体力を使い果たし、多くの血を流してしまった彼も、これまでなのかと覚悟を決めた。


 だが、結末はそうではなかった。


 急に目の前が揺れ、体が発火したかのように熱くなり、頭が割れるように痛みだす。

 いったいこれは何なのか。この身に何が起こっているのか。

 全身を襲うあまりの激痛に、獣の咆哮かのように叫ぶ。

 その時、嘲笑が耳に届いた。

 虫の息である魔王が、嗤っていたのだ。

 そして一言「これが魔王システムだ。これで俺は解放された」と言い残して、死んだという。

 その言葉を彼が理解したのは、痛みに失っていた意識が再び戻った時だった。

 目を覚ましてすぐに、自分へ起こった変化に気付いたという。

 自分の身に溢れる、魔力の流れに――


「じゃあ、魔王とは……」

 愕然とするおれの言いたいことを察した現魔王が、頷く。

「そんなことが……」

 信じられないとばかりに、エレンが口元を覆った。

「ルーカスの言葉に、偽りはありません」

「姫……」

 おれたちの会話をじっと聞いていた姫が、こちらへ歩いて来る。

 声を聞いたのは初めてだったけれど、まるで小鳥のさえずりだと思った。

「わたくしを攫った魔王が言っていました。すまないと。少しの間、我慢してほしいと」

「それは、どういうことですか?」

「彼は、自らが何千年も前に魔王を倒した人間であること。もう、ずっと一人で魔王として生きてきたことを、わたくしに語りました。ひっそりと、人間に危害を加えないようにしてきたとのことでしたが、彼の眷属である魔族たちを抑えることが、ついにできなくなってきたと言うのです。このままでは、魔族たちが人間を襲ってしまう。早く新たな、力のある者に魔王を継がせなければならない。そして自らも、生きていることに疲れてしまったとのことでした」

「そんな……」

 それが本当ならば、何ということなのだろうか。

 前魔王も気の毒ではあるが、だからといってルーカスさんに何も知らせずに魔王を継がせるだなんて。

「じゃあ、前の魔王は自分を倒してもらうために、姫を攫ったっていうこと?」

「ええ。彼の精神は限界でした。まだ人の心が残っていたことが奇跡と呼べるほどに。正常な判断など、できはしなかったでしょう」

 愕然とする。

 そんなことが起こっていただなんて、どうして……。

「誰も、今まで知らなかっただなんて……」

「きっと、語る者がいなかったんだ。だって、この通り語る者は、人間でなくなってしまうのだから」

「――!」

 もうすべてを諦めたかのような顔で、哀しい笑みを浮かべる魔王。

 こんな優しい魔王が、討伐対象にされているだなんて……。

「すべてを公表しましょう! 姫の証言があれば、きっと!」

「どうでしょうか。わたくしは一年もの間、囚われていた身。わたくしの話ですら、信じてもらえないかもしれません」

「そ、それは……」

 確かに、信じ難い話だ。

 ルーカスさんが姿を現したとしても、魔族に魂を売ったと思われて、姫の心を操っていると言われればおしまいだ。

 おれたちが同行したところで、この世界の魔王、魔族に対する恐れは根強い。

 すべては罰しろ。怪しい者は火刑。それが常識。当たり前だ。

 そんな世の中で、こんな話は世迷い言、虚言、戯言、荒唐無稽、与太話、デタラメ……。

 そうあしらわれる程度なら良い。

 そんなわけはない。きっと四人とも、命がないだろう。

 もしかしたら、姫は幽閉で済むかもしれないけれど……。

 しかしどう転んでも、誰もが幸せになんてなれそうもなかった。

「じゃあ、どうすれば……」

「言っただろう? 君たちは姫を連れて帰還するんだ。魔王は倒したと言ってね」

「でも……!」

「約束だろう? 話したら素直に帰ると」

「っ……姫は、それでも良いと言うのですか!」

 エレンが姫に詰め寄る。姫は、黙って俯いた。

 おれは、泣きそうな顔の姉の肩に手を置く。

 そして、一つ頷いた。

「ダレン?」

 きょとんとするエレンの目は、見られない。

 だって、きっと怒るから。

「ルーカスさん」

「何だい、ダレン」

「魔王システムは、魔王を倒せば成立したんですか? ……死ななくとも」

「そうだね。恐らくはそうだとは思うのだけれど、致命傷は与えていた状況だったから、実際のところはどうかはわからな――ダレン?」

 ハッとしたルーカスさんに向かって、跳躍する。

 もちろん振りかぶったのは、おれの両手に握られた大剣。

 ガキンッと大きな音が響く。

 腕を痺れるような振動が駆け抜けた。

 タンッと後方に飛び退ると、困惑しながらも大剣でおれの攻撃を正面から受けた魔王が、警戒しながら立っていた。

「さすがですね、ルーカスさん」

「ダレン! いったい何のつもりだ!」

「またまた。ルーカスさん、気付いているのでしょう?」

「っ……こんなことはやめるんだ。約束しただろう、素直に帰るって」

「約束に応じたのはエレンだ。おれではないですよ」

 じりじりと機会を窺う。

 下手に飛び込むと、弾き飛ばされるだけだ。

「屁理屈を」

「いいえ、真実だ」

「ダレン、言うことを聞くんだ!」

「いくらあなたでも、これだけは聞けません!」

 彼とは衛兵時代、よく手合わせをしてもらった。

 腕が間違いなく強いことは、よく知っている。

 手を抜く余裕などない。

 気を抜けば、大怪我だ。

 しかしよく知っているが故に、おれたちに本気になれないことも知っている。

 そして、彼の気持ちも――

「あなたは、姫と幸せになるんだ――!」

「っ――!」

 一瞬の心の揺れ、惑い、逸れた意識。


 その隙を、逃さない――!


「ああああああああああっ――!」

 スピードは、当時から負けていなかった。

 勢い良く回り込み、剣を振るう。

 ――と見せかけて、狙うは彼の剣。

 軌道を予測していたはずの彼の頭の中を、混乱させる。

 それでも勝手に体の動く彼の視界から、消えてみせる。

 しゃがんで狙ったのは、足。

 しかし、さすがというべきか、躱されてしまう。

 そこに降って来るは、弾丸の雨。

 まさか、彼女が手を貸してくれるとは思っていなかったので、思わず口元が緩んでしまった。

「ダレン!」

「エレン!」

 それだけでいい。

 おれたちには、それだけで十分だ。

 再び彼女の放つ銃弾が、彼の手足を掠める。

 しかし、近くにいるおれにはまったく当たらない。

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