第2話 なんでこんなことになったのか
――
稲穂の刈り取りも終わり、虫の音が辺りをさざめくこの季節。
三郎の出で立ちは、きちんと
「……で、どうして私はアレと戦わなきゃいけないんだ」
アレ、とは眼前の川向うに着陣している敵軍のことである。三郎は、八咫家当主として、こたびの合戦に参陣していた。
ちなみに、三郎の名前である『
……とは言え、突然『朋弘』だなんて言われても、どうもしっくりこないんだよな。皆も未だに『三郎』って呼んでくるし。
「三郎様! まだそのようなことを仰っているのですか!」
三郎は背後から凛とした声に刺された。振り返ると、戦場にはおよそ似つかわしくない美しい少女が立っていた。
「なんだ
「三郎様がいつまでも屁理屈を言っておられるからでしょう! それに、
ぷいっと頬を膨らませて横を向く。
今は、朱色を施した甲冑に身を包み、持ち主の美貌をさらに際立たせている。
「それに、もうすぐ戦が始まるのですから、兜をお付け下さい!」
「ええ、アレ蒸れるから嫌なんだよな。それに、舞耶だって付けてないじゃないか」
舞耶は長く伸ばした黒髪を頭の後ろで束ねている。
「某は矢に当たるようなヘマはしませんから。三郎様は仮にも八咫家当主なのですよ!」
「はいはい、わかったよ」
「いえ、わかっておりませぬ! そうやってまたはぐらかして、付けないのでしょう!」
舞耶が喚きながら詰め寄ってくる。三郎は思わず耳を塞いで、ため息を吐いた。
「やれやれ、なんでこんなことになったのかなあ」
三郎は馬が肥えるという秋の高い空を振り仰いだ。
三郎が八咫家の家督を継いで半年後の現在。
三郎は主家である
南斗家とは八咫領のある
南斗家が国を治める大名なら、三郎の八咫家は
企業で例えるなら、南斗家は株式市場に上場している大企業であり、一方の八咫家は地域密着の中小企業に相当する。とは言え、八咫家は南斗家の家臣ではなく、あくまで独立した存在であるため、大手メーカー(南斗家)と関連下請け業者(八咫家)といった表現が近しい。
八咫家のような国人領主は、単独では己の土地を守れないため、南斗家に類する大名の庇護下に入っていた。その代償として、ひとたび戦が起きれば命令に従って兵を出す必要があったのだ。
兵力で言うなら、八咫家は五百人が精一杯、一方で南斗家は最大で一万人の動員が可能である。
もっとも、先の戦――父と二人の兄が討たれた夏の合戦――で八咫家は大きな痛手を被っており、こたびの出陣では総勢二百五十六名とかつての半数を数えるばかりである。
「その三百に満たない我々が、どうして千を超える敵と単独で戦わなくちゃいけないんだ」
三郎はふてくされながらこぼした。それをすぐに舞耶がたしなめる。
「また、そんなことを言って! 主家の命令なのですから仕方ありませぬ!」
そう、八咫家は主家である南斗家から、理不尽な命令を受けていたのだ。
そもそも、今回の出兵は、隣国である
羽支国――現在の愛知県西部、旧
ここを治める拓馬家は、南斗家に匹敵する実力を持ち、長年争いを続けていた。要は三重県と愛知県の戦争である。
その争点は、港の権益を巡ってであった。拓馬家がいくら優れた港湾を持っていようと、勢良湾への出入り口を抑えているのは南斗家である。つまり、南斗家が海上交通を取り締まれば、港湾での徴税で潤っている拓馬家はとたんに窮することになる。
一方で南斗家も勢良国内に港を有しており、そちらの安全を確保する意味でも海上交通を取り締まる必要があった。そのため、両家は互いに譲らず泥沼の戦いを続けていたのである。
今回の合戦は、拓馬軍総勢八千が勢良国内に大きく侵入し、それを迎え撃つべく南斗軍六千が
その南斗軍へ三郎率いる八咫軍二百五十六が合流しようとした最中、事件は起こる。
――数刻前、南斗軍本陣。
「なに? 八咫の
白髪まじりの男が眉をひそめながら聞き返す。恰幅が良いと言えば聞こえが良いが、でっぷりと太った様はまさに豚といった形容が相応しい。
「ふん、今更来ても遅いわ、あの青二才めが」
この男、南斗軍六千の総大将、
「たかだか三百足らずで何ができよう、まして今度の当主は刀も振れぬと聞くではないか」
「恐れながら、嘉納殿」
傍に控えていた若武者が申し出る。言葉自体は丁寧そのものだが、声が高く不遜な所作は慇懃無礼を体現している。頼高が豚ならこちらは狐だろうか。
「おお、鎌瀬殿か」
「いかがでしょう、八咫の連中に敵の先陣を叩くように命じなさっては?」
「なに、敵の先陣を叩けと?」
「左様です。物見の報告によりますと、敵の先陣一千が突出して我らの機先を制しようと窺っております。これを奴らに追い払わせるのです」
「しかし、八咫は三百足らず、失敗するのは目に見えているぞ?」
「失敗すればよいではありませんか」
ほう、と頼高は不敵に笑った。
「失敗すれば、それを理由に今度こそ領地を召し上げればよいのです。成功すれば、戦況が有利になるのですから、いずれにせよ困りはしますまい」
鎌瀬殿、と頼高は声を低くして呼んだ。
「はっ」
「いささか冗談が過ぎるな、そういったものは声を大きくして言うものではあるまい」
「これは失礼を致しました」
二人は見合わせてニヤリと口角を上げた。心の底で彼らは同意したのである。
「我らは敵の本隊と睨み合っているゆえに動けん。そこで、まだ着陣しておらぬ八咫軍に敵の先陣を任せる。そういうことだな、鎌瀬殿?」
「仰せのとおりにございます」
満久は恭しく頭を下げた。その様は演技がかって滑稽にすら見える。
かくして、八咫軍は単独での迎撃を命じられたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます