第57話 明陽川の戦い 八

「申し上げます! い、一大事にございます!!」


 長政のもとに伝令が駆け込んでくる。


「なんだ」

「そ、それが……!」


 伝令が息も絶え絶えにしゃがみ込む。長政は苛立ちを覚えた。戦場において、一瞬たりとも時間を無駄にしてはならなかった。大事というのであれば、即刻報告するのが道理である。

 長政は伝令を掴み起こした。


「なんだ、申せ」


 長政の凄みに、伝令はうろたえたが、意を決して言い放つ。


「き、岐洲城が! 岐洲城が、敵の手に落ちました!!」

「なに!」






 岐洲城は三本の大河が合流する、下流の中洲の上に建造された城塞である。当然、その中州は豪雨の度に河川の氾濫による被害を受けてきた。

 拓馬家は岐洲城造営の折に、この中州に強固な堤防を築いた。岐洲城の築城には二年以上の歳月が費やされていたが、その内の一年半はこの堤防の治水工事によるものだったと言われている。

 この堤防のおかげで、岐洲城は五十年もの間、洪水の被害に怯えることなく安定して戦うことが出来ていたのである。だが、ある意味それは諸刃の剣であった。

 三郎は、自らが岐洲城を占拠した際に、その構造上の弱点に気付いた。つまり、この堤防が破壊されれば、岐洲城は一瞬にして戦闘力を失うのである。それは憂慮すべきことであるものの、万が一の場合の保険になるとも考えた。

 三郎は、自分以外の誰が城主になろうとも、その城主のことを信用する気にはなれなかったのだ。


「どうせ、バカばっかだしな」


 そこで、岐洲城が敵性勢力に再度奪われるような事態になった際に、岐洲城そのものを容易に無力化できる手段を、自分の手に持っておくことを三郎は考えたのである。

 一度は岐洲城を攻略した三郎であったが、同じ手段がもう一度使えるとは微塵も思っていなかった。仮にもう一度攻めることになるなら、今度はもっと楽をして落とせるようにしたい。そうして考え出したのが、中洲の堤防に細工を加えることであったのだ。


「備えあれば憂いなし、ってね」


 三郎は、岐洲城を次の城主に明け渡す前に、爆薬を詰め込むための穴と、崩壊させやすくするための亀裂を堤防に施した。もちろん、亀裂には支えのための木材を挟んでいたが、燃やせばすぐに元の亀裂になるのである。細工を気取られないように、木材を石で隠しカモフラージュすることも忘れなかった。

 三郎はこの件を、自分と舞耶と、それから京の三人だけの秘密とした。その他の人間には一切明かさなかったのである、秀勝にも、南斗家の人間にも。これが、今回功を奏することになる。






 第九次岐洲城攻略戦とも言うべき、鎌瀬満久対大戸京、南斗秀勝の連合軍の戦いは、そのほとんどが水上で行われたものだった。

 満久は呼び寄せた熊瀬水軍を河口に展開し、自らは城に引きこもって防衛に努めていたのである。京としては、堤防に施した細工さえ使えば、岐洲城そのものを攻略することは簡単であると知っている。その細工を使うためにも、仇敵とも言える熊瀬水軍をなんとしても排除せねばならなかった。

 大戸水軍は軍船二百艘、それに対し熊瀬水軍は軍船三百艘と、数の上ではやや熊瀬水軍側が優勢であった。戦闘は夜半を通して行われたが、序盤は数的優位のある熊瀬水軍が押していた。

 だが、明け方になって形勢が逆転する。潮の流れが変わったのである。それを読み切った大戸水軍が熊瀬水軍を半包囲するように展開し、一気に殲滅させたのであった。


 そうして、水上の自由を確保した京たちは、悠然と岐洲城の側を通過し、細工のある堤の先端へと上陸した。何も知らない鎌瀬満久と城兵たちが城に閉じこもったまま眺めているのをよそに、細工に爆薬を詰め点火、安々と堤防の爆破に成功したのであった。

 堤防は僅かな穴が開いただけでも決壊する。爆破の数分後には、堤防内に濁流がなだれ込んでいた。堤防内の地面は水面よりも低位にあるため、岐洲城は瞬く間に水浸しとなった。堀も土塁も門も柵も、防御施設の殆どを押し流されてしまったのである。

 大混乱に陥った鎌瀬の兵たちは、半分が水に流され、もう半分は城内にひしめき合っていたところを、大戸水軍の火矢によって焼死させられた。

 ただ、大将の鎌瀬満久は行方知れずである。崩壊した高矢倉ごと川に落ちたと、幾人かの兵が証言しているが、その後の姿は誰も見ていない。


 こうして難攻不落を誇り天下の堅城とも謳われた岐洲城は、五十年目にしてその形跡をほぼ失いながら、再び落城したのであった。






「岐洲城が落ちた。……ククク、そうか、八咫! やってくれるではないか!」


 鹿島長政は喉を鳴らして笑った。

 岐洲城の落城、それは長政の想定を遥かに超える事態であった。前回、岐洲城が三郎によって落城したのは、城主の三宅継信がうかつにも城から打って出たためである。岐洲城の防御施設が破られた結果ではないのだ。

 そのため、長政は鎌瀬満久に城外に出ないよう厳命していた。城にこもっている限り、落ちるようなことはないと踏んでいたのである。もっとも、それが京による堤防の破壊工作がやすやすと行われることに繋がっていたのだが。

 これで、岐洲城が落城したとなれば、長政の戦略は前提条件を失う。三郎の一手が、長政の戦略を上回った瞬間であった。

 かくなる上は、長政に残された手段は二つに一つである。退却するか、徹底抗戦するかである。この圧倒的に不利な状況下で、凡将ならば迷いなく退却を選んでいただろう。

 だが、長政は凡将ではない。


「フン、俺を追い詰めたつもりだろうが、そうはならんぞ」


 長政は前方を見つめた。そこでは、自軍が日俣行成の指揮する南斗軍によって包囲されている。もはや、全滅するのを待つばかりであった。


 ……状況は変わった。ならば、最善手を取るのみ。


「――撃て」


 長政が短く放った言葉に、周囲の将兵は反応できなかった。聞き間違いだと思ったのだ。


「殿、今、なんと?」


 将の一人が長政に確かめる。


「撃てと、そう言ったのだ」

「しかし、撃てば味方を巻き込むことになりますぞ!」

「だから、何だというのだ」


 将は戦慄を覚えた。


「岐洲城を失った今、ここで奴らを逃せば、壊滅させることは能わぬ。となれば、ここでなんとしても討ち果たさねばならぬのだ。そのためには、包囲下にあるあの軍を助けねばならない。……なにも、俺は味方を殺せと言っているのではない、味方を生かすために敵を撃てと、そう言っているのだ!」


 将たちが顔をこわばらせる。長政の言うことは正しい。だが、あまりに正しすぎる。


「どうした、何故動かん」

「し、しかし――」

「構わん、撃て。この戦に勝つ、あの八咫に勝つのだ。――撃て」

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