第4話 三次川の戦い・緒戦 壱
三次川は、勢良国内を東西に流れており、戦いが起こった場所はその下流に位置する。下流の川幅はおよそ五十メートルであり、水深が浅く流れも緩やかであることから、橋は架かっているものの徒歩での渡河も可能であった。
しかしこのとき、南斗家によって付近の橋は破却されており、また西は丘陵地帯、東は海岸まで低湿地が広がっているため、拓馬軍は敵の待ち構えている正面へ徒歩で渡る他なかった。
拓馬光信が、八咫軍を川向うから引きずり出そうとしたのは、自軍の被害を減らす目論見もあったのだ。
戦いは川を挟んで両軍とも弓の応酬から始まった。
打ち合ったのは光信軍先鋒二百と、八咫軍のほぼ全軍に当たる二百である。ほぼ同数ではあるが、八咫軍は矢盾を展開し厳重に守りを固めており、光信軍の被害が一方的に増えるだけであった。
ここで光信は軍を一度引いた。作戦通り、八咫軍を誘い込もうというのである。
しかし、八咫軍はそれに反応しなかった。手足を引っ込めた亀のように、陣から出ずに様子を窺っているのである。
うむう、と拓馬光信は唸った。
「八咫の奴らめ、少しは知恵を付けたか。無策に突撃するのは前の戦で懲りたと見える」
ならば、と光信は次の手を打つ。
「そちらが動かぬのであれば、こちらから包囲するまでよ! 中央はもう一度前進! それから、右翼と左翼に使いを出せ! 迂回して川を渡り、奴らを側面から攻撃せよ!」
よろしいのですか、と側近の一人が耳打ちする。
「西は森に遮られ、東には湿地が広がっております。渡河するには時間がかかりすぎるやもしれませぬが?」
「そのような些細なことに惑わされてどうする! 三方より包囲挟撃する、これこそが最大の戦果を生むのだ。なにせ、先の戦でも、同様にして完勝したのだからな!」
なるほど、と側近は引き下がった。先の戦での勝ち様はこの側近とて覚えている。今戦っているのも、あの時に壊滅的打撃を与えた八咫軍なのだ。
だが、拓真光信にはたった一つの、しかも大いなる誤算があった。
今回、八咫軍を率いているのは、三郎であったのだ。
八咫軍の本陣、そこで三郎は懐に忍ばせていた書を読んでいた。だが、実際に拾えている言葉は半分もあるだろうか。
……いやあ、やっぱ緊張するな! なんせ初実戦だもんな!
負ければ死に直結するという恐怖心と、本物の戦に立ち会えるという好奇心。その双方が三郎の中で騒ぎ立てていた。それを抑えるために、日課とも言える読書でもしていようかと、そう思い立ってのことだった。
そこへ、おおおおおおおおおおおおおおおお、という咆哮が鳴り響く。
同時に、舞耶が陣に舞い戻ってきた。
「三郎様、来ます!」
「はいはい、わかったよ! 皆、打ち合わせ通りに。あと、絶対に柵から出ないようにね!」
……ひとまずは食いついてくれたか。ここまでは良し。あとは――、
「いつまで敵の目を欺けるか、だな」
光信軍の中央が再び八咫軍に攻撃を仕掛けた。
今度は矢の打ち合いに留まらず、さらに前進して接近戦に持ち込もうというのである。だが、光信軍の攻撃はまたも跳ね返されてしまう。それもそのはず、八咫軍は陣の前方、川の段丘面に沿って柵を巡らせていた。
いわゆる
最たる例は織田信長が武田軍を破った「長篠の戦い」であろう。しかし、この世界に信長は存在しない。いや、仮に生まれたとしても、数十年は後の話である。つまり、この戦術を知り得たのは前世から歴史を学んでいた三郎唯一人なのだ。
この状況に地団駄を踏んだ者がいる。若き獅子と謳われた、拓馬光信である。
「ええい、なにをしておる!!」
光信は怒りをあらわにして叫んだ。なにせ、先程から光信軍の攻撃はことごとく防がれているのである。いや、まだそれはいい。それ以上に問題なのは、
「右翼と左翼はどうした! なぜ一気に攻め立てぬ! 三方からの挟撃、これが我が完璧な戦法だと言うのに、これでは単なる正面からの打ち合いではないか!!」
同時に攻めかかるはずの右翼、左翼部隊からの反応がないのである。側近たちが顔を見合わせ、恐る恐る注進する。
「そ、それが、両翼共に何処からか攻められておりまして……」
「なんだと!?」
その時、左翼側から悲鳴が上がり、ほぼ同時に右翼側からは火の手が上がった。
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