第52話 明陽川の戦い 参

 長政の鉄砲隊によって、上陸した南斗軍六百は一瞬にして壊滅した。火器の集中運用という戦場の革命、まさにその瞬間であったのだ。


「間に合わなかったか……」


 三郎はその様子をつぶさに見つめていた。ただ、見ていることしか出来なかった。


 ……また、救えなかった。私は、また……!


 拳を握りしめるが、すぐに頭を振り払った。


 ……いや、己が万能だと思うのは自惚れだ。今は、目の前のことに集中するんだ。

 それにしても、見事なものだ、まだ先例もないのに、鉄砲の威力を最大限に発揮させるために二列横隊を組んで銃撃させている。新しいものでもその優位性を認めれば即座に採用し、積極的に使ってみる。常人ではなかなかできることじゃない。

 実に合理的だよ、やっこさんは。さすがはこの世界の『英雄』と言ったところか。


 三郎は心中で相手を褒め称えた。称賛に値する敵であった。

 だが、三郎は今、南斗軍を預かる総大将である。三郎には三郎の責務があった。


「八咫殿! 我らも打って出ましょうぞ! 彼らの仇を討ちましょう!」


 傍に控えていた南斗の将が声を上げる。だが、三郎はすぐに否定した。


「いや、ダメです。同じように攻め込んだところで、彼らの二の舞になるだけです。……引き続き、ここで守りを固めましょう」

「しかし!」


 と、相変わらず食らいついてくる。三郎はそれを頑なに否定した。


「我々の戦術目標はあくまで時間稼ぎです、それに敵が挑発をするのは我々がここで守りを固めていれば簡単には攻められないからです。ここは、守勢の一手です」


 そこまで言って、ようやく将が引き下がる。三郎はやれやれと頭を掻いた。

 だが一方で、懸念材料が残っているのも確かだった。


 ……あの敵が、果たしてどれだけあそこで待ち構えているのか。敵の総勢が五千程度であることはわかっている、だが目の前にその全てが揃っているかはわからない。

 そう、仮に私が敵なら、ああするだろうから……。


 その時だ、一人の伝令が駆け込んでくる。

 来たか! と、三郎は身構えた。ある予測のもと、斥候を放っていたのである。


「申し上げます! ここより西に敵の別働隊が現れました!」


 なにっ、と一同が驚愕の声を上げる。その中で、三郎は一人落ち着き払っていた。


「その別働隊は、どれくらいだい?」

「は、およそ、三千!」


 三千だと!? と、さらなる悲鳴が上がる。三郎は頭を掻いた。


 ……なるほど、見事だ、鹿島長政。


 鹿島長政は、軍を二手に分けていた。

 総勢五千五百の内、鉄砲隊五百を含む二千五百を自らが預かり、残りの三千を別働隊に回していたのだ。

 南斗軍は八咫軍を含めて総勢四千五百。拓馬軍は総勢では上回っているものの、二手に分ければ各々の数は下回ってしまう。

 特に長政が自ら預かる方は少ない。仮に南斗軍が各個撃破に出れば不利に陥ることになるが、長政軍には鉄砲隊が控えている。その戦闘力をもってすれば、多少の数的不利は逆転が可能である。

 だからこそ、長政は自らの軍を少なく配分していたのだ。

 では、別働隊を先に叩けばよいかと言えば、そうもいかない。南斗軍が陣城を離れて別働隊を迎え撃とうとすると、長政は今度こそはとばかりに川を渡って来るだろう。

 かと言って、この陣城にいつまでも籠もっていては、防備の薄い背後を別働隊に攻められ、同時に正面の長政隊も攻勢に転じてくるだろう。

 いずれにせよ、南斗軍は包囲殲滅の危機にあった。


 ……これはあれだな、まるで川中島だな。


 三郎は、前世の記憶から一つの事例を思い出していた。

 第四次川中島合戦、通称『川中島の戦い』。

 それは三郎の前世の歴史上、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が戦った合戦である。両者は互いの国境付近である川中島と呼ばれる場所で、五度も戦いを繰り広げたという。その中でも、最も激しい戦闘が行われたのが、第四次川中島合戦であった。

 戦いの概要は以下の通りである。上杉勢が山中の陣に立て籠もっているところへ、武田勢は別働隊を派遣し背後から襲わせようとした。そうして、上杉勢が慌てて山から降りてきたところを、待ち構えていた本隊と別働隊によって挟み撃ちにしようとしたのだ。この作戦は俗に「啄木鳥きつつき戦法」として名を知られている。

 だが、上杉謙信は武田の別働隊の動きを察知、別働隊が来る前に全軍で山を降り、武田の本隊と壮絶な乱戦を繰り広げる。最終的には武田の別働隊が参戦したことにより、上杉勢は撤退、双方おびただしい死者を出して痛み分けに終わった。


 ……やれやれ、織田信長の次は武田信玄か。ほんと、厄介な相手だよ。


 三郎はため息を吐いた。これが第三者であればどれだけ幸せだっただろうかと。

 織田信長と武田信玄を兼ね備えた戦国武将など、研究対象としてこれほど心躍る人物はいない。だが、三郎はその敵と戦っているのだ。当事者としては、最も戦いたくない相手であった。


 ……仕方ない、ここは上杉謙信にあやかろう。別働隊の発見が遅れたけど、十分取り返せる。


 その時だ、舞耶が陣に姿を現した。その顔は悲痛に満ちている。


「三郎様……!」

「ああ、舞耶、おかえり」

「申し訳ございませんでした」

「いいよ、気にするな。舞耶のせいじゃない」


 すべては忠告に耳を貸さないバカが悪いのである。こちらはいつも手を差し伸べているのだ、それを振り払うのは、バカの相手である。


「それより舞耶、手伝って欲しい。これからは、舞耶にも一働きしてもらうことになるかもしれない」

「それは……」

「陣を出る」


 おお! と、周囲から歓声が上がる。三郎は思わず苦笑いした。だが、戦意が衰えて意気消沈とするよりはいい。

 それに、時間稼ぎとして現状で最も有効な手段でもあった。


「全軍で川を渡るんだ。川向うのあの敵に、総攻撃をかける!」

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