『もう少しでぺしゃんこよ。まったく、そんなことになったら、どうしてくれるのよ』

 ぷりぷりと怒っている精霊に安堵するも、すぐに意識を切り替える。

 まだ生きている人間がいる。

 腰を抜かし、恐怖から逃げることすらできないでいる。

 メイソンは、そんな彼らに狙いを定めていた。

 緑の瞳は虚ろだ。

 彼は正気じゃない。止めさせなくては……!

「ウンディーネ!」

 飛んできた拳を阻んだのは、呼び出した水。

 生み出した液体の盾に、男たちは護られていた。

「誰だ……邪魔を、するな……おでは死にだぐない!」

「しっかりするんだ! おれたちのことがわからないのか!」

 ブンと暴れ出した巨人の腕が、頭上を薙ぐ。

 暴風に煽られて、体がよろけた。

 おれたちの被っていたフードは脱げ、いつの間にか髪を彼らの眼前に晒していた。

「金髪……」

 水の向こうで、男の誰かが呟いた。

 大丈夫だ。金髪くらい珍しくない。

 背を向けているために、顔は見られていないのだから。

「ああ、お前たち……痛い、痛い、助げでぐれ……!」

 良かった。ようやくおれたちのことがわかったようだ。

 これで、何とか彼の暴走を止められる。

「メイソ――」

 呼び掛けた彼の名前は、しかし近くで聞こえた轟音に掻き消されてしまった。

「え――」

 巨体が、後方へと倒れていく。

 ズシンと木々を薙ぎ倒して、森をまるでベッドのようにして眠っているかのようだ。

 舞う砂塵に目を覆い隠す。

 再び目を開けても、彼はピクリとも動かない。

 どうして? そんなところじゃあ、体が痛いだろうに。

 それなのに、動かない。

 感じる魔力が、どんどん弱くなって、風前の灯火だ。

 先程倒れていた時とは違う。

 暴れて弱っていた彼に、もう起き上がる体力なんてなかった。

 どうしてこんなことに……そんなことは、誰も口にしなかった。

 漂って来た火薬の匂いを嗅がずとも、理由はわかっていたからだ。

「――っ!」

 ぎりっと奥歯を噛み締めて、振り返ったそこに見えるのは、盾の向こうで兵器を構える男たち。

 どうして……どうして!

「何故!」

 言葉少なに叫ぶ。

 しかし、彼らにはそれだけで十分だった。

「あの巨人は、俺たちを殺そうとした! 現に仲間が殺された! やらなくちゃ、俺たちが死んでいた!」

 必死に叫び散らす人間たち。

 おれは、込み上げる想いが胸で暴れて言葉にならない。

 護ったのに……それなのに……。

「ダレン……」

 エレンが寄り添うように、おれの肩へ手を置く。

 雲に隠れていた太陽が、おれたちを照らした。


「天族……」


 ふいに、男の一人が呟く。

 今、何と言った?

「天族、なのか……?」

 天族? 天族だって?

「天族だ……人間でもなく、魔族と違って、俺たちを助けた……」

「そうだ。そうに違いない」

「ま、待て、おれたちは――」

「ああ、輝く光を放っている――!」

 おれの言葉に耳も貸さず、数人になってしまった彼らは、口々に呟く。

 そしてこちらへ、畏れの色を滲ませた瞳を向けた。

「天族はいたんだ! 輝く髪をした、天族は!」

 まったく、どうしたものか。

 どうやら、太陽光の反射で何か神々しいものにでも見えているらしい。

 おかげで、顔もまともには見られていないようだ。

「あの――」

 おれが一歩足を踏み出すと、彼らは短い悲鳴を上げた。

 魔族ほどではないが、そうだった。

 人間にとって、天族は謎な存在だ。

 何をしてくるかわからないものは、力を持たない者にとっては、不安と恐怖を抱く対象になる。

 それにおれたちは、先程彼らの攻撃を回避してみせた。

 彼らには、おれたちに対して講じる策がない。

 じりじりと後退り、そして一目散に駆けていってしまった。

「良かったの、かな」

「もう、良いよ。今はもう関わりたくない」

「そうだね」

 水の盾は、いつの間にか消えていた。

 まだウンディーネの力を長時間借りることはできないということだろうか。

「うう……」

「メイソン!」

 虫の息の彼から、呻くような声が聞こえた。

 おれたちは、急いで彼の元へと駆ける。

「魔王様……」

「喋らなくていい。今、何とか――」

「もう、わがっでる。おでは、もう、ダメだ。ごめんよ、魔王様」

 ふにゃりと笑う彼に、胸が詰まる。

「どうして謝るんだ」

「だっで、おでは魔王様を潰すどごだっだ。無事で、良がっだ」

「メイソン……」

「おで、嬉しがっだ。まだ来でぐれるっで言っでぐれだ。おでを助げようど、しでぐれだ。初めで、だっだ。友達が、でぎだみだいで、嬉しがっだ。だがら、ありがどお……魔王、様……」

「メイソン? メイソン!」

「メイソン……」

 その後、閉じられた瞼が開くことは、もうなかった。

「ううっ……」

 エレンが、人目も憚らずに涙を流す。

 呆然とするおれの耳に、足音が近付いた。

「終わりましたね」

「エマ……」

 ずっとどこかで一連の出来事を眺めていたのだろう。

 それは当たり前だ。だって、おれたちが言いつけたんだ。

 余計なことはするな――と。

「粛清、滞りなく進んでおりますね」

「エマ!」

 無垢な笑みでそう言ったエマ。

 おれは、湧き上がる激情のままに彼女の名を叫んだ。

「はい、ダレン様」

 しかし、彼女はまったく動じた様子もなく、表情一つ変えずにおれの名を呼んだ。

「……っ。頼むから、少し黙っていてくれないか」

「承知致しました」

 太陽が、雲に隠れる。

 火薬の匂いを消すかのように、次第に雨が降りだした。

 けれど雨は、おれたちの心を燻る火を、洗い流してはくれなかった。


◆◆◆


 あれから、全員が一言も発さずに、城へと帰って来た。

 着いた頃には、すっかり夜になっていて、おれたちは部屋に二人で籠っていた。

 エマには、食事を用意しなくていいと告げていた。

 今は二人きりにしていて欲しいと話したのを、クロエも聞いていたのだろう。

 彼女の姿も、この部屋にはなかった。

 ちらと視線を滑らせると、エレンがベッドに突っ伏していた。

 静かなその様子に、ここからでは彼女が寝ているのか起きているのかは、わからなかった。

 視線を前に戻す。

 窓の向こうに、風に枝葉を揺らす木々と、空に浮かぶ月が見えた。

 体を包み込んでくれるソファーに沈ませて、ただ見える風景を眺める。

 雨は、ここに着くまでに止んだ。

 もう晴れ渡っているのに、その夜色をどれだけ見つめようとも、おれの心が晴れることはなかった。

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