第5話 三次川の戦い・緒戦 弐

 舞耶は目の前で繰り広げられている戦況を見て驚いていた。

 すべて、三郎が指示した通りになっているのである。






 戦が始まる前、三郎は皆を集めた軍議の場で作戦をこう語った。


「敵の狙いは少数の我々を両側面と中央の三方から取り囲み、包囲殲滅することだ。敵は左右に分かれて動いているし、春の戦でも同じ戦法でやられたんじゃなかったっけ?」


 春の戦の件を持ち出されて諸将が目を伏せる。その反応から見ても間違いないだろう。


「で、これに対して密集して守りを固めるだけじゃあ、どんどん削られるばかりで我々に勝ち目はない」

「では、いかがせよと仰せか!」


 一人の将が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「こちらも、軍を三つに分ける」

「バカな! ありえん! こちらはただでさえ少数、数で押されてひとたまりもありませんぞ!」


 周りの将も一斉に非難の声をあげる。

 これだから素人は困る、武芸など携わったこともないくせに出しゃばるから、穀潰しが、黙っておれば良いものを、と陰口がほうぼうから上がる。

 仮にも自分たちの主に対して散々な言いようである。


「まあまあ、話は最後まで聞くもんだ」


 これだからバカは敵わないんだ、と三郎は肩をすくめた。


「いいかい、敵の右翼――こちらの左翼側に森が見えるだろう? 恐らく敵の右翼部隊はあの森からこちらに攻め込むはずだ。そこで、こちらは二十人でその森で足止めする」

「な!」――バカな! という言葉を、三郎は制して続けた。

「火攻めを使う。彼らが攻めようとした時に、森に火をかけて動けないようにするんだ。あとは森に隠れながら適当に戦ってくれればいい」


 諸将が顔を合わせてざわめく。


「次に敵の左翼――こちらの右翼だが、川に沿って低湿地が拡がってるだろう? 泥沼でいかにも動きにくそうだ。それから、こちら側の段丘でひときわ高くなっている崖がある。あそこの上から、湿地帯を通ってくる連中を弓で狙い撃ちにするんだ。こっちも二十人で」


 場の雰囲気が変わってくる。しかし、先程叫んだ将がまた声を上げた。


「されど、たった二十人では、足止めするにも限界がありますぞ!」

「うん、知ってる」

「まさか、死んでも止めろと仰るのか!?」

「ハア、こんなところで死ぬとかバカの極みだろ」


 軽々しく死ぬとか言ってもらっちゃあ困るんだよな。それじゃあ、なんのために私がこの作戦を立てたのかわからないじゃないか。


「予め言っておくけど、この策は一人の犠牲も出さずに勝つ方法なんだ。そう、ただの一人も死なずに、全員が生き残って相手に勝つための戦法だ。それを忘れないように」


 その場の全員がゴクリと唾を呑んだ。三郎の言った内容にも驚いたが、その表情に有無を言わせぬ圧を感じ、恐れおののいたのである。


「――さて、中央だが川の段丘面に沿って柵を立てるんだ。ここで残った全員で敵の中央を迎え撃つ。まあ、ここでは互角以上の戦いが出来るだろう。ここまでが第一段階」


 皆が静かに聞き入っている。

 おとなしくなったじゃないか、と三郎は微笑んだ。


「はい、じゃあ問題。三方から包囲することが前提だったのに、それが食い止められてしまった。だけどなんとかして取り囲みたい。そんなとき、どうするかな? はい、君!」


 もはや反論すらしなくなった先刻からの将を指す。


「……増援を送って、包囲を完成させます」

「うん、正解」

「?????」

「ここからが第二段階。敵が右翼・左翼に増援を送ってきたら――」


 三郎は笑顔になって今や完全に聴衆と化した一同を見渡した。


「こちらの右翼と左翼は、逃げる! それも、出来るだけ遠くに、だ」






「ええい、小癪な! 包囲が完成せねば意味がないではないか!!」


 光信が大声を張り上げる。


「こうなったら、右翼と左翼に予備兵力を投入しろ!」


 お待ち下さい! と側近の一人が声を上げる。


「それでは中央が手薄になりはしませんか?」

「ガハハ……! バカな、アレを見ろ!」


 光信は八咫軍の陣を指して叫んだ。


「奴らは柵から一歩も出ようとしないではないか! 中央を防戦するのに手一杯なのだ!」


 おお、なるほど! とほうぼうから声が上がる。


「この光信は戦の申し子ぞ! この程度が見抜けないで拓馬軍の先鋒を任されぬわけがなかろう! わかったら、さっさと包囲を完成させろ! そうすれば敵は一気に崩れる! 増援はそれぞれ百ずつだ! 急げ!!」


 まったくどいつもこいつも、完璧な勝利でなければ意味がないというのに、この体たらくだ! たった四分の一の相手になにをまごついているのだ!


 光信は怒りに身を包まれていた。戦場のような刻一刻と状況が変わり常に冷静な判断を必要とする環境において、それは最大の弱点とも言えた。

 三郎の術中に陥っているとはまだ露程も知らない。

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