また、人間と出会う事態が起こるかもしれない。
出来得る限りの準備はしておかなくては。
「どうして狼男は、人間を襲っているんだろうね」
「何か理由があるとは思うけど……」
森の吸血鬼、ジェームズの話を思い出す。
魔族だって、ただ闇雲に人間を襲っているわけではない。
そして、人間も自分たちを護りたくて魔族を排除する。
この状況は、いつから当たり前になったのだろう。
どうして、こうなってしまったのだろう。
種族が違うというだけで、平気で殺してしまう。
互いのことを知らないということは、なんて恐ろしいのだろう。
疑問を持たないということは、考えることを止めるということは、どうしてこうも罪なのだろうか。
森を北へ抜けて、道を行く。
右手側から風に乗って、潮の香りが漂ってくる。
騒動があったばかりだ。人間がこの辺りへ来ているかもしれない。
おれたちは念のために、フードマントをしっかりと身に着けて歩いた。
出くわす雑魚魔族は、手にかけた。
彼らは魔族同士であっても、多種族であっても、とにかく襲うという性質だ。
それが、遥かにレベルの高い相手であっても。
おれたちも強くなる必要がある。
彼らには、その糧になってもらっている。
日々鍛錬を重ね、今では旅立つ前と同じくらいのレベルにまで到達した。
しかし、まだまだだ。
もっと、強くならなければ。
「ねえ、おやつ食べる?」
「いつの間に用意してたの?」
呑気な声に、おれの決意が鈍る。
思考は、パッと霧散していた。
「たまたま、昨日作ってたの」
「そうなんだ。タイミングばっちりだね」
「でしょうよ」
「おれの知らない間に街へ行った時に、材料を買ったの?」
「……気付いてたの?」
おれは別に咎めるつもりもない。
言ってくれなかったことが気になっただけだ。
「どうして、こっそり行ったんだ?」
「別にこそこそしていたわけじゃないもん。エマが出掛けるって聞いて、石があればあたしも行けると思ったから。言おうと思ったらダレンが見当たらなくて。どこにいるかわかんなかったし、それに驚かせようと思って」
「驚かせる?」
「そ、思いついちゃったから、そのまま黙ってたんだー」
えへへーと笑う彼女の荷物から出てきたのは、とある装飾具だった。
「指輪?」
「うん。ほら、お揃いだよ」
「お揃いって……本当に何も考えていないんだから」
「ん? 何かな?」
「何でもないよ」
わかっていてやっているのか、本当にわかっていないのか。
この姉は怜悧でいて、時折抜けているのだから。
そうして誤魔化す。
おれでさえ時々、本当に何を考えているのかわからなくなる。
「ほら、手貸して」
「え……」
戸惑いなんて気にもせずに、勝手におれの左手をぐいと引っ張って、エレンは人差し指に指輪をはめた。
「インデックスリング?」
「そ。方向を指し示す指だから」
「方向を……」
「ダレンは迷うから。だから、ちゃんと信じる道を前に進めるように」
「エレン……」
そっとおれの左手を両手で包んで、エレンはにっこりと少し恥ずかしそうに笑った。
「お姉ちゃんからの誕生日プレゼントだよ。おめでとう、ダレン」
「あ……」
うっかりしていた。
おれの誕生日ということは、それはもちろんエレンの誕生日ということでもある。
なんてったっておれたちは、双子なのだから。
「エレン、おれ……」
「どうせ、自分の誕生日なんて忘れてたんでしょ。そんなことだろうと思ってた」
咎めるでもなく笑っているエレン。
おれはなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……ごめん」
「あはは。もうやめてよ。あたしはほら、自分でお揃いのを買ったからさ。もっとびっくりしてくれると思ったのに、冷静なんだもん。面白くなーい」
唇を尖らせる姉に、今度は苦笑して謝罪した。
「ごめん」
「違うでしょ」
「え?」
「こういう時は、ごめんじゃなくて」
「あ……ありがとう。大事にするよ」
「そうよ。このあたしが選んだんだからね。もっと光栄に思いなさい」
ご機嫌で前を歩くエレンに気付かれないように、そっと左手の人差し指を見つめる。
どうしてこれだけのことが、こんなにも心を優しく包むのだろう。
「あ、そうそう。それね、身体能力が上がるアイテムだから」
「そうなんだ」
さすがエレン。
選んだのは雑貨屋や宝石店ではなく、防具店だったか。
「あれ? そういえばその防具、新しい?」
「ふふふ、やっと気付いたか」
「エレンだけズルい」
「ふーんだ。良いだろお」
く……悔しい。そしてこの態度、腹立つ。
「あ、ほら村が見えてきたよ」
「え?」
話を逸らせようとして……と思いながら不機嫌なままに声を出す。
と、確かに眼前には村が見えていた。
「ここかな? 狼男に襲われた村」
「かもしれない。山の入り口に通じているから。ね、エマわかる?」
「はい。ダレン様、エレン様。ここが人間たちの騒いでいた村です」
ずっと黙っていたエマへと話し掛ける。
彼女はおれたちの後ろをずっと、ただただ黙々と歩いていた。
鼻血は出ているけれども、最近は無駄に絡んでこない。
それは、おれがそうお願いしたからなのだけど……。
「とにかく、行ってみよう」
「そうだね。行ってみよう」
村に入る。
やっぱり、ここがそうだったか。
しかし、見たところ特に被害に遭ったという様子は見られなかった。
「狼男だ!」
その時、静かな村を悲鳴にも似た叫びが響く。
外へ出ていた村人たちが、次々と家の中へと逃げ隠れた。
村人たちが誰もいなくなった村の真ん中。
そこに、一人の男が立っていた。
「銀髪……」
サラサラとした銀の髪。
鋭い目つき。
長く尖った爪。
頭部から生えた、ピンと立った耳。
近寄りがたいオーラを放って、銀髪の男は一人、そこにいた。
「人間? いや、魔力?」
低い声で睨みながら放たれる言葉。
その目は、エマを捉えた。
「あ? お前、副官じゃねえか。ってえことは……お前ら、新しい魔王か?」
エマを知っている……これは少し期待しても良いのかもしれない。
「狼族……魔王様に何という言葉を使うのですか」
金色の瞳に昏い光が帯びる。
おれは、一歩前へ出ようとするエマを、手を伸ばして制した。
「エマ。良いから下がって」
「……承知致しました」
瞳の色がいつものものに戻ったのを確認して、目の前の彼に向き直る。
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