第3章 東国一の港
第30話 働くのだいっ嫌いだけどね!
また、三郎はまどろみの中にいた。
シャツとスラックス、そして革靴を身に着けている。
やはり、前世の夢だった。
三郎は社用車を運転していた。助手席を見ると、誰か座っている。
まだ光沢の残る黒のスーツを着て、染め直した黒髪を短く整えている。
どうやら新入社員のようだ。
営業部の先輩として、三郎はまだ慣れない新入社員を連れて得意先を回っていたのだ。この夢は、その帰りの場面らしい。
彼が不意に呼んだ。
「先輩! 仕事って楽しいっすね!」
「そうかい? 私は働くのだいっ嫌いだけどね!」
「えー、そんなわけないっしょ」
「いやいや、キリスト教じゃ労働は神から与えられた罰だからね。そこに喜びを見出すなんて、どんなマゾヒストなんだと呆れてるんだから」
後輩は苦笑していた。むしろ三郎のほうが呆れられていたかもしれない。
「……まあ、そう感じてくれたなら、連れてきた甲斐があったよ」
「はい! これから俺、バンバン営業かけて、先輩の分まで仕事取ってきますよ!」
「おっ、言うねえ! いやあ、今朝まで『知らない得意先に行くの怖いっすね』なんて言ってたとは思えないな」
先輩、それはないっすよ、と後輩が照れる。三郎はまた笑った。
「……先輩。俺、この会社に入って良かったっす」
「うん、なんで?」
「こんな良い先輩に出会えるのって、俺めっちゃ運いいですもん!」
まだ初々しさの残る汚れのない笑顔が、三郎を見つめていた。
……いつまでそう思っていられるだろうか。でも、できる限りその笑顔が続くようにしてやりたいな。
仕事はもちろん楽しいことばかりではない。辛いことも理不尽なことも、この先いくらでもあるだろう。しかし、少しでも笑顔でいられる瞬間が増えれば、それだけでも心が休まるのに違いないのだから。
――っつ!!
三郎は唐突な頭痛に顔をしかめた。
記憶の続きを辿ろうとして、痛みを覚えたのだ。
そう、三郎の記憶には、まだこの先がある。転生しようとも、忘れ得ぬあの記憶が。
「なに、岐洲城が落ちたのか?」
ここは拓馬家本拠、瀬野城。
聞き返したのは当主の拓馬茂利だ。だが、どうも驚きが薄く、覇気の抜けた印象を与える。
「はい、城主の三宅殿もお討ち死にを……」
報告する家臣が頭を下げる。
「そうか、お労しいことだ」
茂利は目をつむった。
一方の鹿嶋長政はさもありなんとばかりに鼻息で一蹴した。
……三宅継信は城の防備に頼るばかりで、己の知恵を働かせようともしていなかったからな、いずれ落城しても不思議ではあるまい。
だいたい、女ごときにうつつを抜かすような低能なのだ。どうせ、目先の利益に目がくらんで、判断を誤ったに違いない。やはり、無能は度し難い。
だが問題は、継信の猿を手玉に取ったのは一体誰か。
「岐洲城を落とした、敵将は誰であるか?」
「……それが、例の八咫でして」
その言葉に一同はざわめく。
またしても奇術にやられたのか、いやいやまたまぐれであろう、しかしあの三宅殿まで倒したとなると、と口々に言う。誰もが、穀潰しの軟弱者の引きこもりの若輩者など認めたくはないのだ。
だが、長政は声を上げて笑った。
「ククク……、そうか! やはり八咫か!!」
やはり、お主はここにはびこる無能とは違うようだな! 面白い!
「それで、奪われた岐洲城はどうやって取り戻すのだ?」
茂利が一同に訊く。自分で考えるつもりは毛頭ない。だが、控える一同もただ顔を伏せるばかりである。
岐洲城の堅牢さを皆わかっているのだ。五万の軍勢でも落とせないと言われたあの城だ、攻めたところで失敗するのは目に見えている。ここで貧乏くじなんて引きたくなかった。
だが、長政は周囲のその様子を見て心底呆れ返った。
所詮、無能は無能か、揃いも揃って怖気づきおって。
兵が足りないなど言い訳に過ぎん。だいたい、八咫は三百足らずで落としたというではないか。ようは発想を転換させられるかなのだ、その程度もわからないから、お主らは無能でしかないのだ!
「なんだ、誰もやらぬと言うのか」
茂利が落胆する。そこへ、長政が声を上げた。
「俺に、お任せを!」
「おお、鹿嶋殿か」
一同は振り向いた。これまで鳴りを潜めていた家中一の実力者が名乗りあげたのである。
「必ずや、南斗家の連中をこの国から駆逐し、岐洲城を取り返してご覧にいれよう!」
「うむ、よく言った。貴殿に任せよう」
長政は不敵に笑ってみせた。
お主ら無能に、物事のやり方というのを見せてくれる。せいぜい、参考にすることだ。もっとも、それが出来る頭があればの話だが。
そして、待っていろ、八咫! お主の相手は、この俺だ!!
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