男性店員は、店内の椅子に座りコミックを読み、震えながら見て見ぬふりをしている。警察を呼ばれることはなさそうだった。


「俺は、権堂さんの代わりに殷画を仕切ってるんだが…あんたの下についてる奴らの何人かが、殷画で好き勝手してるみたいでね。あんたの差し金らしいじゃないか?」


 有働は、二十センチほど身長差がある五味の顔面に、どうやって拳をめりこませるか思案した。


 普通にやっても届かないだろう。ならば―。


「うるせぇよ、ぶっ殺すぞ、チビ」


 五味の右拳が、上空から振り下ろされる。

 有働はそれをスイ、と左にかわした。


「な、なに?」


 空を切った自らの拳を見つめ、唖然としている五味がそこにいた。


「隙だらけだ、でくのぼう」


 有働は両手を素早く伸ばすと、五味のチェック柄のシャツの襟を両手でガッチリとつかみ、全体重をかけた。


 首にかけられた六十キロの重みに耐えられず、五味はドスンという音とともに体勢を崩し膝をついた。


 アーケードゲームの据え置きの椅子が、五味の腕にぶつかり派手に転がった。


「今度は背筋も鍛えておくんだな」


 五味の顔面が低い位置にきたところを、すかさず有働は右拳をめりこませた。


 鼻血が飛び散る。


 恵まれた体格と腕力だけで勝ち残ってきただけの暴れん坊は、たった一発で脳震盪をおこし、意識を失った。


 店内いっぱいに集まった椋井のギャラリーたちは、有働を憧憬の眼差しで見ていた。


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 数十分後―。


「も、もうやめて…こ、こ、殺さないで」


 有働は五味が目を覚ますたび、顔面や腹を殴り、何度も何度も気絶させた。四度目の覚醒で恐怖がきちんと擦り込まれたのか、五味は泣き始めた。


「俺の敵になりたいか?」


「な…なりたくないです」


 息を潜め、成り行きを見守っていた大勢の前で、五味は敗北宣言をした。


「ここらは俺が仕切る。好き勝手するんじゃないぞ」


「は、はい」


「それと他の奴が変な動きをすれば、すぐに知らせろ。仕切るのは俺だが、この町でも一目置かれてるお前には、まとめ役になってもらう」


 敗北が決定した五味の醜態を、ギャラリーたちが写真や動画で撮影しはじめた。それに気づいた有働は「やめろ」と一喝した。五味の敗北が形に残れば、次第に周囲に舐められ、椋井におけるまとめ役としての権威が消滅してしまうからだ。


 有働に睨まれた者たちは慌てて写真や動画を削除した。そういえば去年、誉田が権堂に土下座をしたときも、似たようなくだりがあったなと有働は溜息を漏らす。


「あ、あの…、ありがとうございます」


 有働が動画を削除させたのを自分のメンツを守るためだと勘違いしたのだろうか、五味が礼を口にした。


「俺の言うとおりにすればいいんだ。どんなときでも、俺が呼び出したらどんなときも来い。いいな?」


「はい。も、もちろんです」


 有働は五味と連絡先を交換し、ゲームセンターを去った。


 去り際、椋井高校の女子生徒に「あの、彼女はいるんですか?」声をかけられたが、無視してバスに乗り込んだ。


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 6月8日(月)


 ドイツで、G7サミットが行われた。


 フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、ロシア各国首脳が、国際的な経済や政治的課題について討議したが、その大半は非公式な内容―、つまり「梅島問題」についてであった。


 内容としては、かの韓国が「米韓相互防衛条約」を結ぶ、ある種、同盟国として親と子の関係ともいえるアメリカ合衆国の制止も聞かず、独断で中国の企業を梅島に招きいれ、秘密裏に「何か」の研究を進めているというものだったが、憶測の域を出ないということで、具体的な対策などは話し合われなかった。


