魔王、夜色遠見

 

「ダレン……目を、開けなさい」

「エレン……」

 どうしていいかわからず、思わずぎゅっと目を閉じたおれを叱る声。

 天真爛漫な彼女からは聞いたこともないその低音ボイスに、おれは咄嗟に目を開けた。

「逃げることだけは、許さない。考えることを止めることは、許さないから」

 逃げてなんか……そう言おうとして、口を閉じた。

 ぎりっと下唇を噛む。

 痛い。

 痛いのは、何だ。

 唇か。

 違う。


 おれは、逃げたんだ。


 誰かに答えを求めて、もうわからなくて、目を逸らしたんだ。

 すべてを遮断して、暗闇に飛び込んで、そうしておれは、誰かに事を委ねようとした。

 成り行くままに、身を任せようとした。

 そんなのは、見殺しだ。

 メイソンだけじゃない。

 おれも、エレンも。

 そして、この人間たちも。

 彼らがおれたちを殺せば、どうなる?

 彼らの誰かが、魔王だ。

 そうしたら、どうなる?

 混乱だ。

 パニックになって、そうして最後に辿り着くのは、ルーカスさんと姫だ。

 二人を助けたはずが、おれは二人を追い込むのか。

 悪戯に事を引っ掻き回して、誰もを負のスパイラルに巻き込んで。

 そうして何も為せずに、それこそ無意味におれは終わるのか。

「ごめん、エレン。おれは、甘えようとしていたよ」

 まだ、どうしたらいいのか、答えなんてものは出ていなかった。

 目の前では、男たちがメイソンを傷付けた武器――携帯式のロケット弾発射器を、こちらに向けて構え直している。

 答えはない。

 道は見えない。

 それでも、動くことはできる。

 迷いながらでも、おれたちは前に進むことができるんだ。

 人間だろうが、魔族だろうが。

 勇者だろうが、魔王だろうが。

 そんなのは、ただの言葉だ。

 人間だから、何だっていうんだ。

 魔族だから、何だっていうんだ。

 そんなの関係ない。

 誰かが決めた、ただの言葉なんて、そんなのおれは知らない。


 だって、おれたちは生きているのだから。


 だから、思うように動くことができる。

 誰がおれを、おれたちの行く先を阻み、行動を縛ることができようか。

 例えそれが、前と信じた後退する道であったとしても、構わない。

 今のおれが前だと信じているのなら、そんなことはちっぽけなこと。構うことはないのだから。

 だから、おれは目を開ける。

 しっかと見開いて、見据える。

 おれは、万能じゃない。

 すべてなど、救おうとするな。

 それは驕りだ。傲慢だ。

 すべてを失いかねない暴挙だ。

 であるから、おれはこの手で守りたいものを選ぶ。

 おれが決めたのなら、おれはその道を堂々と進める。

 例え、振り返って後悔をすることになったとしても。

 誰かを責めなくて済むのなら――

「また、一人で進もうとする」

「エレン……」

「ダレンの悪い癖だね。ほら、あたしも巻き添えにしてよ。まったく、一人で何でも背負おうとするんだから。あたしたちは二人で一つ、でしょ?」

「……本当に、エレンは馬鹿だ。こんなもの、一緒に背負おうとするなんて」

 どちらともなく指先が触れて、そしてぎゅっと握られる。

 モノクロの視界に、虹が架かったようだ。

 冷え切ったおれに、太陽が光を与えてくれる。

 栄養が隅々まで運ばれ、スッと冴え渡る。

 落ち着いたクリアな思考に、静かに息を吐いた。

 なあ、ダレン。思い出したか? これが本来のおれだろう?

 そうだよ。何を見誤っていたのだろう。自分を見失っていただなんて。

 まったく、ダメだな。気が抜け過ぎというものだ。

 慌てることなく、落ち着いて、考えることを続ける翼。

 彼女を、雄大な空へと飛翔させるための存在。

 おれが護りたいのは、いつだって変わらない。

 おれを焦がすのは、たった一人。

 彼女以外には、あり得ないのだから。

「エレンは、どうしたい?」

 男たちが、ただまっすぐ飛ぶだけの兵器をこちらへ向けて発射した。

「そうだなあ……ダレンと同じこと、かな」

「またそんなことを言って」

「だって、本当だもん」

 こちらへとまっすぐ飛んでくるそれを見ながらも、おれたちは逃げない。

 呑気に、いつもの調子で会話を続ける。

「あー、あと、おやつ食べたい」

「ははっ、そうだね。……了解。じゃあ、これが終わったらおやつだ」

 笑顔で見つめ合って、それから繋いだ手にぎゅっと力を込めて。

「それじゃあ生きますか、ダレン」

「そうだね。そうして逝こうか、エレン」

 それはずっと先の、こんな晴れ渡った日であれば、いいなあ……。

「クロエ!」

『無理よ。あんなに大きいの』

「それでも、頼むよ」

『……わかったわ』

 渋々飛んでいく彼女を見送って、おれは眼前を見据える。

 着弾まで五秒。

 でも、その五秒後は来ない。

「シルフ!」

 エレンが呼び出した風に、ロケット弾は軌道を変え、砂浜に墜落。

 爆発の衝撃がその場にいる全員を襲う。

 そうして惑い怯んだ男たちを、おれたちは追いつめる。

 その時だった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ――!」


 突如響いた音の衝撃が、おれたちの背中を襲う。

 その正体は、メイソンの雄叫びだった。

「うわあ! 巨人が!」

「逃げろ!」

 男たちが、恐怖の色にその瞳を染めて、足をもつれさせながら走り出す。

「メイソン!」

 呼び掛けるも、彼に声が届いた手応えがない。

 大きな彼が、壁のように何もかもを跳ね返してしまっている。

「メイソン! 動くな、怪我に触る!」

 もう一度呼び掛ける。

 だが、起き上がり動き出した彼には、こちらなど目にも入っていなかった。

 そして――

「なっ――!」

「あ――っ!」

 徐に男たちを。その大きな手で、人間たちを薙ぎ払ってしまったのだ。

 まるでスローモーションの映像を見せられているかのように、宙を舞う人間だったものたち。

 寂しい景色を彩るように、飛び散る鮮やかな紅色。

 白い砂浜を染めて、じわじわと広がっていく暗赤色。

 それはまるで、青と白の絵画にぶちまけられた、バケツをひっくり返した絵の具。

 ドサドサと降り積む肌色。

 そのうちの一つの目と、視線がぶつかった。

「――!」

 虚ろな、黒い瞳。

 おれを映してはいないと頭ではわかっているはずなのに、おれはその目から視線を外せないでいた。

 まるで、おれに何かを訴えてきているような気がして。

「メイソン!」

 気丈に呼び掛ける声にハッとする。

 囚われている場合ではなかった。

『ちょっとちょっと、あいつ暴れ出したわよ!』

「クロエ、無事だったんだね」

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