勢いに乗っていた彼は、スピードを殺せずその場に倒れ込む。

 そして――

「え?」

 突如降ってきたのは、大木。

 彼は、その下敷きになったのだ。

「な、なんで木が……」

 ズシンと響く音。巻き起こる砂塵。

 思わぬものの登場に驚いていると、エレンがこちらへ淡い苦笑を浮かべながら歩いてきた。

「いやあ、手強かったー」

 そう呑気なことを言う彼女の防具は傷付き、防具から露出していた衣服や肌は、ところどころが切り裂かれ、血が滲んでいた。

「エレン様、傷の治療を……」

 エマがスッと手を伸ばしたのも見えずに、おれはエレンを抱き締める。

「ダレン? ……怒ってるの?」

 そっと頭を撫でられる。

 言いたいことがいっぱいあったのに、ズルい。

 全部どこかへといってしまった。

「……クロエ」

『はいはい』

 エレンを引っぺがして、精霊の名を呼ぶ。

 おれたちの頭上からずっと一連の出来事を眺めていた精霊は、いつもの様子でエレンの怪我を治してくれた。

「防具も綺麗になれば良いのに」

「防具屋が泣くよ」

「あははっ、それ面白い。クロエ、ありがとう」

『どういたしまして。本当に無茶ばかりで、目が離せないわね』

 くすりと微笑んで、クロエはまた自由にどこかへと行った。

「それにしても、エレン様はよく周りを御覧になっていらっしゃるのですね。さすがで御座います」

「ありがとう、エマ。銃兵としての訓練の時も、これだけは最初から褒めてもらってたんだよねー」

 エレンが状況判断を得意とする理由は、知っている。

 教会で暮らしていた時からだ。

 どこにでも、意地悪な人間はいるもので。

 それは大人でもあったし、子どもでもあった。

 その環境で、如何に罠から逃れるか。如何にトラブルを避けるか……観察し、立ち居振る舞う。

 おれはずっと、その後ろをついていくだけ。

 安全な彼女の切り拓いた道を、ただ歩いてきた。

 だから、おれは彼女とは違う剣を手に取った。

 一人で立つために。


 エレンを護れるようになるために――


「でも、いつの間にナイフなんて……」

 倒れた大木に刺さっていたのは、一本のナイフ。

 あの時に投げていた物の正体は、これだったのかと思い当たった。

「前は、持ってなかっただろ?」

「うん。ほら見て、この防具。ここにナイフを隠せるんだ。だから、昨日から仕込んでるの」

「昨日からって……」

 じゃあ慣れていないナイフを、あんなに鮮やかに投げてみせたっていうのか……。

「格好良いでしょー」

 嬉しそうなエレンに、おれはもう言葉もなく、ただ頷いた。

「う……」

 ふいに、木の下から呻き声が聞こえた。

 どうやら、意識を取り戻したようだ。

 エレンが、彼の元へと歩いて行く。

「この野郎……」

「あたしの勝ちよ。約束は守ってもらう」

 シルフの力を借りて、木を動かす。

 改めて見たナイフは、幹の奥深くへと突き刺さっていて、抜けそうにはなかった。

 どうやら、突き刺したナイフへと更に銃弾を撃ち込み、深々と刺さるようにしたようだった。

 そうして、今のシルフの力でも動かせる状態にしたこの木を、風で飛ばしてみせたのだった。

「チッ……わかったよ。これ以上は、そこのイカレ副官が黙ってねえだろうからな」

 いや、もう既に手遅れだったけど。

 というか、魔族にとってエマの認識っていったい……。

「魔王様が御止めになっていなければ、お前などとうにその首は繋がっていませんよ」

「ハンッ、そうかよ。それよりお前はその涎をどうにかしろよ、気持ち悪ぃ」

 エレンに礼を言われたことが嬉しかったらしく、エマは真面目な顔つきで口元からだらしなく液体を垂れ流していた。

 まあ、この様子を見ていたら、威厳なんてものは……ないよなあ。

 それでも、彼女の力の強さは嫌でも感じるのだろう。

 渋々といった様子で、接していた。

「しゃあねえ……誇り高き狼族として約束は守る。話だったな。とりあえず部族の村へ案内する。ついて来い」

 そう言って歩き出した彼を止めたのは、エレンだった。

「待って。怪我の治療を」

「いらねえよ。狼族ってのは、回復が早い」

「そう……」

「いいからついて来い」

 おれたちはその言葉に従い、山を登っていく。

 中腹辺りに来たところで、案内の足が止まった。

「ここが村だ」

「村? 村って、だってここ……」

 エレンが戸惑いの声を上げる。

 言いたいことは、おれにもわかった。

 おれたちの眼前に広がっていたのは、寂れた風景。

 壊れ倒れた家々や、朽ちた建物。

 生活の痕跡は見られない。

 誰もいない。

 彼以外、ここには誰もいなかった。

「狼族の長、これはいったい……」

「……長じゃねえよ」

「え?」

「……こんなの、もう長なんて言えねえだろ」

 そう言った彼の声は、絞り出すような弱々しいものだった。

 先程までの威勢の良さが嘘だったかのように、小さく見える。

「……こっちだ」

 再び歩き出した彼の後をついて行くと、とある小屋に着いた。

 扉を開けて、中へと入る。

 簡素な屋内の床に、向かい合って座った。

 もちろんエマが口を開きかけたので、先手を打っておいた。

「おれが最後の狼族、リアムだ」

 リアムと名乗った彼は、質問に答えるように語った。

 狼族の現状と、その原因を。

「村は見ての通りだ。生き残ったのは村を離れていた俺だけ。戻ったら、もうあの状態だった」

 もう数十年も前の話だという。

 一日村を離れていたリアムが戻ると、家々は壊され、狼族の人たちは殺されていた。

 愕然とした彼の前に現れたのは、一人の女。

 その女は、リアムを見てくすりと笑ったという。

 そしてその場から、突如飛び去って行ったのだそうだ。

「女?」

「何者なの?」

「……わからねえ。最初は人間かと思ったけど、人間が飛ぶわけねえし。かといって、魔力は感じなかったから、魔族でもない。精霊でもなさそうだったしな」

「それって……」

 人間でも魔族でも精霊でもなければ、残るは……。

「天族?」

 まさか、本当にいるというのか、天族が。

「わからねえ。天族を見たことがねえし、あいつがそうだってんなら、まあ確かにそうだったのかもしれねえ」

「……仮に、その人が天族だったとしましょう。どうしてその人は、狼族の村をあんな目に?」

「そんなの、わかるわけねえだろうが! ……俺が知りてぇよ」

 数十時間前までそこにいた人たち。

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