「何かが具体的になってからですね。我々が問題解決に動けるのは」

 そう言ったのはロシアのプチョールキン大統領だった。


「何かを準備しているといった口調ですね。我々が踏みとどまることできず、核戦争にならないことを願おう」

 アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・オブライアンは彼を睨んで言った。


「グランパ…じゃなくて、ダニエル・ゴッドスピードさまの意識が回復しないのだけが心配だわ。彼も何か梅島の件に関わってるって噂よね」

 開催国、ドイツの首相メンゲルベルクが、いけしゃあしゃあと言う。あの日、ベッドで彼の相手をしていたのがこの好色女であるというのは、この場の誰もが知るところではあった。


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 6月13日(土)

 12時過ぎ―。


 有働は、焼き肉屋「辰前」奥のテーブル席にいた。

 その右隣には、有働に呼び出されて萎縮した五味がいる。


 有働と五味に向き合うようにして、誉田、春日、久住が座っていた。


「何はともあれよ、殷画、往訪、椋井の三つが無事に同盟を結べて良かったぜ」


 誉田は快活に笑った。

 春日と久住は、意味あり気に五味を睨んでいた。


 五味は、萎縮して何も言わない。

 往訪の誉田が目の前にいるからだ。


 生きた伝説―、権堂辰哉と肩を並べる小喜田内市の英傑―、誉田虎文を前にして、いくら粗暴な五味とはいえ、萎縮せずにいられるわけがなかった。


「俺と権堂が和解したのも、こいつ、有働のおかげだぜ。権堂は有働にタイマンで負けたし、俺だって敵う自信はねぇよ」


 誉田が有働を小突く。

 五味は驚愕の表情で有働を見つめた。


「つーかよ、五味。お前、高校いかなかったんだな」


 口を開いたのは春日だった。

 五味と春日、久住の三者が見つめ合う。


「なんだお前ら知り合いか」


 誉田は、遠柴が持ってきたウーロン茶をがぶ飲みする。


「小学校まで俺ら三人はダチでした。中学に上がる頃、五味だけ親の仕事の都合で椋井に引っ越して…五年、いや六年ぶりか」


 久住が言葉を紡いだ。


「お前らの町を荒らして悪かった。小学校時代の俺は、いつも春日と久住のあとをくっつくだけでよ…それが実は未だに悔しくてよ…殷画に恨みはなかったが…なりゆきでよ」


「もういい、言うな。また三人で遊ぼうぜ」


 春日の言葉に、五味は号泣していた。

 三人には、有働の知りえない物語があったのだろう。人目を憚らずゴツイ男たちは泣き始めた。


「俺らを再会させてくれた有働には感謝してるぜ」


 涙と鼻水を垂らしながら久住が言う。春日と五味が深く頷く。

 有働は「はあ」と曖昧に返事をするだけだった。


 誉田は蚊帳の外に置かれ、焼き肉を食い荒らし始めていた。「先週、リポリンにフラれたからヤケ食いだ」と言っていたが、元から大喰らいの男のため、鉄板の上の肉は一瞬で消えた。だが、この場で肉に興味を示す者は誰一人いなかった。


 有働はげっぷを堪え、箸を置くと、意味もなく厨房を見つめた。


 厨房では、遠柴と景子が仲良さげに話していた。

 間壁も話に加わるが、どこか遠慮がちだった。


 景子は、言葉数の少ない間壁をしきりに気にして、反応を促す。

 それを見た遠柴は、景子に振り向いてほしくて、さらに口数が増やす。


 この三角関係に、形勢逆転はあるのだろうか。

 

(遠柴さん。上司の立場を利用したか)


 苦笑する有働に、誉田が話しかけてきた。


「なぁ、有働よ」


 誉田は口の中のモノが邪魔で話しにくいのか、一気に飲み込むとウーロン茶で流し込む。


「なんですか」


「聞いてると思うが、権堂はいま、ニューヨークの地下ファイトで連勝しまくってるようだぜ」


 誉田は、厨房の景子に聞こえない程度の小声で言った。


「この前、電話で本人から聞きましたよ」


「もっと強くなったら、いつかお前とタイマンしたいとも言ってたぜ」


「それも言われました」


 有働は薄く笑った。


 権堂は今ごろ、どれほどまで強くなってるだろう。

 そう思った。

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