第31話 これ以上増えるなんてゴメンだね

「ふぇっ……ふぇっ……ふぇっ、ふぇえええええええええっっっぶしょおおおおおん!!」


 八咫の館に間抜けな叫びが響く。三郎のくしゃみである。


「三郎様、食事中にくしゃみなど、はしたないにも程があります」


 舞耶が眉をヒクつかせて言う。


「仕方ないだろ、どうせまた鎌瀬のバカが僻んでほざいてるんだろう。お、この栗ご飯クソ美味いな」


 三郎はホクホクに炊きあがった栗を頬張った。縁起のいい『勝ち栗』だからと、館の者が用意してくれたのだ。


「それです! 何故、鎌瀬殿なんかに岐洲城を譲られたのですか……」

「別にアイツに譲ったわけじゃあないさ。私がいらないって言ったら、代わりの城主がアイツになっただけさ」

「だから! 何故、岐洲城を放棄されたのですか!? ようやく加増してもらえるかと思ったら、断ってしまうだなんて……」


 そう、三郎は戦の恩賞に、岐洲城を与えられた、はずだった。

 嘉納頼高や鎌瀬満久は散々苦汁を舐めたことだろう。なにせ、絶対に失敗すると思い込んでいた岐洲城攻めに、本当に八咫家単独での攻略を成功させてしまったのだから。南斗家の一同が集まった場で、しかも当主の南斗秀仁がいる目の前で約束したのだ、三郎に恩賞を与えないわけにはいかなかった。

 ところが、三郎はそれを断ってしまったのである。


「考えても見ろ、岐洲城なんて貰ってしまえば敵との最前線だ、いの一番に戦う羽目になるのは私達だぞ? それに、領土が増えるってことは家臣も増やさなきゃいけない。たった三百人でもめんどくさいのに、これ以上増えるなんてゴメンだね」

「そんなことで……!」


 舞耶がワナワナと震えだす。


「大丈夫大丈夫、万一の時のために保険もかけてあるしな」

「保険って……、アレのことですか?」

「そう、例の仕掛けさ」


 三郎は城を明け渡す前に、細工を施していたのだ。もし、岐洲城が敵性勢力の手に渡ったとしても、すぐに奪還できるように。


 ……もっとも、使うことがなければ、それが一番いいんだが。


「まあ、それに、代わりに本当に欲しかったものは貰えたしな」

「本当に欲しかったものですか?」

「そう。岐崎湊きさきみなとさ」


 三郎は岐洲城を返上する代わりに、岐崎湊での徴税権を申し出たのだ。

 それを聞いた豚と狐のコンビは内心ほくそ笑んだ。彼らに取って、いやこの時代の武士にとって、土地こそが最上の恩賞なのである。

 土地が増えればそこにいる民を手に入れ、米の収穫が増える。民が増えれば兵も増え、米が増えればより多くの兵を養うことが出来るのだ。動員できる兵を増やすことこそ、己の権力を高めることに繋がる。つまり、土地を増やすことが、権力を高める最短ルートなのである。

 岐洲城の城主となれば、その支配が及ぶ土地からおよそ五百人の徴兵が可能なのだ。元の八咫領と合わせればその動員兵力は一千。それは鎌瀬家の動員兵力とほぼ同数であり、南斗家の中でも上位者に列することになる。

 この事実は頼高や満久にとって耐え難い屈辱だったのだ。だから、三郎が自らそれを放棄するとは、願ってもないことだったのである。

 代わりに三郎が何を持っていこうが、二人はそれを呑むしなかった。それが南斗家全体の税収の約三分の一に相当する莫大な収入源であったとしても、彼らは三郎の提示した条件を呑まざるを得なかったのだ。


 ……まあ、アイツらが金の重要性に気づいてないのも、仕方ないんだがな。


 三郎は大ぶりの栗を噛み締めながら頷いた。

 この時代は貨幣の流通もまだ発展途上である。税収と言っても、現代のように現金で納めるわけではなく、現物――例えば米や特産品など――で納めるのがまだ一般的だったのだ。また、『金は穢れ』として金を貯め込むのを良しとしない信仰も根深い。ましてや、悪銭が到るところではびこり、ちゃんとしたレートが整っていないのである。

 領主にしてみれば、直接現物を納めてくれるほうが、よっぽどありがたかったのだ。

 この時代で、貨幣経済の重要性に気づいていたのは、それこそ商人か織田信長など一握りの大名である。もっとも織田信長はこの世界にいないのだから、武士の中では三郎くらいのものか。

 ……いや、三郎自身そう思っていた。


「まあ、金が増えればもう少し兵も雇えるだろう。米だって買えるし。なにより、蔵書をどんどん増やせるからな! 言うことなしじゃないか!」


 ああ、そうですか、と舞耶は呆れ返った。


「さて、それじゃあ、行きますか」


 三郎は立ち上がった。


「行くって、どちらへですか? 出陣で滞った決裁がまだ残っているのですよ!」

「そんなの後回し! こっちのほうが先決だよ」

「だから、どこなのです!?」

「岐崎湊さ」






「ええい、腹立たしい!!」


 鎌瀬満久は岐洲城の館で地団駄を踏んだ。


「領地が増えたのはよいが、胸糞が悪い!」


 傍の家臣がなだめる。


「殿、良いではございませぬか。八咫の領地は増えなかったのですから」

「それだ! なぜこの俺が八咫の軟弱者ごときに譲ってもらわねばならんのだ!! これではまるで、我らが騙し取ったようなものではないか!!」


 普段からそのようなことをしているではないか、とは家臣は口に出さなかった。


「八咫の穀潰しめが! 本来なら岐洲城攻めの失敗を理由に土地を召し上げる予定だったものを……! 三次川の戦いでもそうだ! 何故ヤツは、俺の思惑通りにならんのだ!!」


 満久にとって一番腹立たしいのはその点であった。これまで満久は小細工に満ちた政治工作で現在の地位を確かなものにしてきたのだ。

 謀略には多少の自負があったのに、三郎はいつも躱していくのである。これほど、己の虚栄心を傷つけられることはなかった。


「なにか……、なにかヤツを貶める良い手立てはないか……!」


 その時、別の家臣が書状を片手に駆け込んでくる。


「殿、修行僧を装った男が、この書状を殿にと……」

「なんだ? 俺宛にか?」


 満久は封を開けて読み出した。すると、初め驚愕の色を上げていたのが、徐々に満面の笑みへと変わっていったのである。


「これは……! 馬を引け! 俺は人と会ってくる、そうだな一人だけ付いて来い」


 そうしてハハハ、と声を上げて笑いだした。


「ハハハハハハハハハ! 八咫の引きこもりめ、今に見ておれ! 貴様を絶望の淵に追い落としてくれるわ、ハハハハハハハハハ……!」

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