「にしても、その魔王……血文字で書くなんざ、いったいどういう状況だったんだろうな」

「そうだね。男はその女を恐れていたみたいだけど」

「ふうん……それだけの魔術を使える、魔王ともあろうものが、女をね……」

 そうだ。彼は、この女によって魔王に仕立て上げられた。

 そうして、次に会った時には、もう関わりたくないと恐れていた。

 そんな彼が記した、この言葉。

 天族が滅んだ今、すべての謎はたった一人の女に繋がっている。

「アメリア、魔王システムのことは何か知っているかい?」

「魔王が入れ替わるっていう術式かい? 生憎、魔女の使うものとは仕組みが違うみたいでね。このアメリアが生まれる前からあるようだけれど、詳しくはわからないんだ。だからその術式を解くこともできないね」

「そっか……この日記の彼からも、何も聞いていないかい?」

「残念ながら、そういう話はしていないねえ」

「そう……ありがとう」

 やっぱり、女を探すしかないようだ。

「アメリア、その女の居場所なんてわかるかな?」

「悪いね、主殿。遥か空の向こうへと飛び去って行ったものだからね――いや、待てよ。時間を貰えれば、もしかしたら辿れるかもしれないね」

「辿る?」

「ああ……何せこのアメリアの目を持っているからね。その波動を探し当てることができれば、わかるかもしれない。……けれど、それは微弱なものだ。期待はしないでもらえるかい?」

「もちろんだ。可能性はすべて試したい。頼めるかな?」

「わかった。魔女、アメリア。主殿の頼みとあらば、力を尽くそう」

「ありがとう」

 立ち上がったアメリアと、握手を交わす。

 力強い味方を得た。今は、彼女に頼るしか術がない。

 成功することを、ただただ祈るばかりだ。

「そうと決まれば、早速術式を展開しよう。主殿は、城で報告を待っていてくれるかい?」

「わかった。それじゃあ失礼するよ」

 おれたちは、小屋を後にした。

 帰りは、来た道をそのまま辿った。

 時々現れる、雑魚魔族を倒しながら進む。

 ただ待っているだけでは、ダメだ。その間に、もっと強くなっておかなくては。

 そう決意して進む。

 何せ、今やエレンよりもレベルが低いのだから。


「リアム、手合わせを願いたい」

 城へ帰って来て早々に、おれはリアムを呼び止めた。

 狼男は、さも楽しそうだと言わんばかりに、快く引き受けてくれた。

「ダレンとも、一回やってみたかったんだよな」

「それは光栄だ」

 おれたちは、どちらも近接戦を得意とする。

 回りくどい作戦などは、不要。

 そんな余裕などはない。

 中庭で向かい合う。

 少し離れたところで、エレンが花壇の世話をしていた。

「手加減なしで良いんだな?」

「もちろん」

 リアムが指をぽきぽきと鳴らす。

 おれは深く息を吸って、そして一気に駆け出した。

 赤い瞳が、鋭くおれの姿を捉える。

 ――速い!

 おれが剣を振るったそこには、既に彼の残像しかなかった。

 もちろん、手応えなんてものはない。

 背中に気配を感じる。

 視覚で捉えている暇はない。

 ただ、感じる殺気を頼りに、頭を下げて避ける。

 ちらと横目で見ると、先程までおれの頭があった場所を、彼の長く鋭い爪が切り裂いていた。

 そのまま転がるようにして、距離を取る。

 彼の背後に立つが、それも瞬時に向かい合う形になった。

 リアムが跳躍する。

 なんという距離と高さを飛ぶのだろう。

 思わず、唖然と数秒見つめてしまった。

「くっ……!」

 寸でのところで避ける。

 これでは、防戦一方だ。

 爪と牙。素早さだけでなく、脚力も高いとは。

 だから、エレンは彼の足を奪ったのか。

「考え事とは、余裕だなあ!」

 笑いながら、腕を振りかぶるリアム。

 余裕があってたまるか!

 ガキンと爪と剣がぶつかる。

 その手を弾き飛ばし体を突こうとするが、たんたんっと素早く後方へ逃げられてしまった。

「その小さい体で、よくそんな大きな剣を扱うものだな」

「小さいって言うな」

「おーおー、珍しく怖い顔だな。気にしてんのか? エレンよりもちっせえもんな」

 おれは地を蹴った。

 どうして、そんなことを今言うのだろうか。

 そんな、関係のないことを――!

「ははっ、お前、今までよくそれでやってこれたな」

「何?」

「隙だらけだ」

「――!」

 まっすぐ向かって行ったおれの目の前から、瞬時にリアムが消える。

 同時に、右脇腹に衝撃が走った。

「うぐっ……!」

 蹴飛ばされたことに気付いた時には、仰向けに寝転がるおれの上に、銀髪の彼が馬乗りになっていた。

 カランと剣が転がる音がする。

「ちょっと挑発されただけで、カッとなって冷静さを欠くなんざ、まだまだだな」

「くっ……」

 悔しい。

 彼の言う通りだ。

 今までこんなことにならなかったのは、相手を瞬殺していたか、もしくは姉の援護のおかげに他ならない。

 おれは、一人ではこんなにも弱いんだ。

「おーおー、泣いてんのか?」

「泣いてなんか……」

「……俺に似てんな、お前」

「え?」

「強くなりたいって思うほどに悔しいだろ」

「リアム……」

 刹那に見せた優しげな眼差しはしかし、愉しげな色に染まった。

 向けられた右手の爪が、おれ目掛けて振り下ろされる。

「ま、精進するんだな」

  意地悪な笑みが、更に腹立たしい。

 このまま負けてしまうのは、嫌だ。

 しかし、剣は手の届かないところに転がっている。

 おれは叫んだ。

「ノーム!」

「――!」

 ぼこぼこと背が振動する。

 眩しいくらいに、彼の顔の向こうに広がっていた青空が、翳る。

 リアムがぴたりと腕の動きを止めたと同時に、土の動きも止まった。

「おいおい……」

 苦笑いのリアム。

 そんな彼の背には土でできた、鋭く尖った爪のようなものが、今にも突き刺さろうとしていた。

「まったく……油断も隙もねえな」

「おれは負けない……例え勝てなかったとしても」

「わかったよ。しかし、本当に双子だな」

 リアムが腕を引いたので、おれもノームを下がらせた。

 土の凶器は、跡形もなく崩れ去る。

 赤い瞳が離れていった。

 手を差し出してくれる彼の手を取って、おれは起き上がる。

 衣服についた土埃を払っていると、盛大に溜息を吐く狼男に視線を誘われた。

「引き分けってところか? これ」

「そうだね」

「でも魔王なら、俺には勝てるようにしとけよ」

「うん。また、頼むよ」

「おう」

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