勇者、強制転職

 

 高鳴る鼓動、武者震い。

 ワクワクとドキドキと緊張と、少しの不安。

 ここまで長かった。ようやく、ここまで来た。

 思えば、今まで何度死にそうになったか。

 何回、挫けそうになったか。

 幾度、背負った期待に潰されそうになったか。

 しかし、それもこれまで。

 この戦いさえ終われば、何もかもが終わる。

 大丈夫。ここまでずっと、二人でやってきた。

 今までずっと、何でも二人でやってこれた。

 手に握るのは、ずっと振るってきた大剣。

 隣に立つのは、同じ顔をした頼もしい相方。

 大地の加護をもたらす精霊もいてくれる。

 健康そのもの。心身ともに準備万端だ。

 深呼吸をする。目を閉じた。

 この扉の先には、姫を攫った魔王がいる。

 数々の勇者たちを返り討ちにしてきた、魔王が。

 城仕えの元近衛兵の先輩勇者――彼も帰ってはこなかった。

 姫を救うためにも、彼らの、彼の敵を討つためにも。

「絶対に、終わらせてみせる……!」

 おれは、スッと目を開ける。

 透けるはずもない扉を見据えた。

「さ、行こうか! ダレン」

「うん。行こう、エレン」

 おれたちは、重厚な扉に手を掛けた。

 ギィッと音を立てながら、押し開ける。

 この先に、魔王がいる。

 知らず、ごくりと喉が鳴る。

 剣を握る手に力が入る。

 先に、エレンが一歩足を踏み入れた。

 まったく……いつも考えずに行動するのだから、この姉は。

 銃を構えながら辺りをきょろきょろと警戒する姿を、斜め後ろから見る。

 立ち位置が逆だと、何度言えばわかるのだろうか。

「また、勝手に足を踏み入れる者が来たか……」

 ふいに届いた声に、足を止める。

 姫を攫っておいて、おれたちの不法侵入を咎める溜息混じりの声に、眉間へ皺が刻まれた。

「出たな、魔王……」

 出たなも何も、おれたちが踏み込んだのだから、いてもらわなくては困るのだが……。

 しかしおれは、脳裏に浮かんだ言葉を姉に向かって口にするのは止めた。

 今は、そんな場合ではないからだ。

 古めかしい城。ひんやりとした空気が流れ、溢れる魔力とともに肌を突き刺す。

 見渡すと、玉座までまっすぐに赤い絨毯が敷かれている。

 顔を上げると、そこにはドレス姿の女性がいた。

 豪華な玉座に、可憐に腰掛けている。

 城仕えの時に遠目でしか見たことがないけれど、間違いない。

 美しいプラチナブロンドのロングヘアー、透明感のある澄んだ蒼い瞳。

 憂えた眼差しさえ美しい、聡明な面差し。

 我が国の王女。魔王に攫われた、シャーロット姫だ。

 彼女の隣に立っている人物の他には、誰もいない。

 ということは、間違いなく彼が魔王。

 暗闇のように漆黒な髪に、同色の瞳。

 携えているのは大剣。

「――っ! お前たちは……!」

「え? その声は……」

「そんな……」

 おれもエレンも、驚愕を隠しきれず足を止めてしまった。

 見たことのある大剣。

 サラサラの艶やかな髪。

 細いけれど、温かな眼差し。

 低めの、優し気な声。

「まさか……魔王って……」

「来てしまったんだね。ダレン、エレン」

 そこにいたのは、見知った人物。

 城仕えの、元近衛兵の先輩勇者。

 とても優しい、おれたちの兄のような存在の人。

「ルーカス、さん……?」

 信じられなかった。

 姫を救うべく、魔王討伐隊の勇者として立ち上がった彼。

 当時、国一番の期待を寄せられていた人物。

 しかしその後、戻って来ることもなく、消息不明として亡くなったものとされていた。

 生きていた……良かった。生きていたんだ。

 でもどうして、強くて優しい、頼れるこの人がここに……だってここには、魔王がいるはずなのに。

 そんなはずはない。何かの間違いだ。

「そ、そうか! ルーカスさんが魔王を倒したんだ!」

「そ、そうね! そこにあたしたちが来たんだわ!」

「そうだよ。そうに決まってる」

「そうね。そうに決まってるわ」

 二人で顔を見合わせて、ルーカスさんの方を向く。

 おれたちは、もうわかっていた。

 そんなことが、あるわけがない。

 あれから、一年……だったら今日まで、彼は何をしていたというのか。

「そうだよね、ルーカスさん」

「そうだと言ってよ、ルーカスさん!」

「……すまない。二人とも」

 逸らされた、耐えるような瞳がすべてを物語っていた。

『ちょっとちょっと! 二人とも、何やってるのよ』

 ちょろちょろとおれたちの周りを飛ぶ、手のひらサイズの精霊。

 彼女は、目の前の男を指差した。

『こんな強大な魔力、気付いていないとでも言うの? こんなの魔王でしかありえないわ!』

 そんなこと、言われなくてもわかっていた。

 魔力を有している時点で、彼はもう人間ではない。

 おれたち人間に、魔法を使える者などいないのだ。

 使えるとしたら、魔族……それに準ずる者でしかない。

「どうして……どうしてルーカスさんが魔王に!」

「そうよ! どうしてなの? 魔族に魂を売ったとでも言うの?」

「君たちは帰るんだ。さあ、姫を連れて行ってくれ。ここまで来た君たちになら、彼女を安心して任せられる」

「そんなこと、できないよ! ルーカスさんも一緒に帰るんだ!」

「こんな俺が、帰れるわけがないだろう?」

「それは……」

 おれは、唇を噛んでいた。

 ずっと尊敬していた彼を、このまま一人置いて帰るというのか?

 せっかく生きて、再び会えたというのに……。

 おれたちを、本当の兄であるかのように面倒を見てくれた彼。

 彼には、未だに存命を信じて待っている家族がいる。

 それに、彼と姫は――

「教えてもらえるまで帰れません」

 ぐっと拳を握り締める。

 やっとここまで来たのに、このまま帰るだなんてことができるものか。

 それはエレンも同じだったようで、二人して詰め寄った。

「そうよ! ルーカスさんが魔王になった理由があるはずでしょ。それを知るまでは帰らないわ!」

「……話したら、素直に帰ってくれるのかい?」

「約束するわ」

「わかった……話すよ」

 ルーカスさんは、もちろん姫を攫った魔王ではない。

 彼ら一行がこの城へ辿り着いた時、姫は当時の魔王に捕らえらえた状態だったという。

 命からがらなんとか魔王を討伐したその時、その場に立っていたのは、なんと彼一人だったそうだ。

 多くの仲間という犠牲を出してしまったものの、魔王を倒すことに成功。

 これで姫は救われ、帰還できる――そう一安心したルーカスさんは、しかしその場に倒れた。

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