第6話 三次川の戦い・緒戦 参
拓馬軍の動きを見て、三郎は声を上げた。
「ようし、敵が増援を送ったな。第二段階だ、双方に退却命令を」
ハッ、と応えて伝令が駆けていく。傍に控えていた舞耶が声を掛ける。
「三郎様、ここまで上手くいっておりますね」
「そうだなあ、頭の中で考えてただけだから、実際に上手くいくか自信なかったんだけど」
三郎は笑いながら言った。
「案外、みんなバカなんだな」
舞耶はただ、引きつった笑顔で応えた。
「そうだ、舞耶。準備はいいか? 君がこの戦の鍵だからな」
「当たり前です! 戦で役立たずの三郎様と違って某が手を抜くことなどありえませぬ!」
そっぽを向いて、腕組みしながら言い放つ。気が強いのは昔と変わらなかった。
「まあ、よろしく頼んだよ。ただしあくまで無理はするな。死なないことが前提だからな」
舞耶が目だけでこちらを見てくる。品定めでもされてるようだ。
……いいさ、結果が出れば皆も態度が変わるだろう。本当は仕事したくないんだけどな。
「さあて、両翼が引いたら、第三段階だ!」
「増援を送った両翼はどうなった!」
光信が叫ぶ。そろそろ怒りの頂点に達しそうだ。そこへ、伝令が駆け込む。
「申し上げます! 双方共に、潜んでいた敵を打ち払いました!」
「でかした! ようし、今こそ、完全なる包囲を――」
光信は陣屋から外に出た。戦況を自らの目で確認しようとしたのだ。
「な、なに!?」
だが、そこで目にしたのは彼の思惑とはまったく異なって進んでいる展開だった。
「なぜだ!? なぜ、両翼は敵の本陣とは真逆の方向に進んでいるのだ!?」
「味方は上手く逃げてくれたようだね」
三郎は両翼の部隊に対して、『出来るだけ遠くに』つまり、本陣とは逆の方向に逃げるように指示していた。しかも、逃げると見せかけては攻撃し、敵が追ってきたらまた逃げるということを繰り返すことも付け加えていた。
双方たった二十人ずつの部隊が、敵の両翼増援を含めた八百人の部隊を釘付けにし、戦場から遠ざけることに成功したのである。
「よし、行け! 舞耶!」
「承知!」
騎上の姫武将が優雅に、そして勇敢に応える。
光信は焦った。
ここに至って自軍に致命的な隙が生じていることに気がついたのである。
中央の部隊は川岸に柵を巡らせた八咫の主力を相手に攻めあぐねており、左右の部隊は有ろう事か戦場から遠のいている。そして、光信の本陣だけが、後方で孤立しているのである。
今、本陣を急襲されればひとたまりもない。
「殿、あれを!!」
傍に控えている武者が叫ぶ。
光信が振り向くと、まさに敵の騎馬隊がこちら目掛けて突進してきているのだった。このタイミング、そして位置といい、まるで初めからすべて計算していたかのようである。
先頭の武者は女だろうか、美しい黒髪を風に棚引かせ、朱色の甲冑が陽光に煌めく。後の十騎を従えて戦場を駆ける様は、戦の女神とも言うべき気高さを漂わせている。
「う、うろたえるな! 敵は少数だ! 迎え撃て! それから、中央の兵を呼び戻せ!! どうせ奴らは川を渡ってこぬ! 早く!!」
光信とて、戦の申し子として謳われるように、豪勇の者である。愛用の槍を携えて自ら迎え撃つために陣を飛び出した。
見ると馬上の女武者は年端もいかない少女ではないか。
「小娘ごときが、この拓馬光信に挑むとは、舐めた真似をするではないか!」
光信は槍を振りかぶると、迫りくる姫武将に向かって横薙ぎに叩いた。
だがしかし、なんと片腕の刀で、光信の一撃を受け止めてしまったのである。
「なんだと!?」
「討つ!」
短くも鋭い台詞を聞いたと同時、光信の体は槍ごと跳ね上がった。
……この拓馬光信が、麒麟児と謳われたこの俺が、小娘ごときに打ち負けただとおお!?
戦場で尻もちをつく光信。その顔にこれまでの余裕は一切ない。
そこへ、後続の騎馬武者たちが襲い来る。だが、光信はすぐに立ち上がり、今度は華麗に受け流していく。
……あの娘は一体何だというのだ! 他の奴らとは全く違うぞ!
振り向くと、その姫武将が馬首を返して再度こちらに狙いを定めたではないか。
「先代当主殿の仇討ち、お覚悟!!」
迫りくる姫武将に光信は思わず後ずさりする。
「く、来るな! 来るなー!!」
だが、光信は背後から歓声を耳にする。
「殿を守れえええええっ!!」
中央で八咫本隊と打ち合っていた部隊が戻ってきたのである。
「チッ、もう来たか!」
舌打ちした姫武将、一方の光信は歓喜の叫びを上げた。
「おお、来たか! これで貴様らは挟み撃ちだ!! 勝ったぞ!!」
「これで、勝ったな」
やれやれ、と三郎は呟いた。
ここまで想定どおりにことが進むとは、我ながら褒めてもいいんじゃないだろうか、まあ相手がそれ以上にバカだったんだろうけど。
「目の前のことに固執して愚策を重ねていくのは、まさにバカの証拠だな」
光信は自らの危機に部隊を戻してしまった。冷静に考えればわずか十騎の突撃など、供回りだけでも対処できたはずである。いや、なんなら本陣から離れて両翼どちらかの部隊と合流してもよかったのである。
個人の武勇を誇るあまりに、柔軟に欠けすぎたのだ。もちろん、冷静さを失わせるほどに抜群のタイミングで突撃させたからでもある。
そして、なによりも八咫の軍を侮りすぎた。
なぜに、八咫の主力は柵の内側から一歩も出ずにひたすら耐えていたのか。
なぜに、騎馬だけを先に突進させたのか。
それは、八咫軍が川を渡ってこないと思い込ませるための演技であったというのに。
「これが最終段階だ」
三郎は軍配を掲げた。亡き父の形見だと言うが、三郎に特に感慨はない。
だが、それを見る周りの者には、計り知れない想いが重ねられている。
「――全軍、突撃。あの敵を討て」
おおおおおおおおおおお、という咆哮を上げて、八咫の全軍が川を渡る。
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