「そうですね、基本的には。しかし、この森は我らが森。この外であればいざ知らず。ここでは、自由に活動が可能です。まあ、先程まで休んでいましたがね」

「それはそれは、起こしてしまったようで」

「構いませんよ。おかげで、こうして魔王様を招待できたのですから」

 なるほど、この森の中であれば、例え夜でなくとも人間を襲うことができるのか。

「最近、人間を襲っているようだな。おまえたちの噂を耳にした」

「ああ……やはり魔王様は、人間の味方ですか?」

「つい先日まで、人間だったものでね」

「そうですか。まあ、そうですね。それは、仕方がないというものでしょう」

「失望したの?」

「いいえ、可憐な魔王様。そんなことはありませんよ。ただ……」

 ジェームズは、窓際へと歩いて行く。

 その目は、森を見ていた。

 遠くを、見ていた。

「我らは、人間の血からしばらく遠ざかっておりました。代わりになるものは、いくらでもありますからね」

「であれば、何故」

 ジェームズは、顔だけをこちらへと向けた。

 その瞳は、悲哀を湛えていた。

「人間から、我らへと近付いたのです」

「人間が?」

 話によれば、この森の奥でひっそりと暮らしていた吸血鬼一族。

 時折、勇者や冒険者たちが、この森へ足を踏み入れることはあったそうだ。

 無理もない。この森は、魔王城の近くだ。

 出くわせば、彼らとも対峙した。

 しかし、そうではない人間が、この森へとやって来るようになった。

 勇者でも、冒険者でもない。魔王城へ行くことが目的ではない人間。

 そして彼らは森に出入りするようになり、動植物を狩り始めたという。

「最初は、目を瞑っていました。しかし、それは段々とエスカレートしていきました」

 木を伐り、しまいには火を放ったというのだ。

「火?」

「ええ……我らの大事なこの森を、人間は傷つけたのです……どうして、黙ったままでおられましょうか、魔王様」

「そんな……彼らは何のために……」

「わかりません。その者たちは、もう話を聞ける状態ではありませんからね」

「そうか……」

 そんなこと、誰も言ってはいなかった。

 ただ、魔族に、吸血鬼に、人が襲われたと。

 それだけしか……。

「私は、この森を任された吸血鬼一族の長です。この森と魔族たちを守るためにおります。もちろん魔王様もです。我らは、あんな人間どもにこの森を汚されたことが許せません。それでも魔王様は、そのような人間を襲った我々を罰しますか?」

 おれは、すぐに答えられなかった。

 それは、エレンも同じだった。

「……さあ、話が長くなってしまいましたね。紅茶も冷めてしまったでしょう。淹れなおさせます」

「いや、構わないよ」

「十分、美味しい」

「それは、光栄です」

「――本当で御座いますわ」

 ふいにした声に、おれが顔を上げる。

 刹那、既にジェームズの首は

 どころか、その心臓は女の手によって握り潰されている。

 ガチャンとカップが割れたことに気も回らず、おれはその場に立ち尽くしていた。

「ダレン様とエレン様に冷たくなった紅茶を飲んでいただくなど、過ぎたこと。お前の身には、余りますわ」

 血飛沫を浴びて、もう聞こえていないであろうジェームズへ向ける瞳は、見たことのない昏い金色。

 彼の転がる頭を踏みつけながら、汚いものでも見るかのような視線を向けて彼女は――エマは、そこに立っていた。

「エマ……どうして……」

「何で、こんな……」

 やっと絞り出せたのは、それだけだった。

 二人で、ただ目の前の光景を見ているしかできないでいる。

 しかし、こちらを向いたエマは、ぱあっとその表情を明るくさせた。

 それは、いつものエマの笑顔だった。

「ああ、ダレン様、エレン様! 御無事で宜しゅう御座いました!」

「ああ……うん……ねえ、どうして、ここへ?」

「昼には戻ると仰っておりましたので、何かあったのではないかと思いまして」

「そう……遅くなってごめんね、エマ」

「いいえ、いいえ! まさか、もう事を進めておられるとは……エマの考えが至らず、申し訳御座いません」

 いったい何のことを言われているのかわからず、おれたちは顔を見合わせる。

「エマ? それ」

「何のこと?」

 そう言うと、エマはにっこりと笑った。

「まずはことをお決めになったのですよね?」

 その言葉に、血の気が引いた。

「まさか……エマ……」

「ジェームズ以外の人たちも……?」

「ええ。もちろん――根絶やしにして参りました」

 もうおれたちは、何も言えなかった。

 そこからどうしたかは、あまり覚えていない。

 とりあえず休みたくて、帰ろうと言ったのだと思う。

 そして気が付くと、おれたちは城のベッドの上にいた。

『帰ってきたのね』

「クロエ……」

『私の治癒は、人間の心というものには効かないわよ。さっさと立ち直ることね』

「うん……」

 それだけ言って、精霊はまたどこかへ飛んでいってしまった。

 不器用な、彼女なりの励ましなのだと思うことにした。

「エマ、心配してたね」

「ご飯、いらないなんて言ったからね」

「後で、温めて食べよう」

「そうだね……食べられるようになったらね」

「うん……食べたくなったらね」

 二人で、天井を眺めながら転がる。

 窓からは、心地好い光と風が入ってきていた。

「魔族は、悪いもの、だよね? ダレン」

「そのはず、だよ、エレン」

 だって、ずっとそうだと教えられてきたんだ。

 誰も、他のことなんて言っていなかった。

 実際に、人間を襲う魔族を見た。

 それに、襲われたこともある。

 だけど……。

「わからないなら、確かめればいい」

「ダレン?」

「だっておれたちは今、魔王なんだから」

 がばっと起き上がる。と、エレンも起き上がった。

「そうだね! 誰も教えてくれないことなら、自分で確かめよう」

 魔王システムのこと。

 魔族のこと。

 他にも気になることは、たくさんある。

「誰かに植え付けられた常識なんてものは、捨ててしまおう」

「この目と耳で見て聞いた情報の中から、自分で選び取るんだ」

「それを」

「信じて」

「前へ」

「進む」

 おれたちはそう決意して、頷き合った。

「エマのことは、上手く使わないと」

「だね。純粋で無邪気だ」

「まっすぐで」

「素直で」

「従順」

「……気を付けよう」

「うん。気を引き締めよう」

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