第60話 明陽川の戦い 拾壱
「たぶん、アンタは知らなかったんだと思うよ。……いや、知ろうとしなかった。この世はバカばっかだってことをね」
三郎は後ろを振り返りながら、ため息混じりに呟いた。
「そして、アンタの一番の罪は、自分が何たるかを知らなかったんだ。バカなのは周りだけじゃない、みんなバカなんだよ。私や、アンタも含めてね」
三郎は舞耶を向かわせたあとで、日俣行成に拓馬軍本隊を追撃せずに八咫軍の応援に来るように指示を出していた。敵の本隊を追撃する必要はないと、そう考えていたからである。
事実、拓馬軍本隊が、八咫軍の応援に向かった南斗軍本隊を背後から襲うことはなかった。なぜなら、拓馬軍本隊は自壊してすでに戦場から逃走していたからである。
「バカのことを知ろうとしないからこうなるんだ。彼らはただの人間さ、感情を持ったどこにでもありふれた普通の人間だよ。自分だけは違うと驕るのは個人の自由だけど、他人を必要以上に見下して切り捨てるのは独善というものさ。そうやって独り善がりな思考をしているから、他人のことがわからないんだ。……ここが、アンタの限界だよ」
拓馬軍本隊は、合流しようと近づいてきた鉄砲隊を見て恐怖したのである。当然のことだ、なにせ味方だと思っていた鉄砲隊に今しがた銃撃を受けたばかりであったのだから。
敵に包囲されて恐怖していたところへ、味方のはずの鉄砲隊にさらに銃撃を加えられたのである。しかも、その鉄砲隊は主君の長政が自ら率いているのだ。自分たちは、主君にも見放されたのかと、本隊の将兵たちは絶望したのである。
幸い南斗軍が引いたことで命は助かったが、今度は先程撃ってきた鉄砲隊が近づいてくるではないか。拓馬軍本隊は決死の覚悟で斬り掛かったのである。味方であるはずの、鉄砲隊に向かって。
そう、今や彼らにとって敵とは南斗軍ではなく、自分たちを銃撃した鉄砲隊だったのである。
驚愕したのは鉄砲隊たちであった。全滅の危機から救ったはずの味方が斬り掛かってきたのである。
「何をする! 血迷ったか! いや、寝返ったか!?」
鉄砲隊の将の一人はこう叫んだ。だが、それに対し、本隊の将はこう叫び返した。
「血迷ったのはそちらであろう、この味方殺しが!!」
この時、鉄砲隊の将は気付いた。やはり長政は正しかったのだ。そして、やはり間違っていたのだ。
もはや、本隊の将兵を説得するのは不可能であった。決死の覚悟で挑んできている彼らを止める手立ては、もう残されていなかったのである。かくなる上は、撤兵する他になかった。彼らを救うためにも、己の身の安全を確保するためにも。
かくして、拓馬軍本隊と長政直属の鉄砲隊は、共に戦場から離脱した。
今や、残っている拓馬軍は、八咫軍と打ち合っている別働隊の五百と、長政の供回り五騎、そして長政本人のみである。
「何故だ! この戦は勝てたのだ! あと一歩で勝てたというのに、何故退く!!」
長政は雄叫びを上げた。長政にはこの状況が理解出来なかった。
「何故そうも無能になりたがる! 俺に従えば勝てたのだ! この無能共がああああ!!」
長政は前を向いた。その先には別働隊と打ち合っている八咫軍がある。その中央に、三郎がいるはずであった。
「……いや、この戦はまだ終わらぬ。八咫! まだ終わっておらぬぞ!!」
長政は馬を駆けさせた。狙うは三郎、本人である。
「そうはいかぬ!」
それに気付いた舞耶が追いすがる。すぐに肉薄し、長政の左に並ぼうとする。
「俺を侮るなあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
長政は怒声と共に刃を振り下ろした。一刀のもとに、舞耶の馬の頭を切り落とす。
「しまった!」
そう叫んだ舞耶が頭をなくした馬から振り落とされる。
「ハハハハハハハハハハ!! どうだ、お主が教えてくれたからな! 『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』、こういうことであろう!!」
地に足をついた舞耶であったが、それでも立ち上がって追おうとする。だが、馬の速さに人の脚で追いつけるわけがなかった。
