第7話 三次川の戦い・緒戦 四

 拓馬光信は見た。自分を救けるために来ていた部隊が、八咫の兵に追われて逃げてきている様を。


「なぜだ!! 奴らは川を渡ってこないのではなかったのか!?」


 ハッ、と光信は気づいた。


「は、ハメられた!?」


 一体、自分はどこで間違えたのか!? 中央の部隊を呼び戻したからか!? いや、両翼に増援を出したからか!? ……待て、もしや、最初から間違っていたのでは!?


「殿、殿! お気を確かに!!」


 武者が光信を激しく揺さぶり現実に連れ戻す。その横を、兵たちが後方に次々と逃げ去っていく。


「待て、逃げるな、戦え!!」


 光信の叫びも虚しく、一人としてその場に留まろうという者はいない。

 一度崩れた軍を立て直すのは至難の技なのだ。なぜなら、一端で生じた恐怖心は次々と集団内に伝搬していき、各々から冷静な思考を奪い去ってしまう。その結果、パニックを引き起こし、たとえ自分たちが有利な状況にあろうとも、集団は一斉に逃走を始めてしまうのである。


「殿、もはやこれまでにございます、ここはお引きください!」

「なにを言うか、まだ負けておらん!」


 しかし、と言う武者の口から、血が吹き出した。武者の腹を槍の穂先が貫いている。


「八咫の穀潰しがああああああああ!!」


 光信は迫ってきた八咫の軍兵に槍を突き立てた。躱し損ねた兵が左腕を貫かれ、転げ回る。だが、後から後から兵たちが襲い来る。

 槍はリーチの長い得物だ。一対一であればその長さを活かして存分に戦うことが出来る。しかし、多数を相手にするには小回りが効かず、不利に陥る。

 光信はとっさの判断で突き刺した槍を手放し、愛刀に持ち替えて応戦した。一人、二人と打ち払うものの、ついに、一人の兵が突き出した槍に左の腿を貫かれる。


「ぬうっ、貴様らああああああああああ!!」


 なぜだ、なぜ圧倒的多数の我らが負けねばならぬのだ!? 四分の一の敵を相手に、三方から包囲し、殲滅する。完璧な勝利だったはずだ! あのときだってこれで勝った! 必勝の戦法が、完璧な勝利が、なぜこんなことにいいいいいい!!


「拓馬光信、覚悟ッ!!」


 戦場に澄み渡る声に光信は振り向く。騎乗の美しい戦乙女が、大太刀を掲げてこちらに駆けてきていた。






「まあ、こだわりすぎたな。『完璧な勝利』とやらに」


 三郎はため息混じりに呟いた。


「軍を三つに分けて包囲する、そこまでは良かったんだ。ただ、それが防がれた時点で、包囲にこだわらずに次善の策に移るべきだった。具体的に言うなら、両翼に増援を出さずに、中央に援軍を送って、そのまま中央を突破すれば良かった。二百対二百なら互角でも、二百対四百なら向こうが二倍だ。こっちだって破られていたかもしれない」


 もっとも、その場合の策も考えてはいたが。


「もっと言うなら、初めから全軍で正面衝突すれば良かったんだ。二百対千人なら、流石にお手上げだった。まあ、犠牲は多く出ただろうけどね」


 一流の将とは、いかに味方の被害を少なくし、敵に多くの被害を与えるか、ということを実践する者である。拓馬光信は愚将ではなく、一流の将たらんとしたあまりに、策に溺れたのだ。


「まあ、それだけ浅はかだったんだよ。そもそも、川の段丘や、森、湿地、そういった地形の判断も出来ずに理想的な作戦にこだわった時点で、負けは確定していたんだ。……『実践に勝るものなし』だな、これは私の自戒でもあるけどね」


 さて、と三郎は息をついた。


「アンタはどうやら八咫家にとっちゃ仇討ちの相手らしい。私はそんなものこれっぽっちも興味ないんだが、私の家臣達は興味があるみたいなんだ。悪いけど、取らせてもらうよ」


 静かに息を吐いた三郎に、凛としつつも美しい響きを持った声が届く。


「敵将、討ち取ったりーッ!!」

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