第61話 明陽川の戦い 拾弐
「やはり、お主であったか、この下郎!」
長政が太刀を手に歩み寄ってくる。
三郎の周りには誰も控えていなかった。先刻まで舞耶と馬に同乗していたのだが、その舞耶を送り出してしまった。それからは、少しでも戦場全体が見渡せるように前線からは少し離れて見守っていたのである。供回りもすべて、前線に投入して戦闘に参加させていたのだ。
三郎を守るものは自身の他にはいなかった。
「八咫、俺をここまで追い詰めるとはさすがよ! 岐崎湊で仕留められなかったのが、口惜しいわ!」
「そりゃどうも。光栄だね」
三郎は頭を掻いた。
恐らく英雄として歴史に名を残したであろう長政に、戦の出来を褒められるのは名誉なことだった。もっとも、大して嬉しく思わないのは、三郎は研究者になりたいからであるが。
「だが、ここで終わりだ。今度こそ、お主の命を貰い受ける」
長政と三郎は、互いに見つめ合った。
「どうした、刀を抜かぬのか?」
「ああ、私は刀の扱いがわからなくてね。どうせ持ったって役に立たないんだ」
「フン。ならば、斬る」
長政が太刀を構える。明確な殺意をその構えから感じた。三郎は思わずため息を吐いた。
やれやれ、めんどくさいなあ。
「私を斬るのは構わない。だけど、斬ったあとでアンタも無事じゃ済まないだろうが、それでもいいのか?」
すると、長政がククク、と喉を鳴らして笑い出した。
「だからよ! だからこそ、お主の命を貰い受けるのだ! 俺が、この鹿島長政が、このようなところで、何も為さずに朽ち果てるわけがないだろう! 俺と渡り合って、お主だけが無事で済むなどということが、あるわけがなかろう!!」
「ああ、そういうことか」
「なに!?」
「つまり、結局アンタは認められなかったんだな。他人の弱さも、自分の弱さも」
「知ったような口を利きおって!」
「よしなよ、そういうの」
「な!?」
「そういうところが独善だって言ってるんだよ。だから誰もついてこないんじゃないか。もう少し、ちゃんと見てあげたほうがいいよ、他人も自分も」
「わけの分からぬことを!!」
長政が刀を振りかぶる。そうして、三郎に襲いかからんとする。
三郎は、片目を瞑った。白刃が煌めきとともに振り下ろされる。
――その時だ。
長政のこめかみを、矢が貫いた。力を失った刃が、三郎の肩を掠めていく。続いて、骸と化した長政が、三郎に倒れ込んでくる。
三郎は受け止めようとしたが、重くて支えきれず、共に地に付いてしまった。
「あいたたたた、人間の身体って重いんだな……」
「三郎様!」
三郎が見上げると、美しい姫武将が息を切らせて駆け寄ってきていた。それは、過去を共有する幼馴染であり、勇猛な武将であり、最も信頼する部下であった。
舞耶である。
「ご無事ですか!?」
「ああ、見ての通り、ピンピンしてるよ」
三郎はおどけてみせた。だが、舞耶は持っていた弓を放り投げて、三郎の元に跪いた。
「もう、これだから三郎様は……」
舞耶が、伏せた頭を押し付けてくる。
「心配しました」
「ごめん、舞耶。助かったよ、ありがとう」
「はい……」
舞耶は長政に馬を斬られたあと、一度捨てた弓を拾い直してから追いかけてきていた。そうして、対峙している三郎と長政に気付き、長政を狙い撃ったのであった。
……私は周りに助けられてばかりだな、本当は皆を守らなきゃいけないのに、なんとも不甲斐ない。
それに比べて――
三郎は長政を見た。無念にも、刀を握ったまま絶命している。
「アンタは、たぶん失敗したことがなかったんだろうね。だからわからなかったんだ、失敗する人のことも、失敗したときの対処法も。これが、初めての失敗だったんだな」
三郎は、前世の部下を思い出した。
三郎は彼を救えなかった。
そして、三郎自身もその後間もなくして、一度目の生を終えた。
何も己の好きなことを為さずに。
だからこそ、二度目の生は、悔いなきよう、生きると決めたのだ。
……私は失敗だらけだ。出来た人間でもなんでもない。それでも、やれるだけやってみようとは思ってるさ。この二度目の生を、後悔しないように。
三郎は舞耶を見た。少し落ち着いたのか、こちらを見上げていた。その不安と安堵がないまぜになった少女の顔を見て、三郎は思わず微笑んだ。
……幸い、私のことを好いてくれる人たちもいるからね。
「舞耶、いつものを頼む」
「いつもの、ですか?」
「勝ち鬨だよ」
舞耶が笑顔になって、大きく頷く。そして、勇ましく立ち上がって大音声を響かせた。
「敵将、討ち取ったりーッ!!」
こうして、明陽川の戦いは、およそ六時間の戦闘を経て正午ごろに終結した。
戦闘に参加した将兵は、南斗軍四千五百、拓馬軍五千五百。そのうち、南斗軍は一千の損害を出した。一方の拓馬軍は二千もの将兵を失い、さらに総大将の鹿島長政を討ち取られている。
また、拓馬家に寝返った岐洲城は、城とその城兵千五百を濁流に飲み込まれて消失した。
戦術レベルでは、三郎の指揮によって南斗軍は劣勢の中で勝利を納め、さらには無事に本国へ帰還することが出来た。
だが、戦略レベルでは、南斗家は大遠征を仕掛けたものの大半の将兵を失ってなんの成果もなく引き上げることとなった。また、拓馬家も南斗家の遠征を退けたものの、家臣の中でも最も力を有していた長政を失い、国力の低下は著しいものとなった。
双方、痛み分けと言うには、あまりに大きな損害を出して、この戦は終結したのだった。
その中でも、唯一無事だった軍がある。常に戦い続け、その戦果が甚だしいにも関わらず、一切の死者を出さずに生還した部隊があった。まさに奇跡の戦いぶりと言えよう。
それを率いた将の名は。
――八咫三郎朋弘。
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