しかし、今目の前に広がっているそれは、記憶とはまったく違っていて――

「どういう、こと?」

「茨が……」

「これは、切られているな」

「魔女の魔力が消えていますね」

 ズタズタに切り裂かれた茨。

 ぽっかりと開いた口は、大人の男が通れるほどの幅があって。

 その切り口は、ナイフや剣のような鋭利なものが使われたということがすぐにわかるものだった。

「急ごう」

 何が起こっているのだろう。

 逸る気持ちが抑えられない。

 おれは駆け出していた。

「ダレン!」

「ったく……!」

 後方から、おれを呼ぶ声がする。

 しかし、構ってなどいられない。

 ものすごく嫌な予感がする。

 彼女に何かがあったんじゃないか。

 脳裏を過る、吸血鬼族の長ジェームズ、巨人メイソンの顔。

 リアムの仲間たち、壊された村。

 転がっていた人間だったもの。

 こんな時に、願うしかできない自分が歯痒い。

 肩で息をしながら、立ち止まる。

 エレンが、おれの隣に追いついた。

 リアムとエマが、涼しい顔をしておれに並ぶ。

 おれたちは、誰もが言葉を失っていた。

 目の前の光景が理解しがたくて。

 信じることが、できなくて――

「にん、げん?」

 小屋を取り囲むようにして、男たちが立っていた。

 その格好は、よく知っている。

 随分と懐かしいけれど、おれも同じ格好をしていた。

 城仕えの衛兵たちの装備だ。

「そんな……アメリア!」

 飛び出そうとするエレンを咄嗟に止める。

 しかし、リアムがおれの腕を擦り抜けた。

「リアム! ――っくそ!」

 彼がこういう時に止まっていられるはずなどない。

 仕方がない。

 おれもエレンの腕を離して、駆け出した。

「な、何だ!」

「魔力保持者? 魔族だ! 魔族が来たぞ!」

「狼男だ!」

 リアムに気付いた衛兵たちが狼狽える。

 軽やかな銀髪の男は、武器を向ける彼らを軽くいなし、小屋へと近付いていった。

「何事だ」

 小屋の前まで辿り着いたおれたちの目の前に、ちょうど小屋から出てきた男が姿を現した。

 サラサラの艶やかな漆黒の髪に、その色を写し取ったかのような瞳。

 細いけれど、温かな眼差し。

 低めの、優しげな声。

 見たことのある、大剣を持った男。

 次期国王となることが決まった、元勇者の英雄。


「ルーカス、さん……」


 立派な装飾品のついた鎧を着けた彼が、事切れた白髪の魔女を抱えて立っていた。

「お前たち……」

 おれたちを見て、彼もその動きを止めた。

「どうして……」

 彼の腕に抱えられたアメリアは動かない。

「……アメリアを、殺したの?」

 恐る恐る顔を上げて問う。

 と、ルーカスさんは、しかし笑っていた。

「アメリア? ああ、この魔女のことか。そうなんだよ。魔女がここに隠れ住んでいるという情報が入ってな。この西の地に魔族がいると知ったら、国民たちが怯えてしまう。だから、何かがある前にな」

 おれとエレンは、声も出せなかった。

 そうだ。

 これが、人間だ。

「てめえら! そうやって、魔族だからって殺しやがって!」

 リアムが、怒りに任せて吠える。

 その姿を見て、ルーカスさんが顔を顰めた。

「狼男……北の地にいるはずでは……」

「ルーカスさん、リアムは――」

「ああ、もしかして、君たちがここまで追ってきたのかい?」

「え――」

「それともまさか、魔族に染まってしまったというのかい?」

 鋭くなった瞳に睨まれる。

 知らない。

 こんなルーカスさんの目は、知らない。

「離せよ!」

「ルーカス様、狼男を捕らえました。いかがいたしましょうか?」

「ご苦労。俺が手を下そう」

 ルーカスさんが、衛兵たちに捕まってしまったリアムへと、その大剣を向ける。

 どさりと、その辺に捨てるように落とされたアメリア。

 おれは、拳を握り締めた。

「エレン、良いかい?」

「良いよ。良いよ、ダレン」

 歯噛みするエレンは、どこか泣いているようにも見えた。

「ノーム!」

「シルフ!」

 衛兵たちを、土の壁と巻き起こる風が襲う。

 その中で、リアムを護るようにエレンが銃を手に彼の前に立つ。

 おれは、そんなエレンの隣に立ち、握った剣の切っ先をルーカスさんへと向ける。

 風が、おれたちのフードマントをなびかせ、その顔を衛兵たちの眼前に晒した。

「――まさか!」

「英雄のお二人?」

「エレン、ダレン?」

 どよめきが起こる。

 今や国民に、おれたちのことを知らない者はいない。

 ましてや、彼らは城仕えの衛兵たち。

 おれたちの先輩や、同期たちもいる。

 旅立つ前からの顔見知りもいる。

 そうでなくてもわかるだろう――おれたちは、ルーカスさんと同様に英雄となった、双子の元勇者なのだから。

「二人は、魔王に倒されたはずでは……」

「しかし今、魔法を使ったぞ!」

「センサーが反応している! もの凄い魔力値だ! これはまるで……」

 そして、誰かが呟くように口にした。


 魔族の頂点たる「魔王だ」と――


「魔族を助けていた……魔族だ」

「魔王だ」

「危険だ!」

「ルーカス様はお下がりを」

 ザッと、おれたちとルーカスさんを隔てる人の壁。

 しかし、次期国王は衛兵の制止も聞かず、再びおれたちの目の前へと現れた。

「何故、魔族を助ける」

「彼は、おれたちの仲間だ。アメリアもそうだった!」

「魔族が仲間? そうか……お前たちは心までも魔王になってしまったというのだね」

「違う! あたしたちは――」

「お前たちは、憎き魔族だ! どうして大人しく城にいてくれなかった! そうすれば、こんなことにはならずに済んだものを!」

 悲痛な叫びにも似た訴えに、しかし引くわけにはいかない。

 おれたちが姿勢を崩さないのを確かめてから、諦めにも似た溜息を一つ吐いて。

「――捕らえろ。英雄は魔族に、その魂を喰われてしまった。浄化するためにも、彼らを捕らえるのだ!」

 冷酷な瞳でおれたちを見下して、そう英雄は吐き捨てるように命令した。

 そうして、くるりと踵を返して行ってしまう。

 もう、おれたちのことなど見たくもないとでも言うように。

 その態度に、おれの中で感情が爆発した。

「どこ、行くんだよおっ!」

「ダレン……」

「おい! 戻れえっ!」

 おれの叫びなど聞こえていないかのように、ルーカスさん――ルーカスは、背を向けたまま振り返りもしなかった。

 ギリと奥歯を噛んで、拳を握り締めて。

 おれは、後方にいるであろう彼女の名を呼ぶ。

「エマ!」

「はい、ここに」

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