元市民、決意祝賀
気が付くと、暗くてよく見えない場所にいた。
ここは、どこだろうか。
ほとんど、黒しか視界に飛び込んできてくれない。
僅かに身じろぐと、ぬるりとした感触がした。
導かれるように落とした視線。
少しずつ暗闇に慣れてきた目に入ったのは、手の甲。
恐る恐る手首を外側に捻って、手のひらをその眼前に晒す。
それは、黒だった。
ぼやりと、白くも見える手のひらに広がる黒。
と、雲が晴れたのか……射し込む月明かりに誘われるように、顔を上げた。
「!」
青白い光の中、広がっていた景色に目を見開き、瞬きをすることも忘れてしまった。
それは、一面を染める暗い赤。
月の明かりを受け、不気味なほどに光り輝いている。
足元にも及んでいるその液体に、短い悲鳴が漏れた。
ごろごろと折り重なるように積み上がったものの中。
虚ろになった瞳が、すべてこちらを見ている気がした――
「――っ!」
ガバッと起き上がると、寝室だった。
眠る前と変わらぬベッドの上。
鼓動が乱れ、呼吸が荒れて落ち着かない。
大量の冷や汗で肌に衣服が張り付き、雨に降られたかのようだ。
隣を見やれば、規則正しい寝息を立てているエレンがいた。
「夢……か――」
左手を額に当て、安堵の息を深く吐き出す。
しかしと、目を閉じた。
先程見た光景が再生されるように、瞬時にありありと広がる。
暗い場所……あれは、玉座の間だった。
血塗れの空間。
そこで、唯一立っていた人物。あれは、誰だ?
まるで、おれがそこにいたかのような感覚だった。
しかし、それはいつものおれの視点ではなかった。見たことのない、ずっと高いもの。
あれはそう、男だ。その男の見たものを、そのまま見せられていた感覚。
転がっていた人たちを見て、仲間だと認識していた。
しかし、見たことのない人たちだった。
先輩勇者たちであったなら、見たことがある。わかるはずだ。
ルーカスさんとは、また違う男。
漲る魔力。
きっと、いつぞやの魔王だったのだろう。
しかし、どうしてこんな夢を突然……。
「はあ……」
知れず漏れる溜息。
いろんな話を聞いて、いろんなものに触れて、見て。
そうして作り出した光景――というわけでもないのだろう。
あんなにもリアルな感情と景色は、きっと過去の現実に違いない。
いつぞやの誰かの記憶だ。そう、何故か確信した。
そっと、もう一度エレンを見やる。
この感覚が、彼女に伝わらなければいい。
何も得るものなどない。
共有したいようなものではないのだから。
おれは、窓辺へ寄り、風に当たる。
心地良い柔らかな風に、優しい月明かりだ。
虫たちの歌が聞こえてくる。
――忘れよう。
朝になったら、笑えるように。
おれは、目を閉じた。
またあの光景が蘇るから、抱き締めるように左手の人差し指を、そっと包む。
優しい温もりが、心に広がっていく思いがした。
◆◆◆
「アメリアは普段、西のどの辺りにいるの?」
夜が明けて、朝食を摂りながら、近くに控えているエマに話し掛ける。
エレンは耳と膝をこちらへ向けて、パンをかじっていた。
ちなみにリアムは、スープを飲みながら聞く気もないのか、完全無視の状態だった。
「魔女は郊外から更に離れた、崖の上に住んでおります」
「崖の上?」
「はい、ダレン様。茨に閉ざされた道を進んだ、奥地で御座います」
茨……その言葉に、とある場所が瞬時に閃いた。
「あ、茨の地か……確かに、人間は入り込まないな」
「それって、西の地の南側の?」
「ああ、エレン……まさか、あんなところに魔女が住んでいたなんてね」
西側にある、人間の住む地域。
中心地には王族の住む城があり、その周りを囲むようにして人間たちが街を築き、暮らしている。
しかしその中に唯一、誰も立ち入ることのない区域が存在する。
それが茨の地と呼ばれる、南側にある崖のある場所。
崖に行く用事もなければ、茨だらけの森に入る意味もない。
なので、誰もが近寄らないのだ。
「でもその辺りなら、街へ近付かずに会いに行けるね」
「人間に会わずに行って来れそうだね」
今は、護石が三個しかない。
全員で街には行けないから、石を使わずに済むルートを辿れそうで良かった。
「ということで」
「ね、リアム」
「……何が、ということで、だ。口だけで笑いながら近付くな、お前ら!」
食事を終えて、銀髪の狼男を二人で囲む。
彼は逃げはしなかったが、しきりに吠えていた。
「ったく、不気味なんだよ! 貼り付けただけの笑顔で迫って来るの止めろ!」
「リアム、怖いの?」
「怖かったんだ、リアム」
「るっせ! 黙ってろ!」
全員で城を出て歩く。
向かうは、アメリアのいる茨の地。
彼女は、小屋の中で待ってくれているのだそうだ。
事前にエマが連絡を取って、確認してくれている。
「そういえばさ、あたし結構レベル上がったよ!」
「なるほど、リアムと戦ったからだね」
「そう! ダレンより5レべは上だよ」
ふふん、と上機嫌なエレンに、思わず半眼になる。
それはそれは、結構なことで。
「俺を倒したんだ。それくらい上がるのは、当たり前だな」
どうして、倒された立場のリアムまで嬉しそうなんだろう……。
しかしおれは、開きかけた口を閉じた。
そんなことを聞いたところで、きっと理解のできる答えなど、返ってはこないだろうと思ったからだ。
どこまでも広がる、平坦な道を行く。
ここから右側へ逸れて行けば、見知った場所へ辿り着く。
道の向こうを見つめ、見えないはずの景色に、思いを馳せた。
……誰も、待ってやしないというのに。
「どんな魔法がかかってるんだろうね」
「え……」
ふいにエレンに話し掛けられ、日記のことを言われているのだと気付く。
「あ、ああ、そうだね……何かが、書かれているのかな?」
「血の匂いがしたんだっけ?」
「ああ、そうだ」
血……連想された光景が、瞳の奥に映される。
エレンとリアムの会話も、耳には入らない。
ぎゅっと、左手を包み込んだ。
「見えて参りました」
エマの声に意識が浮上した。顔を上げる。
行く手に、茨の道が見えてきた。
「そういえば、これ、どうやって進むの?」
目の前まで辿り着き、はて、と困ってしまった。
切り裂いて良いものだろうか?
それとも、燃やす?
そんなことを考えていると、目の前の茨がぴくりと動いた。
「えっ、動いた!」
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