一切がわからないままに、おれはただただ一連の出来事を見ているしかできなかった。

「さあ、副官殿。これが頼まれていた物だ」

「確かに受け取りました」

「では、失礼するとしよう」

 エマに何かを手渡し、彼女はもう一度おれたちの元へと下りてくる。

 今度は木の枝から下りて、地にその両足を着けた。

「初めまして、新しい魔王様。挨拶が遅れたね、アメリアだ。彼らの言う通り、魔女だよ」

 アメリアと名乗った彼女は、帽子を取って恭しくその頭を下げた。

 日の光に照らされて、顎の辺りで切り揃えられた白髪がキラキラと輝いている。

 その瞳は左側が金、右が赤のオッドアイだった。

「ああ、これかい?」

 おれが瞳に魅入られていたことに気付いた彼女が、にこりと笑んでそのすらりとした指を右の目元へ当てる。

 そんなに見てしまっていただろうか。

「元は両目とも金でね。右目は昔に失ったんで、義眼だ」

「そう、だったんだ」

「良い色だろ。気に入っていてね」

「ああ、とても綺麗だ」

 そう返すと、満足したのか、とても上機嫌だった。

「ところで、彼らの処遇はあれで良かったのかな?」

 おれというよりは、エレンに向かって尋ねるアメリア。

 エレンも彼女に負けじと、不遜な笑みを浮かべている。

 まったく、その自信はどこから来るのだろうか。

「ここでのことは?」

「忘れているよ」

「完璧じゃない」

「光栄だね」

 ふふふ……と二人で笑いだした。

 何だか、意気投合してる?

 仲が良いのは良いことだけど、おれにも通じるように話してもらいたいものだ。

「では、そろそろ失礼するよ。何かあれば、いつでも言ってくれ」

 そう言って帽子を被ったアメリアは、また木の枝に乗って、スーッと浮かび上がっていった。

 その姿が見えなくなってから、エレンがいつもの顔でおれに語り掛ける。

「良かったね、すべてが丸く収まった」

「……そうなの? いったい、何が起こったの?」

「魔女の魔術で御座います」

 すとん、と階上からまっすぐにこちらへと飛び降りてきたエマ。

 ふわりと揺れる、ウェーブのかかった艶やかな紫のロングの髪。

 着地が優雅なので、うっかりスルーしてしまいそうになるが、涼しい顔してあんなところから……さすが魔族といったところか。

「で、何だって? 魔術?」

「左様で御座います、ダレン様」

 どうやら、彼女は以前エマの言っていた、例の護石を作ってくれる魔女で。今日は、たまたまその護石を届けに来てくれたとのこと。

 そして、あの冒険者たちはアメリアの魔術によって、操られるように城から出て行き、ここでのことを忘れているのだそうだ。

 なんて便利なのだろう。魔女の使う魔術というものは。

「あの魔女は、とても高位な魔女です。ずっと小屋に籠っては、様々な魔術の研究をしています。自分より位が上だと判断した者へ選択肢を与え、その者が選んだ願いを叶えるという遊びをしているのです」

「遊び、ね……」

 とりあえずは、彼女に高位だと認めてもらえたということか。

 そして、エレンが選んだ選択肢が、おれの望んだ結末を導くものだったというわけだ。

「よくわかったな、あの問いで聞かれていることが」

「まあね」

 えへへと笑ってみせるエレン。

 良く見れば、彼女の左腕から血が出ていた。

「エレン、その腕……」

「あ……ひりひりすると思ったら……切ってたのか」

 呑気に言うエレンは、水を呼び出しその傷口を洗っていた。

 深くはないその傷だが、原因は明らか。

 あの壁が崩れた時だ。

 本当に、エレンの選択は正しかったのだろうか……。

『ダレン、物騒なこと考えてるわね』

「クロエ……」

『私はそれでも別に構わないけれどね。その傷、治すの?』

「ううん、いいよ。ちょっと掠っただけみたいだし、もう血も止まってるから。すぐ治る」

『そう? 必要な時は言ってね』

 精霊はくすりと笑うと、いつものようにふわりと飛んでいった。

 本当に、言いたいことだけ言って……。

「ダレン、どしたの?」

「いや……薬を塗るよ。部屋に行こう」

「え? いいよ。水で流したから、平気」

「いいから、行くよ」

「あ、ちょっとダレン!」

 おれはエレンの手を引いて、部屋へ向かう。

 これで良かったんだ。

 だって、もしもう一つの方を選択していたら。

 そうしたら、おれはこの笑顔を失っていただろうから。

 おれは、そう自分に言い聞かせて、エレンの手当てをした。

 壊れた壁は、クロエがノームたちと一緒に元に戻してくれた。

 いつかは、エレンの怪我も治る。

 傷付けられたものは、そうやって元に戻る。

 だから、忘れよう。

 抱いた感情とともに、このことをおれは奥底へと押しやった。


◆◆◆


「東の海に天族現れる! だって」

 とある日。エマがこれまた、号外を手に帰って来た。

 そこには、命からがら生還した男たちの証言として、大きく天族という文字が載っていた。

「まあ、海なら今は誰もいないし、そのうち騒ぎも落ち着くだろ」

「そうだね」

 メイソンは、エマの力を借りて弔った。

 あそこには、今は空と海と砂浜と、そしてお墓が一つあるだけ。

 誰もいない、死んだ海。

 それが今の、東の海。

 昔は、どうだったのだろうか。

 いつあの海は、死んでしまったのか。

 もうおれたちに、それを知る術はない。

「そういえば、北の山のことを言ってたよ」

「山?」

 エレンが又聞きの噂話を教えてくれた。

 それは、北の山から狼男が村にやってきては、人を襲っているというものだった。

「狼男……」

 エレンはもう読むことに飽きたのか、号外をぽいとテーブルの上に置く。

 おれは、それを手に取った。

「確か、あの日記に狼男のことが書いてあった」

 もしかしたら、山にいる狼男は日記の魔王と会ったことがあるかもしれない。

 人間を襲っているという話も気になる。

 魔王システムの手掛かりが見つかる可能性がゼロではないのなら、行く価値はあるだろう。

「エレン、山に行こうか」

「山? 北の山?」

「そうだよ」

「良いよ。早速行く?」

「うん」

 てきぱきと準備をして、完全装備で城を出る。

 今度は、フードマントもしっかり持って。

 もちろん、エマも一緒だ。

「護石もお持ちですか?」

「うん、あるよ。ほら」

「差し出がましい発言でした」

「良いよ。気にしないで」

 アメリアの作ってくれた護石を懐に忍ばせておく。

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