「凄い大きな音……そんなに詰め込まなくても誰も盗らないし、今は襲われることもないから、ゆっくり食べなよ」

「あ、うん。そうだね……」

 子どもの頃からそうだった。

 食事は、戦争だった。

 おれたちは、物心ついた時には教会の子どもだった。

 そこで、同じように親のいない子たちとともに、シスターたちに育ててもらった。

 限られた食事の中、もたもたしていると奪われていく。

 衛兵になっても、ゆっくりと食事なんてしていられなかった。

 やることは山積み。急いで補給して、仕事へと戻っていく。

 姫が攫われてからは、城の警護もより強固なものになり、腕に覚えのある者は討伐隊として城を離れたこともあり、更に仕事量は増えた。

 王に腕を見込まれて勇者として旅立ってからは、過酷な旅路の中、食べ物にありつけないこともあった。

 やっと食事にありつけても、最中に盗賊や魔族に襲われることもしばしば。

 そんな中で生きてきたおれたちだ。

 ゆっくりと食べるなんてこと、意識しなければできないことだった。

 そのことを、エレンも噛み締めているのだろう。

 両手に握ったパンを見つめていた。

「で、さっきは何て?」

「ん? ああ! 同じような部屋ばっかりだったね! って言ったの」

「……ああ、そうだね」

 エレンの言葉に苦笑して、おれもパンを齧った。


「新しい魔王様、こちらでしたか!」


「誰だ!」

 ガタンと椅子が倒れるのも気にせず、反射的に剣を手に立ち上がる。

 隣に座っていたエレンも、手にはパンではなく、銃を握っていた。

 扉のそばに立つ女。気配をまったく感じなかった。

 ……いったい、何者だ。

「ああ、向けられる敵意……美しい碧眼が四つも……ふふ、良いですね。とても良いですね」

「?」

 恍惚とした笑みを浮かべる女の口元は、だらしない。

 しかし、感じる力は最強クラス。

 以前のレベルなら勝てただろう。しかし今のおれたちでは、赤子のように手を捻られてしまう。

 それほどまでに溢れるそれは、魔力。

 この女、見た目は人間そのものだが……。

「魔族か」

「はい、魔王様方。お初にお目にかかります、エマと申します。以後、お見知りおきを」

 エマと名乗った魔族。見た目は二十四、五くらいの女。

 長く艶やかな紫色の髪に、金色の瞳。

 物腰丁寧な大人の女性といった印象だ。

 しかし、おれたちを見る目は、その、何だか怖い。

「鋭い敵意が、ビシビシ刺さります……ああ、何と心地好いのでしょうか」

 この人、何なんだろう……。

 睨まれているのに、とても嬉しそうだ。

「で、誰。魔族が何の用だ?」

 そう言うと、何と彼女はつかつかとこちらへ歩いてきた。

 何か、近寄って来たんですけど――!

 って、わ、手を握られた! 左手!

 しかも、ガシッと結構強い力で!

 両手で、しっかりと握り込まれた!

「エマです。魔王様」

「へ?」

「エマです」

「……え、エマ、さん」

「エマとお呼びくださいませ」

「…………エマ」

「はい! 何でしょうか、魔王様!」

「…………」

 おかしいな。見えないはずのハートが、彼女からいっぱい溢れている。

 これも、魔法なのかな……魔法って、便利だ。

 ちらとエレンを見れば、おれと同様に困惑していた。

 そうだよね。そうなるよね。

 どうしてこの人、呼び捨てにされて声のトーンが上がったんだろう?

 あれ、何か、息が荒くなってないか?

「はあ、はあ、御手が、白くて、小さくて、可愛らしくて……ふふ、ふふふ、何て美味しそうなんでしょう」

「!」

 ぞわりと悪寒が全身を駆け巡った瞬間、思わず手を引いてしまった。

 いや、おれの判断は間違ってはいなかったはずだ。

 しかし、そんなおれの行動にも顔色を変えず、エマは楽しそうな笑みを浮かべていた。

「失礼致しました。魔王様の御手が素晴らしかったものでつい、取り乱してしまいましたわ。剣を振るわれる素晴らしい御手……左手の中指から下の三本にマメができていますね」

「――!」

「鍛錬を怠らない剣士の御手ですわね。それも、相当な使い手とお見受けします」

 おれが剣士だなんてことは、右手に握ったままの大剣を見ればわかることだ。

 動揺することはない。

 そのはずなのに、何故だろう。

 彼女の金色の瞳にうっそりと見つめられるだけで、何もかもを見透かされているような気になってしまうのは――

「ああ、そうでしたね。わたくしめが何用でここに来たのか、でしたね!」

「あ、ああ、うん……」

 エマは先程までのやりとりなどまるでなかったかのように、両手をパンッと合わせて、にっこり笑って話を戻した。

「わたくしめは、代々の魔王様の副官をさせていただいております。先代様には、この城へ近付かぬようにと命をいただいておりました」

「そう、なんだ……」

 ルーカスさん……この美人を追い払ったんだ……いやでも、うん、何か、わかるかもしれない、その気持ち……。

「魔王様が継承されましたので、ご挨拶をさせていただきたく参りました」

 ――この人、魔王が継承されるのがわかるのか!

「エマ、一つ教えて」

「どうぞ魔王様、一つと言わず!」

「あ、うん。とりあえず、今は一つで良いよ」

「はい、何なりと」

 ああ……会話に疲れるな。

「えっと、そう。きみには、魔王が継承されるのがわかるってことだと思うんだけど、他の魔族にもわかるものなの?」

「いえ。そんなことは御座いません。魔王様の元にいち早く馳せ参じるのは、わたくしめの特権で御座います。他の者になど、一切許しませんわ。もしもそんなことがあれば……ふふ」

 突然、肩を震わせ始めるエマ。

 うわ、低い声で笑い始めた……!

「ふふふ……わたくしめは、その者の目を潰して、抉り抜いて、殺してしまいますわ……」

「……うん、そういうの、魔族間だけにしておいてね。あと、おれたちの前ではしないで」

「それは命令ですか? 命令ですね! 承知致しました。ああ、初めての御命令です。なんという幸せでしょう。このエマ、必ずやお二方の前では、魔族の目を抉り殺すことを致しませんわ!」

「あ、うん……まあいっか」

 とりあえず、おれたちが新たな魔王だということは、まだこのエマにしか知られていないようだ。

 下手に魔族たちが噂したりして、人間の耳に入ることはないということだ。

 エマにも、一応口止めしておくか。

「エマ、お願いがあるんだ」

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