第8話 まったく、調子いいよな

 南斗軍本陣、そこで素っ頓狂な声が上がった。


「なに、八咫の小倅が、敵の先陣を退けただと?」


 豚、いや嘉納頼高は使い番が報告した内容を聞き直した。まったく予想していなかったのである。


「ハッ、しかも敵将、拓馬光信を討ち取った模様です!」

「なに、あの麒麟児とも謳われた拓馬光信をか!?」


 頼高は使いを下がらせた後、鎌瀬満久を呼び出した。例の狐である。


「八咫の穀潰しめが、敵の先陣を打ち破ったぞ。大将首も取ったらしい」

「は、聞き及んでおります」

「貴殿、なぜそのように落ち着いておる!? 失敗した八咫家から領地を召し上げる手はずではなかったのか!?」

「我らは敵の本隊と睨み合っているゆえに動けず、まだ着陣していなかった八咫軍に戦わせる。そう仰せられたのは嘉納殿ではございませぬか?」

「それは、そうだが」

「それに、戦況が有利になったのは喜ばしいことです」

「しかし、大将首を取ったとなると、功が大きすぎる。恩賞も与えねばなるまいし……」

「……では、こうしてはいかがでしょう?」


 狐は眼光を光らせて耳打ちする。豚は見る見る内に満面の笑みへと変わっていった。






 一方、勝利を収めた八咫の陣中はお祭り騒ぎだった。


「「えい、えい、おおーッ!!」」


 歓喜の声が幾度となく繰り返される。


「武藤殿がお戻りになられたぞー!!」


 三郎が振り返ると、徒士を引き連れた舞耶が馬に乗って戻ったところであった。

 舞耶の掲げる槍の穂先、そこに布に包んだ首級が括り付けてある。数刻前まで拓馬光信だったものだ。

 舞耶が三郎の姿を見つけて、馬を寄せて傍に降り立つ。


「ただいま、戻りました」

「大手柄だったな、舞耶」

「当たり前です、某が手を抜くことなどありえぬと言ったではありませんか!」


 そうして舞耶が立ち上がって抗議する。しかし、その頬にかすり傷が出来ていた。


「舞耶、傷があるじゃないか」

「いえ、この程度、たいしたものでは……」


 ああ、そうだ、と三郎は思い出した。


「そう言えば、あの頃も外で遊ぶたびに、また新しい傷を作ってたな」


 十年前のことだ、三郎は幼い舞耶に毎日のように連れ出され、野山で遊び相手をさせられていた。まだ本を読み終わってないんだ、という三郎の抗弁はついに受け入れられることがなかった。


「な! む、昔のことはいいでしょう!?」


 顔を赤くして睨みつける様は、武勇を誇った偉丈夫を討ち取った将には見えない。そう、三郎が知っているあの頃のおてんば娘と変わりないのだ。


「まあ、よく無事で帰ってきた」


 笑って返す三郎に、舞耶が目をパチクリさせる。そしてすぐに、少し笑って頷いた。


「はい、三郎様は某が支えねば、不安で仕方ありませんから」


 三郎は苦笑で返した。

 そこへ、一人の将が報告する。


「殿、申し上げます。怪我を負った者は、五十六人。帰らなかった者、死んだ者は一人もおりませぬ! お味方、大勝利にございます!!」


 おおおおおおおおおおお、とさらに歓声が一同を包んだ。

 まったくもって完勝と言えよう。四倍の相手に対して勝利を収めたのだ、しかも敵の大将首を取り、一人の犠牲もなくしてである。これを実戦が初めての、穀潰しの引きこもりの刀も振れない軟弱者と呼ばれた三郎がなし得たのである。まさに、奇跡の勝利である。

 八咫の将たちが口々に称賛した。


「いやはや、おみそれしましたぞ三郎様!」

「さすがは八咫家一の知恵者ですな!」

「いや、三郎様は古今東西比類なき戦巧者にございます!」


 一方の三郎は、それを半笑いで受け止めた。


 ……まったく、調子いいよな、勝った途端にこれだ。さっきまで私のことを散々に罵ってたのはどこの誰だい。まあ、いいけどさ。


「じゃあ、これで大手を振って帰れるな!」


 三郎はほくほくの笑顔でそう言った。一刻も早く帰って、本の続きを読みたかったのだ。


「なにを仰いますか!」


 バシッ、と舞耶に背中を叩かれる。一切加減をしないので甲冑の上からでも痛い。


「まだ、敵の先陣を叩いただけです! 戦の本番はこれからでございますよ?」

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