「命令ですか?」

 なんて期待に満ちた目なのだろう。

 おれは、彼女のペースに巻き込まれっぱなしだ。

「あ、うん。じゃあ命令」

「新たな御命令ですね! 何でしょうか?」

「……おれたちが新たな魔王だってことを口外しないでほしいんだ」

「魔王様方が、魔王だと言わなければ良いということでしょうか?」

 彼女にとって、不思議なお願いだったのだろう。わかりやすく顔に書いてあった。

「そう。知っているのは、おれたちだけ。ダメかな?」

「わかりました! わたくしめと魔王様方との秘密というもので御座いますね! エマめは嬉しゅう御座います! 必ずや誰にも申しません!」

「うん、ありがとう……あのさ、とりあえずご飯食べても良いかな?」

「え……ああ!」

 食卓には、ちぎったパンが転がっている。皿に残ったスープは、もうすっかり冷製だ。

「まあ、わたしくめとしたことが、何という失態! 魔王様方の神聖なお食事の時間の邪魔をしてしまっただなんて……! このエマ、死んで償いを――」

 何かとんでもないこと言い出した!

「いやいや、やめて」

「ああ、わたくしめの命程度では足りぬということですね。しばし御時間をいただけますか? 十程狩って参ります」

「いや、だから落ち着いて」

「魔王様?」

「そんなのいらないから。死ななくていいから、こんなことで」

「ですが……」

 困惑するエマ。

 どうしたものか……そう思っていると、ずっと黙っていたエレンから、くすりと笑みが聞こえてきた。

「じゃあ命令よ、エマ。あなたに罰を与えるわ!」

「何でしょうか、魔王様!」

 もう、どうしてこの魔族は罰と言われて恍惚とした笑みを浮かべるんだ!

 魔族って、皆こうなのか?

「これから、あたしたちのご飯はあなたが用意なさい。毎日、あたしたちの口に合うように。良いわね、これは罰よ。これを守れなければ、もう二度とあなたに命令はしないわ」

「ああ……なんということでしょう。罰をいただいてしまいました。それも、これから毎日御傍にいられるだなんて……承知致しました。必ずや、魔王様方の御口に合う品を用意致します」

「わかったら、今は控えていなさい。この扉の外でね」

「承知致しました」

 エマが嬉しそうに食堂から出て行く。

 その一連の流れを、おれはただ黙って見ているしかなかった。

「えっと……エレン」

「なあに、ダレン」

「とんでもない人が来たね」

「ええ、とんでもない人が来たわ。あたし、ずっと見ているしかなかったもの」

「でも、さっきは見事だったよ。やっとエマが、ここから出て行ってくれた」

「ずっと観察していたもの。少しはわかったわ」

「それは凄いね、エレン。彼女の扱いは、きみに任せたいよ」

「嫌よ。それだけは御免だわ」

「そう。とりあえず、ご飯を食べようか」

「そうね、そうしましょう」

 スープを温めなおして、改めて考える。

「ねえエレン、彼女のこと、どう思う?」

「え? 変態だということを聞いているの?」

「違うよ。……違わないけど」

「じゃあ、魔族だけれどそばに置くべきかということ?」

「そう。ご飯の命令をしていたから、どういうつもりなのかと思って」

 スープを皿によそって、席に着く。

 スプーンで掬い口に含むと、その温かさに顔が自然、綻んだ。

「彼女は、信用して良いと思うわ」

「どうして?」

「ルーカスさんの言いつけを、ずっと守っていたからよ」

「それだけ?」

「嘘を吐いているようには見えなかったわ」

「彼女は魔族だ。平気でおれたちを騙すことくらい、できるかもしれない」

「……やけに絡むじゃない」

「そんなことはないよ」

 おれも彼女が信用できないとまでは、実際思っていない。

 けれど、いくら魔王だからって、急に現れた魔族をそばに置くなんて、気を抜きすぎてやしないだろうか。

「じゃあ、試してみましょう」

「え?」

 食事を終えた頃、エレンはエマを呼んだ。

 彼女は嬉しそうに、にこにこしながら早歩きで眼前に現れた。

「お呼びですか? 魔王様」

「エマ。あたしたち、魔族を粛清しようと思っているの。手を貸してくれるわね?」

 エマは、きょとんとしている。おれは、開いた口が塞がらなかった。

 急に、何てことを言い出すんだ、この姉は。

 そんなことを魔族に言うなんて。それも、こんな高レベルの魔族に。

「魔族を……?」

 そう呟いたエマは、その顔から笑みを消していた。

 ああ、ほらどうするんだこの状況!

 彼女と今のおれたちでは、分が悪すぎるというのに。

「エレン……!」

「良いから見てなさい」

「え?」

 不安になって彼女の名を呼ぶ。

 しかし、エレンの口元は弧を描いていた。

「エマが信用できるって証拠を、見せるわ」

 そう言い放つエレンの顔は、自信満々。

 おれは、再び魔族の方へ視線を戻す。

 と、エレンの自信に納得した。

「ふふ……うふふ……」

 そう笑うエマの表情は、怒りとはかけ離れた、恍惚のそれだった。

「なんて素晴らしいのでしょう! 新魔王はなんという御方なのでしょう。このエマめに、同族殺しを手伝えと仰った! なんという偉業。なんという鬼畜! それでこそ魔王様です! ああ、そんなことは今までのどの魔王様だってなさらなかった。初めてです! エマめは嬉しゅうございます! 魔王様方にお仕えできること、これ以上の幸せは御座いませんわ! 想像しただけで今からこの体、滾ってしまいます!」

 キラキラと喜びに満ちた瞳。紅潮した頬。上がる息。

 ああ、本当にこの魔族は魔王に、おれたちに、素直で従順な絶対の忠誠心を誓う存在。

 自ら尻尾を振り、首輪をつけた奴隷のようだ。

「エマは、おれが死ねと言ったら死ぬの?」

「もちろんで御座います、魔王様」

「どうして? 魔王だからって、そこまでして従うものなの?」

 エマはきょとんとして、そして笑った。

「もちろんで御座います。だって、エマめはそのために存在するのですから。ですから魔王様、ずっと御傍に置いてくださいましね。必ずやお役に立ってみせますから」

「だって。どうするの? ダレン」

「わかったよ。エレンの勝ちだ」

 勝ち誇ったように笑う姉に肩を竦めて、おれは彼女の言う通り、エマを信用できる存在だと認めることにしたのだった。

「では、まずはどの部族から滅ぼしますか? いつ向かわれますか? 今からですか?」

「エマはちょっと落ち着くこと!」

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