第58話 明陽川の戦い 九

 鉄砲の銃撃音が、戦場に轟く。それは、退却準備を始めていた三郎たちの耳にも届いた。


「三郎様、あれは!」


 舞耶の叫びに、三郎は顔をしかめた。


「鹿島長政……、そうか。アンタはそうするのか」






 長政の鉄砲隊は、味方もろとも南斗軍を砲撃した。


「やつら、正気か!?」


 驚きの声を上げたのは、南斗軍を預かる日俣行成である。

 行成は万一に備えて竹束隊を鉄砲隊に向けて配置をしていたが、全軍を覆い隠せるほどの数を揃えていたわけではなかった。そのため、竹束の合間を通過した弾丸により、少なくない被害が出ていたのである。もちろん、敵味方双方ともにであるが。

 だが、こちらの兵が浮足立ったのは間違いない。このまま斉射を受け続ければ、敵軍を壊滅させる前に、自軍も崩壊しかねない。


「後退だ! 次弾が来る前に、射程外に逃げろ!」


 行成は守勢にこそ真価を発揮する武将であった。三次川、明洲原、それぞれの戦いで壊乱した軍を再編してなお戦い続けたのである、並の将に出来ることではない。

 ここでも、行成は無理をせずに一度軍を立て直す選択をした。たとえ一時的に敵を包囲から逃してしまったとしても、自軍の被害を抑えることを優先したのである。こうして粘り強く戦うのが行成の最大の長所であった。三郎が見込んだのは、まさにこの点なのだ。

 行成の指示で、南斗軍は戦場から後退した。追い打ちをかけるように二度目の砲撃を浴びせられるも、後退を始めていたため損害は軽微で済んでいる。むしろ、拓馬軍の被害のほうが大きかった。

 こうして、南斗軍と拓馬軍は共に戦場から後退した。






「ほう、退いたか。無能にしてはやるではないか。だが、おかげで道が開いた」


 長政は見た。退いた南斗軍の奥、別働隊と打ち合っている八咫軍を。


「お主だけは、倒さねばならぬ。お主のような危険な思想を持つ男は、ここで倒さねばならぬ。能力がありながら、無能どもを守るためにその力を使わんとするお主だけは、ここで倒さねばならぬ」


 長政は馬に飛び乗った。そのまま、駆け出さんとする。慌てた側近が寄りすがった。


「殿、いかがなさるおつもりですか!」

「鉄砲隊は本隊と合流せよ、後退した南斗の本隊を牽制しつつ、俺の後を追え」

「殿は!?」

「八咫を討つ」


 長政は前を見据えた。


「馬のあるものは付いてこい。八咫に、目に物見せてくれる」






「三郎様、あれを!」


 舞耶が後ろを見て叫ぶ。三郎が振り向くと、そこにこちら目掛けて一直線に迫りくる一団があった。鹿角の旗印を背負った、わずか十騎の騎馬武者たちである。


「……マズいな」


 三郎は顔をしかめた。

 現在、八咫軍は別働隊の長政軍五百と打ち合っている。そこへ、背後から突撃されれば、たとえわずか十騎の突撃であったとしても、八咫軍は浮足立ってしまう。


「……だが、それは、その読みは――」


 一見すれば、この状況は明らかに不利である。だが、そこにはある視点が欠けている。そう、この戦場で実際に戦っている、人間の感情という視点が。


 ……やっこさんはたしかに強い。そして、有能な男だ。だが、だからこそ、見えない部分もある。とすれば、ここを防げば希望はある。しかし……!


 三郎は舞耶を見た。三郎の信頼する側近である。勇猛な武将であり、昔をよく知る幼馴染であり、守るべき部下であった。

 ふと、前世の部下の姿がちらつく。三郎は彼を守れなかった。バカな上司や周囲から、彼を守ることが出来なかった。もう二度と彼のように惨めな思いを抱いたまま死んでいくような者を、自分の周りから出したくなかった。そのためにも、この戦には勝たねばならない。

 だが、そのためには、舞耶を死地に送り込まねばならなかった。


 ……舞耶を、失いたくない。いや、舞耶だけじゃない、本当は誰一人として、失いたくない。それには、勝たなきゃいけない。だけど、勝つためには、舞耶を……。


 三郎は逡巡した。三郎は舞耶の実力を信頼している。だが、それでも、絶対大丈夫だという確信を今回は持てなかったのだ。

 三郎が目を伏せて思案していると、


「三郎様」


 と、舞耶が声を掛けてきた。

 顔を上げると、舞耶が優しく微笑んでいた。


「……行けと、お命じ下さい」

「舞耶……」

「三郎様は某の主です。主君の命に臣が従うのは当然のことです。三郎様は我らを守るために常に考えて、必死に準備をして、戦っておられました。某も、その力になりとうございます。――だから、行けとお命じ下さい」

「しかし」

「心配には及びませぬ。某を誰だと思っているのですか。八咫家一の勇将、武藤舞耶にございます!」


 舞耶が胸を張る。


「それに、言ったではありませんか、『何かあれば某が守って差し上げます』と。甲斐性無しで朴念仁ですねかじりの主君を守るのが、某の務めです!」


 そう言った舞耶の頬はやや紅潮している。


「……ごめん、舞耶。ありがとう」


 三郎が歩み寄ろうとすると、不意に舞耶が身構えた。見る間に顔が真っ赤に染まっていく。


「……舞耶?」

「こ、ここは戦場にございます!! それに一刻を争うのですよ!!」

「あ、ああ……?」


 三郎としては舞耶の肩に手をかけて激励でもしようかと思ったのだが、拒絶されてしまったようで少し寂しかった。


「まあ、いいか。……無事で帰ってくるんだぞ」

「わかっております!」

「そうか。よし、行け、舞耶」

「承知!」


 舞耶の瞳に、炎が灯る。

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