第41話 明洲原の戦い 壱

 南斗家による拓馬領侵攻、その緒戦とも言うべき明洲原あけすはらの戦いは、午後一時頃に戦闘が始まった。

 明洲原とは、これまた羽支平野を南北に流れている明陽川めいようがわの下流に位置する平原である。川の下流であるため湿地帯が拡がっており、平原の北側は台地になっている。

 この明洲原を抜けると、瀬野城まで向かう街道が北へと分岐し、その先で南斗秀勝の先鋒が待っているはずだった。

 そうして、南斗軍本隊が明洲原に差し掛かった時、唐突に拓馬軍が姿を現して南斗軍の側背を急襲したのであった。

 拓馬軍三千を率いるのは、鹿角の兜を付けた若武者、鹿島長政である。


「無能共が。どれだけ醜態を晒せば気が済むというのだ。これだから、奴らに生きている価値などないのだ。――かかれ」


 南斗軍本隊は七千の大軍である。だが、行軍中であったため、長い隊列となっており、嘉納頼高のいる中央部はガラ空きになっていた。そこへ目掛けて、長政率いる精鋭が突進する。

 慌てたのは豚の頼高だ。


「ええい、斥候は何をしておった! なぜ敵に気付かなかったのだ!」

「わ、わかりません! 突然、敵が!!」


 いくら頼高が油断していたとは言え、仮にも斥候は放っていたのである。だが、長政はその警戒網をくぐって南斗軍本隊に肉薄したのである。

 長政は瀬野城から街道を外れて出撃し、明陽川の川沿いを下って進撃させた。そして、明洲原の北側にある台地の影に隠れて潜んでいたのである。

 頼高の放った斥候は、明洲原の内部は調べていたものの、台地の向こう側までは調べていなかったのだ。いや、台地まで足を伸ばした斥候はいたが、いずれも長政の手の者によって斬られていた。

 こうして、長政は三千もの軍の気配を見事に消し、あたかも突然出現したように見せたのである。

 ええい! と、頼高は地団駄を踏んだ。


「慌てるな! 敵は我が方の半分ではないか!」


 叫んでみたものの、もはや自軍の動揺は覆せない。なにせ、目前に敵が怒涛の勢いで迫ってきているのである。


「……引け」


 頼高の呟きに側近たちは耳を疑った。


「引けーッ!! 海側に逃げるのだ!!」

「しかし、それでは隊列が乱れ、陣形が崩壊しますぞ!!」

「うるさい! このままではワシが死ぬではないか! 総大将を失って、どうする!!」


 言うが否や、頼高は馬を駆って逃げ出した。大将が逃げ出したとあれば、もはやその場に留まって戦う者などいない。南斗軍の中央は、パニックをきたしながら、海側へとなだれ込んだ。

 混乱の波は、中央部だけでなく取り残された前後の部隊にも伝搬していく。もはや、南斗軍は全軍崩壊の危機にあった。


「これだから無能は度し難い。俺があらゆる手を打っているのがバカらしくなる」


 長政は吐き捨てるように言った。ここでさらなる一撃を加えれば、南斗軍を壊滅させることは容易いように見える。並の将であれば間違いなく追撃していただろう。

 だが、長政はむしろ追撃の手を弛めたのである。なぜなら、最大の敵が現れるであろうことを予測していたからだ。

 殿! と、側近が叫ぶ。


「て、敵が、こちらに迫ってくる一団があります!」

「来たか」


 長政は不敵に笑った。


「その家紋は何か?」

「黒い鳥――八咫烏やたがらすにございます!」


 やはりか、さすがだ、八咫! だが、


「無能を救けるために軍を動かすとはな、お主らしい。だが、お主のその甘さが、命取りになるのだ」


 長政は側近たちに目配せをした。


「すべては手筈通りだ、行け」






 八咫軍は疾風の如く戦場に躍り出た。その中央で指揮をするのは、見目麗しい姫武将とともに馬にまたがる優男、三郎である。


「やれやれ、やっぱりこうなったか」


 三郎のため息に舞耶が反応する。


「三郎様の予測通りですね!」

「うん? まあね」


 他の南斗軍が慌てふためきパニックを起こしているのに、八咫軍だけが即座に行動できたのには訳があった。


「敵が反撃を試みるなら、この明洲原だと思っていたからね。仮に私が敵ならそうするさ」


 三郎は、戦力に劣る長政が領内の防御施設を破却し、南斗軍を深く誘い込むことを予想していたのである。そして、反撃のポイントが、この明洲原であることも。

 そのため、八咫軍に明陽川を渡った時から戦闘準備をさせていたのである。


「これで、お味方の全滅を防ぐことが出来ますね!」

「んー、そうだといいんだけどね」


 え? と、舞耶が聞き返す。


「なんでもないよ! それじゃあ、このまま突撃!」

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