エレンの驚いた声を聞きながら、おれも呆然としつつも、ただただ茨が一人でに動く様を眺めていた。
「魔女の魔術だ。いちいち驚いてたらキリがねえぞ」
そう言ってリアムは、先陣を切って歩いて行く。
人一人分のスペースが空いたところで動きを止めた茨を横目に、おれはリアムの後ろをついていった。
全員が、縦一列に並んで歩く。
茨のトンネルを抜けると、また何もない道が続いていた。
後ろを振り返ると、ちょうどエマがトンネルを抜けたところで。
全員が通り抜けたのを確認したかのように、途端に再び茨が動き、確かに先程までそこにあったトンネルが、まるで幻であったかのように、どこにも見当たらなくなった。
「ダレンー?」
「あ、すぐ行くよ」
足を止めていたことにも、呼び掛けられて気付いた。
おれは、駆け足でエレンの元まで行く。
日記を握り締めて。
しばらく進むと、崖と一軒の小屋が見えてきた。
その向こうは、東に続いている海がある。
他には何もないこの場所で、魔女が一人で暮らしていることが、未だに信じられない思いだった。
扉に近付く。
ノックをしようと腕を上げると、勝手に扉が開いた。
驚き、エレンと顔を見合わせると、中から声がした。
「ようこそ。どうぞ中へ、歓迎するよ」
声はもちろん小屋の主。
以前聞いた、彼女のそれだった。
しかし、姿は見えない。
おれは、ズカズカと中へ入って行くリアムとエレンの後ろをついていった。
「おやおや、賑やかになったねえ」
「アメリア!」
中へ進むと、生活空間があった。
そこから更に奥へ進んだところに、彼女の姿を見つけた。
大きな鍋や、様々な種類の薬草に薬品が見える。
その真ん中に、彼女はいた。
部屋の入り口には、長い木の枝があった。
「アメリア、今日はありがとう」
「いいや、とんでもないよ主殿。しかし生憎、もてなすような茶などは、置いていなくてね」
「構わないよ。それよりも、見てもらいたいものがあるんだ」
「わかっているよ。その手に持ったそれだろう? 魔術と血の匂いがするね」
おれは頷き、魔王の日記を手渡す。
受け取ったアメリアは、飄々とした表情を顰めさせた。
「これは……あの男の血だね」
「知っているの?」
エレンが身を乗り出す。
魔女は日記を開きもせずに、見つめたまま頷いた。
「この日記の持ち主の血だよ。主殿には誰かわかるみたいだね」
持ち主の……これを書いたのは、おそらくシャーロット姫を攫った先々代の魔王だ。
となると、彼がこの魔術を施したのか。
「まあ、誰がということより、書いている内容の方が重要というところかな。では……」
アメリアも気になるのだろう。
好奇心に、オッドアイが輝いていた。
「すごい……」
エレンの呟きに、ただただ頷く。
目の前で行われていることの、すべてが不思議だった。
宙に浮く日記。
その前で、呪文のようなものを唱える魔女。
すると、閉じられていた日記が勝手に開いて、例の何も書かれていないページが眼前に晒される。
次第にその部分が淡く光り出し、やがて光は禍々しい殺気を放って消えた。
「今のは……」
「かの魔王の怨念といったところかな。あの男は、そういう男だったよ」
「会ったことが?」
「ああ、二、三、話をしたことがあるだけさ……それよりも、ほら。とんでもないのが出てきたよ」
ストンと、両手のひらに落ちてきた日記を慌てて落とさないよう受け止めて。
おれは、現れた血文字に目を見開いた。
「え……」
「何? 何が書いてあるの?」
ぐいっと顔を寄せられるが、それにすら構ってなどいられない。
衝撃の内容に、おれは固まってしまっていた。
「天族は、滅ぼされた……!」
エレンが、信じられないといった声音で読み上げ、リアムの表情にも驚きが走る。
先に内容を知っていたアメリアはともかく、顔色を変えないエマとクロエ。
この両名にとっては、多種族など本当にどうでもいいのだろう。
感覚の違いを、改めて知った思いだった。
「これ、本当なの?」
「わからない。でも、わざわざこうして読めなくなっていたということは……」
「マジかもしんねーってことだな」
再び、日記に視線を落とす。
エレンが読み上げた一文が、赤黒く擦れて、まるで生き物かのようにうねっていた。
しかしその他には、書かれていることはなさそうだ。
「もし、本当に天族が滅んでいたとして、どうしてこの魔王は、そのことを隠したんだろう?」
その質問は、自然と口から漏れたものだった。
きっと、真相は本人にしかわからない。
けれど、予想を立てられる者がここにはいた。
「天族が滅んでいると知られたくない者がいて、そいつに知っているということを悟られないように。或いは、こうして残しているということを知られないように、だろうね」
それは、いつもの表情に戻ったアメリアから発された。
唯一、彼と実際に会ったことのある彼女。
他にも、何か知っているのだろうか?
「知られたくない者?」
そう尋ねると、魔女は妖しく微笑んだ。
「あくまで仮説だよ」
「それでも、何かを知っているのならば、教えてほしい」
そう言うと、魔女は淡い苦笑を浮かべた。
「天族の存在を知っている者は、いったいどれだけいると思う?」
「……それは、いるであろう、というものではないよね?」
「もちろんだよ。実際にその目で見ているという者だね」
「ちなみにアメリアは?」
「一人だけ、あるね」
「一人?」
声を上げたのは、エレン。
皆の視線が集まる中、アメリアは続けた。
「一人の女を見たよ」
「女? それってもしかして、金髪だったりする?」
「ああ、心当たりでもあるのかい? 今や珍しくもない、主殿と同じ金髪だったね」
肩を竦めてみせる白髪の魔女。
狼男の銀髪が、眼前で揺れた。
「そいつは、どんな奴だった?」
「君も心当たりが? そうだねえ……一見、人間のようでいて、翼が生えていてね。魔力も持たないし、精霊たちのような力の流れも感じなかった。副官殿に背格好は近かったね」
それは、以前聞いたリアムの証言と一致していた。
「後は、そうだねえ。碧眼なんだけれど、右目が金色さ」
「そうだ! あの女、確かにそうだった!」
目のことを聞いた瞬間、リアムが思い出したと叫ぶ。
「おやおや、まさか君も会っていたのかい?」
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