手のひらサイズの彼女はしかし、近付くことでより威圧が増した。
『そうだ。我らの力を当たり前のように使役しよって……我らが一切の助力を断ち切った時、いったい何が起こるか。わかるだろう? ダレン』
精霊が力を貸してくれなくなったら?
そうしたら……。
「水も、火も、何もかもが、使えない?」
『そうだ。人間には我らの力など関係ないと思っていたか? 戦闘時にしか関わりがないとでも思っていたか? 魔族にしか関係性がないと思っていたか? そんなことはない。この地そのものですら、我らの加護によって存在する。我らにとっては、お前たちが何者であろうが一切興味はない。どの者も、等しく助力する対象であるからだ』
「どうして……」
じゃあ、どうして精霊族はおれたち、この地に生きる者に手を差し伸べてくれる?
ならば、どうして女を殺した?
『何故を問うか。それは我らにとって、存在意義であるからだ』
「存在」
「意義……」
ずっとただこの地に漂うだけの、眠っているだけの存在だった精霊族。
そこへ突如降ってきた命たち。
最初は、ただの興味だった。
しかし、その命たちが自分たちのおかげで生きていけることを知った彼らは、そこで初めて存在理由を得た。
それは、彼らだけでは手にすることは永遠に叶わなかったもの。
今更、手放せるものではないもの。
それなのに、あの女はこの命たちを蹂躙した。
このままでは、また眠るだけの日々に戻ってしまう。
だから、彼らは決めた。
女の陰謀に踊らされようとしている二人に近付くことを。
「だから、おれたちの契約精霊に?」
「すんなり現れて、簡単に契約してくれたんだ……」
『そうだ。お前たちのレベルは十分なものだったからな。しかし、魔王になったのは構わないが、レベルが1になってしまうとは誤算だった』
「それは……」
「あたしたちも思ったけどさ」
『まあいい。上手くいけば、お前たちがあの女を殺してくれる。そう思っていたというのに』
「……おれの選択が間違っていたと言ったのは、そういうこと?」
先程まで、まるでいつものような会話に戻れたかと錯覚してしまうような雰囲気だった。
しかし、それはやはりおれの願望に過ぎなかったようで、向けられた赤の瞳は、また鋭く細められた。
『お前は甘い。そのくせ迷うわりに一人で事を進めてしまう。信用はされるが、信頼はされない』
「……そ、そんなことまで。今は関係ないだろ」
『指摘されると受け入れられない、くだらないプライド。それが今、お前たちを分かつ要因になっていると、気付きもしない』
「な、何なんだよ! 結局クロエは何がしたいんだよ!」
斜に構えたクロエ。
さらりと茶の髪が揺れた。
『知りたければ、答えを出せ』
「何?」
『言いたいことだけを吐き出し、喚き散らして醜い姿を晒したお前たち』
それぞれ指をさされた、おれとエレン。
互いに言い返せずたじろぐ。
『互いが納得のいく答えを示せ』
「おれとエレンが」
「納得できる答え」
二人で向かい合う。
先程よりは、頭が冷静になれている。
思い返すと、熱くなっていた自分が恥ずかしい。
おれは、認めたくなかっただけなんだ。
自分の選んだ道が間違っていたかもしれないと、思いたくなかっただけだったんだ。
それを、人のせいにしようとして、エレンが悪いと思うことで、おれが傷つきたくなかっただけなんだ。
……後で、もっと苦しい思いをするとも知らないで。
「さっきは、怒鳴るようなことをして、ごめん」
素直に頭を下げると、エレンから出ていた冷たい感情が鳴りを潜めた。
「あたしこそ、悪かったわ。結果論でダレンの選択を否定した。あたしは半信半疑だったの。あのまま上手くいくことを、確かに願っていた。だから、彼女の裏切りはとてもショックだった」
「うん、そうだね……」
二人、項垂れる。
滑らせた視線の先、しかしおれは、ハッと顔を上げた。
「そんな……」
ずるりと動くそれは、クロエに殺されたはずの女の体。
地を這うその先にいるのは――
「姫! 逃げてください!」
玉座の間の入り口の扉の陰で、こちらを窺っていたシャーロット姫。
どうやら、あまりの恐怖に動けないでいるようだった。
「お、おかあ、さま……」
「シャーロット……」
十八年間、ともに生き、慕ってきた母の姿。
思い出の中で優しく微笑む。そんな母を奪われた彼女にとって、これはなんと残酷なことだろう。
「姫!」
駆け寄りながら叫ぶ。
姫の足元にまで辿り着いた、王妃だった女。
まるで呪いの言葉のように、娘に言葉を吐く。
「ああ、シャーロット……私の、娘……その体を、私に、返して、ちょうだい」
「え――」
「私が生んでやった、その体を、返して、ちょうだい……さあ、さあ、さあ!」
「ひっ……!」
ガシッと姫の足首を掴み、その体をよじ登ろうとする女。
姫の体を奪おうとしている。
しかしそんなことを黙って見過ごすなんて、あり得はしない!
「力を貸して! クロエ!」
『本当、扱いが荒いわね!』
そうは言うものの、クロエの命によって地が揺れ、割れる。
引き剥がされた二人を、シルフが更に引き離し、シャーロット姫はウンディーネの水が優しく包み、女をサラマンダーの炎が激しく包み込んだ。
「おのれ……」
転がる天族の女。
姫をルーカスさんが抱き留めたのを確認し、おれは既に女へと駆け寄っていたエレンの元へ急ぐ。
「おのれ、おのれ、おのれえっ……!」
咆哮とともに、女の体から執念のような、黒い影のようなものが噴き出す。
それは黒い塊になり、一直線にエレンへ向かっていった。
「エレン!」
「ちっ……!」
銃をぶっ放すエレン。
しかし銃弾は黒い塊を擦り抜けてしまい、まったく利いていない。
そして――
「!」
あっという間に黒いそれは、エレンの体を包み、呑み込んでしまった。
「エレン!」
おれの叫びだけが、辺りにこだまする。
皆の息を呑む音だけが、微かに耳へ届いた。
「エレン! エレン!」
もぬけの殻になった天族だったそれに目もくれず、エレンの体を揺さぶる。
焦点の合わない彼女の瞳に、ただただパニックに陥る。
そんな彼女の口から、言葉が発された。
「あ……」
「エレン? 良かった。エレ――」
「さすが私の分身……拒否反応なんてないようね」
「え、エレン……?」
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