二人、懐疑白眼
あーあ……まったく、どうしたものか。
中庭から見える階上の光景に、頭を抱えながら考える。
こういう咄嗟の判断は、苦手だ。
いわゆる臨機応変に、というやつだ。
衛兵時代にもよく言われたが、その四字を言えばいいと思っている大人たちには、ほとほと嫌気が差していた。
そんな機転が利いて、瞬時にその場においての正しい判断ができる人など、どれだけいるのだろう。
片割れの彼女みたいにこなせる人など、ほんの一握りだとおれは思う。
実際は動けなかったり、流されたり、判断を誤ったりするものだ。
であるからして、おれみたいにおろおろするようなタイプは、そういった経験を何度も積んでいった先に、ようやく成し得ることのできるものだとおれは思うのだ。
「って、現実逃避している場合じゃなかった」
さあ、どうする。
まだ、どちらも動いていない。
エマは、おれが見ていることに気付いているようだし、目の前の人間たちの処遇を計り兼ねているようだ。
人間たちは、もちろん戸惑っている。
しかし、エマがこちらへ向かって「ダレン」だの「魔王」だのという言葉を投げかけたら終わりだ。
その時には、彼らをこのまま帰せなくなってしまう。
かといって、このまま放置していても、きっと彼らはエマには勝てない。決して弱くはなさそうなのだが、彼らは今のおれくらいのレベルだ。魔王に挑むこと自体が間違っている。
となると、どちらにせよ彼らはここで終わってしまう。
エマに、彼らの誰もが何の疑問も持たずに無事に帰って、もう二度とここへ足を踏み入れることのないように済ますことができるような、そんな機転が利くだろうか。
しかし、おれのその問いかけに答えたのは、一秒後のおれだった。
彼女には悪いが、無理だろう。
きっと彼らを無惨にも八つ裂きにして、笑顔でおれの元へとやってきて「掃除しておきますね」とでも言ってのけるに違いない。
そして何事もなかったかのように忘れていくんだ。
それが、エマに対するおれのイメージだった。
かといって、困った。
おれが出て行くわけにも、声を掛けるわけにもいかない。
まったく、どうしたものか。そう唸っていると、冒険者たちが動いた。
「生き残りの魔族。お前に聞く。黒髪の魔王は、勇者に倒されたというのは事実か」
「ええ、そうですね。事実です」
「お前は、この城の者か」
「はい、そうですが。皆様は、どちら様でしょうか?」
「おれたちは冒険者だ。魔王がいなくとも、魔族を野放しにはしておけない。皆、行くぞ!」
会話が上手くいっていると思ったが、ダメだったか。
このままでは、戦闘が始まってしまう。
仕方ない。姿を隠しながらエマに声を掛けて、誘導するか。
おれがそう決めて、場所を移動しようとした時だった。
「おやおや、何だか物騒だねえ」
それは、またもや突然だった。
おれのすぐ近くで、声がした。
それは聞き慣れない、いや聞いたことのない声だった。
反射的に、そちらへ視線を動かす。
右斜め上。ここは中庭。
そこには、空中を漂うように浮いている、黒い帽子を被った女の人がいた。
「あら」
人間たちに構えの姿勢をとっていたエマが、浮いている彼女を見て動きを止める。
「副官殿、お邪魔しているよ」
「待っていましたよ」
人間たちのことなど見えていないかのように、会話する二人。
これでは、隙だらけだ。
しかし、冒険者も呆気に取られている。
それは、おれも同じだった。
何故なら突然現れた女が、長い木の枝にちょこんと腰掛けて、空中に浮いたままだったからである。
「えーと? そうか。君が、副官殿の主だね」
にこりと話し掛けられ、戸惑う。
彼女は、いったい何者なのか。
「ふむ。しかし、このままでは話ができないな。彼らは客人かい? それとも、ゴミかい?」
ゴミ……そう言った時の彼女の口元は、にたりと実に愉しげなもので、ぞくりと背筋を氷塊が滑り降りていった。
「……どちらでも、ない」
警戒しながら、そう言う。
しかし彼女は、おれの視線などさして気にも留めずに、飄々としていた。
「そうかい。では主殿。この城を汚されるのは嫌かい? それとも鮮やかな色で染め上げるかい?」
考えろ。この人は何を言っている?
彼らの話をした後での質問……。
選択を間違ってはならないことだけは、わかった。
「汚されるのは嫌だ。そう言ったらどうなる?」
「染めるのをやめるよ」
「染めてほしくないと言ったら?」
「汚さないよ」
これは……。
「つまりは、汚されるのは嫌だから、染めるな。でしょ、ダレン」
「エレン!」
階上の彼らには聞こえないように、声量を絞る。
大回りでおれの前に戻ってきた彼女は、話をどこから聞いていたのだろうか。
少しの情報で、自信たっぷりに判断を下すのだから、本当に羨ましい。
「ということで、よろしく!」
ビシッと指をさすエレンに頷く、空中の女。
そして彼らの方を向いて、スーッと更に浮き上がっていった。
「な、何だ!」
「こっち来た!」
「こ、こいつ、きっと魔女だ!」
彼らの中の一人が、そう叫ぶ。
そうか。見た目はおれたちとほとんど変わらぬ人間のような彼女。
きっとそうだとおれが考えていると、魔女と呼ばれた彼女が、ちょうど廊下に立つ彼らを少し見下ろす位置で上昇を止めた。
「まあまあ、君たちは招かれざる客のようだ。帰ってもらおうか」
「何を……!」
「この魔女、見下しやがって!」
「おやおや、威勢が良い。しかし、運が悪いようで良い。主殿に感謝するんだね」
そう言うと、白髪の彼女が手のひらを彼らへとかざす。
その瞬間、目を開けていられないほどの眩い光が放たれた。
「うふふ……あっはははははははははは!」
辺りに響く女の笑い声。
その哄笑は、どこか嘲笑でもあった。
「さあ……帰りなさい。すべてを忘れて」
ぷつりと糸の切れた人形のように、ふいに据わった目でぼそりと呟くように言葉を発する女。
先程まで大声で笑っていた人と同一人物だとは、思えない。
冷たく見下す視線の先――人間たちの瞳は、虚ろだった。
いったい、何が起きたのか。
あの光は、何なのか。
まるで、女の操る人形になったかのように、彼らはぞろぞろと一言も発さずに、その足で歩いて城から出て行く。
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