「八咫、待っておれ、俺がお主を殺す! この鹿島長政が、直々にお主を殺してやろう!!」
馬を駆けさせながら、長政の脳裏には自らの半生が走馬灯のように浮かんでいた。
長政の父は、小身であった鹿島家を一代で拓馬家中の最大勢力に押し上げた傑物であった。父は岐崎湊の権益を独占し、圧倒的な資金力を背景にのし上がったのだった。
父は実力に相応しい名誉を求めた。都の朝廷に献金し、皇家との繋がりを強化した。皇家の娘を、嫁に迎えようと画策したのである。
当然、皇家は渋った。地方の大名のそのまた家臣ごときに、娘を出せるわけがなかった。だが、父の献金がなければ、朝廷は貧に窮していたことも確かである。この時代の朝廷は、配下の荘園の多くを武家に実効支配されてしまい、収入がほとんどない状態であった。そのため、周囲からの援助によってようやく成り立っていたのである。
長政の父はその朝廷の弱みにつけ込み、実に三年分の予算に相当する額を納めていた。朝廷としては、何かを与えてやらねば、自らの権威すらも失墜しかねなかったのである。
そこで、朝廷は一計を案じた。先代の天皇が、使用人の女に手を出して産まれた娘がいたのである。女が没落した下級貴族の出であることから、娘は迫害され皇家の一員として扱われず女の実家に引き取られていた。
この娘を呼び戻し、改めて皇家の一族とした上で、嫁に出したのであった。これが、長政の母である。
長政の母は嫁入りに際して、都から使用人を数多く引き連れてきていた。そのため、長政は地方大名の一家臣の家ながら、都の文化に精通し、教養豊かに成長した。
そして、教えられたのは知識だけではなかった。
「そなたには、皇家の血が流れております。そなたは、この日の本を治めるに相応しいお人なのです」
これが、母の口癖であった。母は、自らが落し胤として周囲から迫害されたことを忘れはしなかった。そのため、皇家の一族として嫁に出された今は、自分が皇家の一族であると、常に言うようになっていた。そうやって、自己を肯定しようとしたのである。
自分の息子である長政も、自己肯定の一つであった。長政が皇家に類する人であるなら、その母である己も皇家の一員であるに違いないからだ。
こうして、長政は身も心もエリートそのものとして育った。皇家の血を引き、そして自らが日の本を治めるに相応しい選ばれた人物であるとして。
長政が不幸だったのは、長政がそれを信じるほどの実力を兼ね備えていたことである。
父譲りの明晰な頭脳と類まれな武術の腕を併せ持ち、拓馬家中の人間では並び立つ者はいなかったのである。元服を迎える頃には、すでに長政の人となりは完成していた。
「なぜこうも低能が多いのか。無能は役立たずではないか。かくなる上は、俺が日の本を治めるしかあるまい。そして、無能をことごとく駆逐するのだ」
そして、元服の五年後。父が流行り病で死んだ。周囲の者は半分が落胆し、半分が安堵した。一代の成り上がりに、多くの者が畏怖していたのである。
だが、長政は喜んだ。いよいよ、自分の番が来たと思ったのである。
「父上は拓馬の家臣が限界だったのだ。だが、俺は違う。俺は、日の本を治める。そう、俺自身が天皇となるのだ。そしてその暁には、低能共をことごとく死に至らしめてくれる」
これが、長政の野望であった。
だが、その野望を、打ち砕こうとする輩がいる。
自分と同じ類まれな実力を持ちながら、己が忌み嫌う無能を救うために働こうとする不埒な下郎が。
「許さん、許さんぞ! 俺を、この鹿島長政を、止められると思うな、八咫あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
長政は馬を乗り捨てた。あまりに長く駆け続けたため、馬が口から泡を吹いたのだ。
長政は歩み寄る。その先には、漆黒の鎧を着た、優男が佇んでいる。
「やあ、また会ったね」
優男が笑顔で振り返る。それは見知った顔であった。
「やはり、お主であったか、この下郎!」
二人は岐崎湊を思い出した。
八咫三郎朋弘と鹿島長政、これが二度目の邂逅であった。
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