第2話 なんでこんなことになったのか

 ――天寧てんねい二十年十月。


 稲穂の刈り取りも終わり、虫の音が辺りをさざめくこの季節。

 八咫三郎朋弘やたさぶろうともひろは野戦陣地の真ん中で、苦虫をかみつぶしたような顔で床几しょうぎと呼ばれる椅子に座っていた。

 三郎の出で立ちは、きちんとまげを結い、薄花色に染めた着物の上から漆黒の甲冑を纏っている。姿だけ見れば武士に間違いないが、本人の仕草と華奢な体つきから、どうも着られているような印象を受ける。


「……で、どうして私はアレと戦わなきゃいけないんだ」


 アレ、とは眼前の川向うに着陣している敵軍のことである。三郎は、八咫家当主として、こたびの合戦に参陣していた。

 ちなみに、三郎の名前である『朋弘ともひろ』とは、家督を継いだ時に名乗った俗名である。この時代は、大人になった証として名前を変える風習があった。


 ……とは言え、突然『朋弘』だなんて言われても、どうもしっくりこないんだよな。皆も未だに『三郎』って呼んでくるし。


「三郎様! まだそのようなことを仰っているのですか!」


 三郎は背後から凛とした声に刺された。振り返ると、戦場にはおよそ似つかわしくない美しい少女が立っていた。


「なんだ舞耶まや姫か。そう耳元で騒ぐなよ」

「三郎様がいつまでも屁理屈を言っておられるからでしょう! それに、それがしは武藤家を継いだ身、姫ではございませぬ!!」


 ぷいっと頬を膨らませて横を向く。

 武藤舞耶むとうまや、十六歳。八咫家譜代の臣である武藤家を継いだ、れっきとした武将であった。また、三郎の側近として仕える身であり、そして三郎が寺に行く前からの幼馴染でもあった。

 今は、朱色を施した甲冑に身を包み、持ち主の美貌をさらに際立たせている。


「それに、もうすぐ戦が始まるのですから、兜をお付け下さい!」

「ええ、アレ蒸れるから嫌なんだよな。それに、舞耶だって付けてないじゃないか」


 舞耶は長く伸ばした黒髪を頭の後ろで束ねている。


「某は矢に当たるようなヘマはしませんから。三郎様は仮にも八咫家当主なのですよ!」

「はいはい、わかったよ」

「いえ、わかっておりませぬ! そうやってまたはぐらかして、付けないのでしょう!」


 舞耶が喚きながら詰め寄ってくる。三郎は思わず耳を塞いで、ため息を吐いた。


「やれやれ、なんでこんなことになったのかなあ」


 三郎は馬が肥えるという秋の高い空を振り仰いだ。






 三郎が八咫家の家督を継いで半年後の現在。

 三郎は主家である南斗なんと家の出陣命令に従い、一族郎党を率いて戦場に着陣していた。


 南斗家とは八咫領のある勢良国せらのくにを治めている大名である。ちなみに、勢良国とは伊勢国いせのくに――つまり現代日本の三重県に該当する。当時は都道府県の代わりに「国」と称していた。

 南斗家が国を治める大名なら、三郎の八咫家は国人こくじんと呼ばれる土着の小領主に過ぎない。県知事と村長みたいなものである。

 企業で例えるなら、南斗家は株式市場に上場している大企業であり、一方の八咫家は地域密着の中小企業に相当する。とは言え、八咫家は南斗家の家臣ではなく、あくまで独立した存在であるため、大手メーカー(南斗家)と関連下請け業者(八咫家)といった表現が近しい。

 八咫家のような国人領主は、単独では己の土地を守れないため、南斗家に類する大名の庇護下に入っていた。その代償として、ひとたび戦が起きれば命令に従って兵を出す必要があったのだ。

