第12話 三次川の戦い・本戦 参
「皆の者、戻ったぞ! どうなっている!?」
満久は自陣に駆け戻るなり辺りに叫んだ。三郎との会談で腸は煮えくり返っている。
「敵の攻撃が凄まじく、このままでは持ちませぬ!」
「なんとか、耐えろ!! じきに援軍が来る!!」
そうだ、そのために恥を忍んで、怒りに耐えて、あの穀潰しで厚顔無恥の軟弱者に会ってきたというのに。
「殿! 援軍が来ました!」
「おお、来たか! どっちからだ?」
八咫軍は全軍の右翼後方に控えていた。援軍があるとするなら、右手からである。
「は、それが、後からです!!」
「なに!? まさか、動いたのか? あの、『
南斗軍、第八陣。
その中央に鎮座するのは、引き締まって鍛え上げられた肉体に、他人を威圧する眼光を携え、太い眉と生え揃えた口ひげを有する、歴戦の将である。
同時に『鬼』と称される、南斗軍最強の勇将であった。
「……大した策もなしに、ことを構えるからこうなるのだ。まったく嘆かわしい」
秀勝は微動だにせずに言い放った。野太い声が周囲を圧する。
「他の連中は儂が動くのは気に食わぬようだが、ここに至って文句はあるまい」
殿、と側近が跪く。そのきびきびとした動作は、この軍の規律の高さを物語っている。
「全軍、用意整っております。――
「ウム。全軍、突撃!! あの鎌瀬の若造に泡を吹かせてやれ!!」
応! 応! 応! と三度の雄叫びが上がり、そして怒涛の黒い塊が戦場に躍り出る。
三郎が軍を前進させていると、途中で伝令が告げてきた。
「第八陣が突進して第七陣に割って入りました! 敵を押し返しつつあります!」
へえ、と三郎は感嘆を上げた。まともなやつもいるじゃないかと、興味を持ったのだ。
「第八陣は、誰だっけ?」
「南斗秀勝殿の軍にございます!」
「ああ、あの口ひげのオッサンか」
三郎は思い出した。軍議の場で三郎の意見に頷いていた強面の将である。
あのときは誰だか思い出せなかったが、ようやく合点がいった。多少の分別はあるのかと思っていたが、まさかあの『鬼秀勝』であったとは。
「これなら、うまくいきそうだ」
「三郎様、いかが致しますか?」
背後の舞耶が訊いてくる。
三郎は舞耶と同じ馬に乗っていた。なにせ、三郎は馬にも乗れないのである。何度か乗ろうと試みはしたが、鐙は踏み外すわ、鞍から転げ落ちるわ、馬には拒絶されるわで、教育係だった舞耶もさすがにさじを投げたのだ。
で、今は特注の鞍の上で馬首に捕まりながら、舞耶の操る馬に乗せてもらっていたのである。
「うん、予定通り、我々も戦場に参加しよう」
「では、第八陣に加勢するのですね?」
「あんなところに行ってみろ、混乱に巻き込まれてバラバラになるだけさ」
「?? 今、予定通りと……?」
「そう、予定通り、川を渡って、敵の中央に突撃だ」
「敵の中央!? それでは少数の我々では包囲されてしまいます! 昨日の敵とはわけが違うのですよ!?」
「大丈夫、そこは計算してる。好機は必ず来る」
鎌瀬満久は混乱の渦中にあった。
前からは敵に、後からは味方であるはずの第八陣に挟まれ、どうにも動けないでいた。いや、どちらかと言えば、後方から突進してきた第八陣に追い払われて散り散りになり、そのまま第八陣が敵を押し返したのである。
「皆の者! どこへ行った!?」
戦場の只中で、満久は悲痛な叫びを上げた。これだから秀勝の脳筋に頼りたくなかったのだ、と満久は心の中で悪態をつく。
南斗秀勝は『鬼』とも呼ばれるほどの戦上手である。本人の武勇もさることながら、その鍛え上げられた秀勝軍は皆忠誠心に厚く精強にして勇猛果敢、突進の凄まじさは天下一と恐れられている。
だが、戦場において単独行動が目立ち、命令違反さえ辞さないところがあった。要は、一匹狼気質なのである。
満久や、豚の頼高がいくら懐柔しようと試みても、断られるばかりか逆に「この
だから、南斗軍最強とも言われているのに、第八陣に追いやられていたのだ。
「これはこれは、若くして一軍の将となられた鎌瀬殿ではござらんか」
満久は声に振り返った。すると、槍を携えた豪傑が馬上から見下ろしているではないか。
「秀勝……殿……!」
「せっかく貴軍を救けに参ったのに、何処かへ消えてしまったようだな」
「それは、貴軍が!!」
「ガハハ、安心なされい! 儂の軍だけで敵を討ち果たしてくれよう、その特等席から存分にご覧あれ!!」
秀勝は戦場全体に届き渡る大声を響かせた。
「この南斗秀勝、『鬼』の名が偽りか否か、ここに確かめて進ぜよう!! 者共、かかれいーッ!!」
満久はその場にへたりこんだ。戦場において、敵う相手ではなかったのだ。
南斗軍第八陣の猛攻は凄まじかった。第一陣から第六陣に至るまでをことごとく蹴散らしてきた拓馬軍である、勢いに乗って第七陣をも突破にかかったが、それ以上の突進力を持って逆撃を被ったのだ。
拓馬軍は勝ち続けて士気が高かったとは言え、連戦の疲れは蓄積している。そこへそれまで戦ってきた連中とは明らかに士気も練度も違う、いや遥かに上回っている精鋭を突きつけられたのである。ここに来て、前進が止まったばかりか、一気に押し戻されるハメになった。
この時、拓馬軍は一気に片をつけるべく、全軍を投入していた。そのため、拓馬軍の本陣から先鋒まで一直線に軍がひしめき合っていたのである。そこへ最前線が押し戻されたことによって、後方から前進してきた軍が次々と渋滞を起こした。
ここに、戦場において一種の停滞した時が訪れた。全軍に渡って渋滞を起こしたため、軍の動きが止まってしまったのである。そして、陣形が縦に伸び切っているため、無防備な側面を晒してしまっている。
拓馬軍の将の内、機微に聡い幾人かは気づいた。
今、横から攻められれば、戦線が崩壊する、と。
だが、敵に予備兵力などないはずだ、それまでに蹴散らした軍はまだ立て直せていないはず、残る敵は今戦っている第八陣だけなのだ。だから大丈夫なはずだ、こんな絶妙な刻を見計らって攻撃できる部隊など、いるはずがないのだ。
そうやって、不安を打ち払おうとした刹那、
「殿、あれを――!!」
誰かが悲鳴をあげる。それは、闇夜の中から突如現れた。地響きと
「敵です!! あれは――八咫軍です!!」
拓馬軍の将は一斉に戦慄を覚えた。
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