第62話 どうしてこうなったかなあ

 ――岐洲城仮屋敷。

 その廊下を、一人の優男が走っている。日も高く昇っているというのに、寝起きなのか髪も結わずボサボサの頭を揺らし、はだけた寝間着のまま、なるたけ音を立てないように抜き足で駆けていた。

 男の背後から側近たちの声が上がる。


「三郎様が逃げたぞー!」

「やられた! 今日こそ決裁をしていただかねば、仕事にならぬというのに!」

「まだ、布団が温かい! そう遠くには行っていないはず! 追え、追えー!」


 そう、逃げている男は、新たな岐洲城主となった、八咫三郎朋弘である。


 ……起きたそばからこれだもんな、やってられるか!


 三郎は恨めしげに後ろを振り返った。すると、


「いたぞ、あそこだー!」


 幾人もの家臣たちが、一斉に追いかけてくる。


 げえっ、見つかった!


 三郎は縁側に出ると、角を曲がるフリをして庭へと飛び降りた。そうして、縁側の下へと潜り込む。三郎の潜む縁側の上に家臣たちが詰めかけた。


「三郎様はどこへ行った!?」

「やられた! もう一週間分も決裁が溜まっているというのに!」

「いや、ここは一本道だ、この先を追うぞ!」


 家臣たちがまた、足音を立てながら縁側を駆けていく。音が遠くへ去ったのを確認して、ようやく三郎は這い出た。


「やれやれ、どうしてこうなったかなあ……」


 三郎は、紅葉が色付き始めた晩秋の高い空を見上げて呟いた。






 明陽川の戦い終結後、三郎は論功行賞にて改めて岐洲城を与えられることとなった。三郎の戦功に報いるには、当然の処置である。

 今度は三郎も辞退することは出来なかった。いや、一度は辞退したのだが、南斗秀勝の推薦だけでなく、他の南斗の将からもぜひ八咫殿にとの声が上がったのだ。


「八咫殿は此度の戦功第一にござる! 信賞必罰は武門の習い、八咫殿の他に岐洲城を与えられるべき者がおりましょうか!」

「八咫殿は二度も岐洲城を落としてござる。八咫殿があの城を一番に熟知しておられるのですぞ!」

「岐洲城は天下の堅城、そして八咫殿は比類なき戦巧者にござる。これらが組み合わされば、まさに向かうところ敵なしにございますな!」


 また、南斗家の兵たちの中からは三郎を『戦国の英雄』として持て囃す向きが出ていた。彼らにとってみれば、三郎は絶望的な状況の中、本国に無事返してくれた大恩人なのである。八咫家に転属しようと試みる輩も出る始末だった。

 こうして、家中の全方位から祭り上げられてしまい、完全に逃げ道を失った三郎は辞退を撤回せざるを得なかったのである。

 周囲は良かった良かった、と喜びを口にしたが、三郎は一人頭を掻きむしっていた。


「みんな、好き勝手言ってくれるよ!」


 なにせ、岐洲城はその施設を綺麗サッパリ流出してしまったのである。それこそ、城の基礎となる土台すらも変形する有様であった。城を与えられたと言っても、土地があるだけで物はなかったのだ。

 結局、三郎は岐洲城を自ら新築することになったのである。壊した本人がまた新たに築くことになるとは、なんとも数奇な運命であった。


「それだけじゃあない。土地の整備、治安の回復、税の制定、市の奨励、兵の増員、新兵の訓練、新田の開発、領内の街道整備……。やることが多すぎる!」


 三郎が与えられたのは岐洲城だけではない、その支配域が及ぶ土地も加増されていたのである。一介の国人領主だった八咫家は、動員兵数一千を超える大身へとなっていたのだった。

 異例の出世に、本来なら両手を上げて喜ぶところだが、三郎は普通ではない。


「ああ、もう! だから、仕事したくないんだってば! 私に研究をさせてくれええええええええええええええええ!!」


 岐洲城に赴任してからしばらくは、三郎もなんとか仕事を捌いていた。だが、無限に湧き出てくる決裁の山に辟易し、ついに今朝放り出して逃げてきたのだった。


「ええい、もう辞めてやる! もう一度寺に戻るんだ! 拓馬家の国力だって削いだし、南斗家だって無理な出兵がたたってしばらくは出兵なんて出来ないんだから、もう戦なんて起こらないんだ! 研究さえさせてくれれば文句は言わないから、大人しく隠居させてくれえええええええええ!!」

「三郎様?」


 三郎は凛としつつも涼やかな声を聞いた。振り返ると、美しい姫武将が庭先に立っていた。


「舞耶!?」


 八咫家一の勇将、三郎の側近中の側近、昔からなにかと怒鳴られ続けた幼馴染、武藤舞耶である。


「あ、三郎様! また寝坊にございますか!」

「あーいや、これはだな」


 三郎が弁明しようとしたその時だ、また幾人もの足音が迫ってきた。


「ヤバいっ!」


 三郎は慌てて縁側の下に身を隠した。そこへ、家臣たちが押しかける。


「舞耶様! 三郎様をお見かけしませんでしたか!?」

「もう、我らは三郎様にしてやられてばかりです! なんとかしてくだされ舞耶姫様!」

「どこぞ、心当たりはございませんか!? どの部屋にもおられぬのです!!」


 三郎は頭を抱えた。


 ……ああ、終わった。また、あそこへ連れ戻されるのか。八畳間に足の踏み場もないくらいに積み重なったあの書状の山の中にまた連れ戻されるのか。片付けたと思ったら翌日には倍の量になって帰ってくるあの地獄に、私はまた連れ戻されるんだ……。