 兵力で言うなら、八咫家は五百人が精一杯、一方で南斗家は最大で一万人の動員が可能である。

 もっとも、先の戦――父と二人の兄が討たれた夏の合戦――で八咫家は大きな痛手を被っており、こたびの出陣では総勢二百五十六名とかつての半数を数えるばかりである。


「その三百に満たない我々が、どうして千を超える敵と単独で戦わなくちゃいけないんだ」


 三郎はふてくされながらこぼした。それをすぐに舞耶がたしなめる。


「また、そんなことを言って! 主家の命令なのですから仕方ありませぬ!」


 そう、八咫家は主家である南斗家から、理不尽な命令を受けていたのだ。






 そもそも、今回の出兵は、隣国である羽支国はしのくにを治めている拓馬たくま家との五十年に渡る国境紛争の一環である。

 羽支国――現在の愛知県西部、旧尾張国おわりのくにに相当する――は主要な街道が交差し、全国でも指折りの港湾を有する交通の要衝である。さらに、広大な平野を河川が縦断し、豊穣な土地が拡がっていた。

 ここを治める拓馬家は、南斗家に匹敵する実力を持ち、長年争いを続けていた。要は三重県と愛知県の戦争である。

 その争点は、港の権益を巡ってであった。拓馬家がいくら優れた港湾を持っていようと、勢良湾への出入り口を抑えているのは南斗家である。つまり、南斗家が海上交通を取り締まれば、港湾での徴税で潤っている拓馬家はとたんに窮することになる。

 一方で南斗家も勢良国内に港を有しており、そちらの安全を確保する意味でも海上交通を取り締まる必要があった。そのため、両家は互いに譲らず泥沼の戦いを続けていたのである。


 今回の合戦は、拓馬軍総勢八千が勢良国内に大きく侵入し、それを迎え撃つべく南斗軍六千が三次川みすきがわを挟んで対陣してした。

 その南斗軍へ三郎率いる八咫軍二百五十六が合流しようとした最中、事件は起こる。






 ――数刻前、南斗軍本陣。


「なに? 八咫の小倅こせがれが到着しただと?」


 白髪まじりの男が眉をひそめながら聞き返す。恰幅が良いと言えば聞こえが良いが、でっぷりと太った様はまさに豚といった形容が相応しい。


「ふん、今更来ても遅いわ、あの青二才めが」


 この男、南斗軍六千の総大将、嘉納頼高かのうよりたかである。南斗家における筆頭家老――企業で例えるなら専務か――であり、幼い主君に代わって軍を預かっていた。


「たかだか三百足らずで何ができよう、まして今度の当主は刀も振れぬと聞くではないか」

「恐れながら、嘉納殿」


 傍に控えていた若武者が申し出る。言葉自体は丁寧そのものだが、声が高く不遜な所作は慇懃無礼を体現している。頼高が豚ならこちらは狐だろうか。


「おお、鎌瀬殿か」


 鎌瀬満久かませみつひさ、南斗家の外戚筋に当たり、三郎より年少ながらも家中では一軍を任される武将である。部長ポジに相当するだろう。だが、その地位も実力で手に入れたわけではなく、家柄によるものである。


「いかがでしょう、八咫の連中に敵の先陣を叩くように命じなさっては?」

「なに、敵の先陣を叩けと?」

「左様です。物見の報告によりますと、敵の先陣一千が突出して我らの機先を制しようと窺っております。これを奴らに追い払わせるのです」

「しかし、八咫は三百足らず、失敗するのは目に見えているぞ?」

「失敗すればよいではありませんか」


 ほう、と頼高は不敵に笑った。


「失敗すれば、それを理由に今度こそ領地を召し上げればよいのです。成功すれば、戦況が有利になるのですから、いずれにせよ困りはしますまい」


 鎌瀬殿、と頼高は声を低くして呼んだ。


「はっ」

「いささか冗談が過ぎるな、そういったものは声を大きくして言うものではあるまい」

「これは失礼を致しました」


 二人は見合わせてニヤリと口角を上げた。心の底で彼らは同意したのである。


「我らは敵の本隊と睨み合っているゆえに動けん。そこで、まだ着陣しておらぬ八咫軍に敵の先陣を任せる。そういうことだな、鎌瀬殿?」

「仰せのとおりにございます」


 満久は恭しく頭を下げた。その様は演技がかって滑稽にすら見える。

 かくして、八咫軍は単独での迎撃を命じられたのであった。

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