第45話 もう、後悔したくないからね

 舞耶は陣中から空を見上げた。満天の星空である。だが、今はその雄大な景色に不安を映し出される思いだった。


「三郎様……」


 軍議に向かった三郎の、帰りが遅いのである。いや、これまでも何も言わずにふらっと姿を消すことは何度もあった。そのたびに、「いやあ、ちょっと気になっちゃって」と片手にガラクタを持ち、もう片方の手で頭を掻きながらひょっこり帰ってきていたが。

 とは言え、あまりに帰りが遅い。今回、三郎は鎧と刀を身に着けているが、三郎の手にかかればどんな名刀もなまくらになってしまうのだ。

 やはり、警護のために自分も付いて行くべきだったか。いつぞやの気吏城でのように、また吊るし上げられているのではないか。

 いやいや、と舞耶は頭を振った。

 あのときは、自分が出しゃばったから三郎に迷惑をかけたのだ、自分が三郎を信じないでどうする、三郎は心配ない。

 そうやって、疑念を振り払った。だが、舞耶の不安は最悪の形で的中することになる。


「今、なんと仰った!?」


 という家臣の叫び声を耳にした。舞耶は慌てて駆け寄った。

 すると、嘉納家の旗印を背負った将が乗り込んできていた。将が見下しながら言う。


「八咫殿を謀反の疑いで拘禁したと、そう言ったのだ」


 皆が動揺して口々に言い合う。


 そんなまさか、あの三郎様が、何かの間違いではないのか……!


「おのおの方、うろたえなさるな。我らが主の頼高様は寛容にも、おのおの方まで拘束はせぬと仰せである。従順な者は嘉納家にて取り立てることもあるとのこと」


 八咫の兵達は押し黙った。どうしていいかわからず、困惑しきっていた。


「……一つよろしいか?」


 その中を、美しい姫武将が進み出た。舞耶である。


「謀反の疑いと言うが、いかなる罪状か?」

「敵への、拓馬家への寝返りである」


 すると、舞耶がクスクスと笑い出した。笑いが止まらず口を手で抑えていたのだが、最終的には腹を抱えて可笑しがった。

 周りは一様に呆気に取られて舞耶を凝視した。舞耶が、こんなにも笑う様子を始めて見たのだ。

 いや、もし三郎がこの場にいれば、思い出していたかもしれない。お転婆娘が、原っぱで転げ回りながら笑っていたことを。

 ようやく笑いを止めた舞耶が、嘉納家の将に正対する。


「すまぬ。あまりに可笑しいゆえ、止まらなかった」

「何が可笑しいか」

「我らの主が、敵に寝返りなど、なさるはずがないのでな!」


 凛とした声が場を制する。一瞬たじろいだ嘉納家の将だが、すぐに反論する。


「な、なにをもってそのようなことを!」

「なにをだと?」


 舞耶の眼光に将が思わず悲鳴を上げる。

 一方の舞耶は思い出していた。先ほど出かけていった三郎の言葉を。


『私はもう、後悔したくないからね』


 優しげな表情の下に隠れた、深い悲しみと堅い決意を。


 ……三郎お兄様。某も、舞耶も、後悔はしませぬ!


「あの三郎様が、誰よりも常に周りのことを考えておられるあの三郎お兄様が、夜なべしてまでこの戦に勝つ算段を考えておられたあの我らの主が、敵に寝返るなど、あるはずがなかろう!!」


 皆が思わず見合わせる。あの、甲斐性なしの殿様が、そんなことをしていただなんて誰も知らなかったのだ。


「皆、思い出して欲しい! 三郎様は、いつだって我らのことを考えておられた。仕事なんてしたくないと悪ぶっても、大事な時に我らを守ってくれたのは、三郎様ではないか!」


 そうだ! と、兵の一人が声を上げる。


「三郎様のおかげで、俺達はここまでこれたんだ! 三郎様じゃなきゃ、俺達は三次川で死んでいた!」


 そうだそうだ! と声が大きくなる。


「三郎様が俺達に無理を強いたことは一度もなかった!」

「敵にだって、無駄な殺生はしなかったんだ!」

「おらぁ、三郎の殿様に、一生付いて行くだあ!」


 八咫の兵たちに熱気が帯びていく。慌てたのは嘉納家の将だった。


「し、静まれよ! おのおの方も反逆の疑いで捕まりたいのか!?」

「では、もう一つ伺おう」


 と、舞耶が歩み寄る。思わず、将は後ずさりした。


「な、なんだ!」

「貴殿の主君は、この戦に勝つ算段を考えておられるか?」

「そ、それは……!」


 将は絶句した。嘉納頼高は楽観論を述べるばかりで、具体策については一度も話したことがなかったのだ。


「この場にいる誰よりも、戦について考えておられるのは、我らの主だ! その御方を拘禁するとは、言語道断!」


 八咫の兵が、揃って将を睨んでいる。もはや、将はなにも口にすることが出来なかった。


「皆! なんとしても、三郎様をお救いするぞ! 南斗の方々に掛け合い、それでも埒が明かぬなら、力ずくでもお救いするのだ!!」


 応!! と力強い雄叫びが、八咫の陣中に幾重にも響いた。

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