 白目を剥いて絶望した三郎であったが、そんな三郎と家臣たちを見比べていた舞耶が、廊下の先を指して叫んだ。


「三郎様なら、先程そちらに駆けていかれたぞ!」


 まことですか! と、家臣が口々に叫ぶ。


「ああ、三郎様は体力が子供以下だから、もう膝をついておられるかもしれぬ。すぐに追いつけるぞ!」

「これはしたり! すぐに追いかけるぞ!」

「今度は我らが三郎様に一杯食わせてやりますぞ!」

「さすがは舞耶様、三郎様のことは舞耶様に訊くのが一番です!」


 意気揚々として家臣たちが廊下を駆けていく。ややあってから、三郎は庭に這い出た。

 家臣たちが去った廊下を覗き、そして舞耶を見る。目が合うと、舞耶は頬を紅潮させながら目を逸らした。


「舞耶?」

「そ、某も、一休みです!」


 わざとらしく手ぬぐいで汗を拭き、舞耶が縁石に腰掛ける。つられて、三郎も側に腰を下ろした。


「き、今日は、暑くございますね! 十一月だと言うのに汗をかきました! はー、暑い暑い」


 そう言いながら袖を縛っていたたすきを解く。なかなか解けず苦戦していたが。


 ……見逃してくれた、ってことなのかな?


 三郎がその様子を微笑ましく眺めていると、また顔を赤くして舞耶が喚いた。


「な、なんですか! また某をからかおうと企んでおられるのですか!?」

「あーいやいや。……新兵の訓練だったのかい?」

「あ、はい。どうも八咫流の訓練は、他所よりも厳しいようです。ほとんどの者が途中でついていけなくなりました」


 そりゃあなあ、親父のやり方は反復練習をひたすらさせる脳筋丸出しだったからなあ。よく八咫のみんなはついていけるなって、呆れたもんだ。


「まあ、三郎様のように刀を放って逃げ出す軟弱者はおりませんでしたが!」

「あはは、そいつあ、良かった」


 三郎は頭を掻いた。城主になったとは言え、不甲斐ないのは変わりなかった。

 笑いあった二人であったが、ふと舞耶が神妙になって訊いた。


「……三郎様。また、戦は起こりますか?」

「うーん。しばらくはない、と思いたいね」


 明陽川の戦いは、南斗家と拓馬家、双方に大きな爪痕を残した。

 拓馬家は立て続けに敗戦を重ね、さらに家中一の実力者であった鹿島長政を失った。もはや、岐洲城の再奪取を試みるだけの余力は残されていないだろう。

 一方の南斗家も、無理な出兵がたたって国力は疲弊している。しばらく、外征は出来そうもなかった。

 さらに、筆頭家老である嘉納頼高の地位が危うい。当然であろう、敵国中に孤立したところで、配下を放って敵前逃亡したのだ。本来なら打ち首物である。命こそ永らえているものの、信用は地に落ちたと見ていい。

 となれば、家中で内紛が起きるのは目に見えていた。南斗家の当主はまだ幼い。彼に判断能力がないとなれば、誰かが当主を奪って大義名分を得て、嘉納頼高を誅することも出来るのだ。

 その時に、南斗秀勝もどう動くか。三郎は秀勝を信頼しているが、当主であり甥である秀仁の身に危険が迫れば、秀勝だって動かざるを得ない。そうなれば、家中を大きく巻き込んだ内乱に発展してもおかしくないのだ。

 また、拓馬家の北には、近頃勢力を伸ばしてきている新たな大名がいると聞く。彼らが弱った拓馬家に攻め込むようなことがあれば、次の狙いは南斗家であり、その最前線であるのはこの岐洲城なのだ。


「内憂外患とは、まさにこのことだな」


 三郎はしみじみと呟いた。すると、舞耶が微笑んで言った。


「では、まだまだ三郎様には八咫家当主でいていただかねば、困ります」

「ええ?」


 いやいや、だから仕事したくないんだって。


「しばらくは戦がないとは言え、その先はわからないのでしょう? であれば、我らには三郎様のお力が必要です」


 三郎は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「三郎様は八咫家をお守り下さい! 代わりに、三郎様は某がお守りいたしますから」

「はいはい。頼りにしてるよ、舞耶姫」

「あ、また姫と言いましたね! おーい、皆の衆、三郎様はこっちだ!!」

「おいおいおいおい、舞耶!?」

「せっかく休ませてあげようと思ったのに! もう、休みは終わりです!」


 さっそく立ち上がって逃げ出そうとした三郎であったが、帯をしっかり舞耶に握られていた。


「さあ、参りましょう! どうせ決済が溜まっているのでしょう!」

「ええええええ、やだあああああ、もう働きたくないいいいい!!」

「何を言ってるのです、皆が待っているのですよ! あ、そう言えばガラクタの整理もまだでしょう! 今日はあちらも片付けてもらいますからね!」


 なんでこんなことになるんだあああ!!


 怨念めいた叫び声が、岐洲の空にこだました。

 三郎の戦いは、まだ始まったばかりである。



 転生編 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦国ニートの英雄伝説 ~趣味で鍛えた歴史の知識で最強の軍師になる~ やなぎまさや @masaya610

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