第4章 大遠征
第37話 ああ、また仕事が増える
南斗家中に拓馬領への侵攻を目的とした陣触れが発せられたのは、
当初は一週間後の十月三十日に進発の予定であったが、実際に南斗軍本隊が本拠地を出発したのは、月をまたいだ十一月四日であった。三次川の戦いからまだ一月足らずであり、さらに今回は前回以上の動員をかけていたため予定していた兵数が集まらず、日程がずれ込んでしまったのである。
南斗家の本拠である
四日に気吏城を進発した南斗軍本隊はおよそ六千。それから日を追うごとに軍が膨れ上がり、全軍が整った八日には岐洲城の守備兵も合わせて一万二千を数える大軍となっていた。
三郎率いる八咫軍が参陣したのは、八日の午後である。
今回の八咫軍は五百に増員されている。だがその内、八咫の兵と呼べる者は三百五十である。主家から動員数を指定されたため、不足は急遽傭兵を金で雇い補っていたのだった。
十一月八日の夕刻、岐洲城の大広間で開戦前の軍議が開かれた。
三郎は末席に座り軍議の場を見渡した。ここに列するのは南斗家の将十五名である。南斗家に属するほぼすべての将が集められていた。
最も多い兵力を有するのは、筆頭家老の嘉納頼高である。今回も総大将の任を預かっており、自ら二千の軍を持って南斗軍の主力を成していた。
次に多いのは鎌瀬満久率いる千五百、これは岐洲城の守備兵を含めた数字である。なお、今回は副将に昇格している。
三番目は、『鬼秀勝』こと、南斗秀勝の率いる精鋭千二百。数においては頼高や満久に水を開けられているが、戦場での働きで劣ることはないだろう。
その他、大小はあるものの、おおよそ五百を主として各将が率いている。
三郎の八咫軍も今回は五百を揃えており、数の上ではようやく彼らと肩を並べるようになっていた。
……残留しているのは、幼い当主とその供回り、あとは西方への備えぐらいか。まさに、南斗家オールスターって感じだな。
三郎は心の中で茶化してみたものの、どうにも不安を拭えずにいた。
皆々方! と、上座の鎌瀬満久が立ち上がる。
「一同にお集まりいただいたのは他でもありません、此度の大遠征についてです!」
不敵な笑みを浮かべながら見回す。どうも気色悪い。
「先の戦にて敵に大打撃を与えた上、この岐洲城を奪った今、我ら南斗家は日の出の勢い!」
その二つとも、私がやったんだけどな、とは三郎は口に出さない。
「それに比べて、拓馬家は不甲斐なくも未だ岐洲城を奪い返す算段もしていないと、もっぱらの噂です。これは天が我らに与えし好機なのです!」
変な方向に演技力に磨きがかかっている。二十一世紀ならユーチューバーとしてバズっていたかもしれない。
「ここに集った顔ぶれを見ればお分かりのように、こたびの大遠征は南斗家の総力を上げてのものです! 総勢一万二千! この大軍をもって当たれば、必ずや拓馬家を滅亡に追い込めましょう!」
ウム! と頷いたのは満久の隣に座る嘉納頼高だ。
「鎌瀬殿の言うとおりだ! この岐洲城から敵の本拠までは目と鼻の先! もはや我らを遮るものはない、これを勝機と言わずしてなんと言うか!」
……その『勝機』を疑うよ。いや、『正気』を疑うの間違いか。
三郎は一つため息を吐いた。
……ホントはバカと会話するだけでも嫌なんだが、言わないわけにはいかないからな。
「一つ、いいですか?」
「ほう、八咫殿か。なにかな、この素晴らしい策を称賛いただけるのですかな? ……もっとも、此度は大軍勢をこちらが揃えているのです。いくら戦に不慣れな八咫殿であろうと、我らが負けようもないことくらいお分かりになるでしょうが!」
あちこちから失笑が漏れてくる。三郎はすまして答えた。
「ええ、さすがはご聡明な鎌瀬殿です。それでは、前回の戦で数の少ない我々が勝ったことも、当然覚えておいででしょう?」
ぐっ、と一瞬顔をしかめた狐であったが、すぐに表情を取り繕う。
「ふん、あれは貴殿が用いた奇策であろう。我らは信用するに値しない奇策など必要ない! この大軍勢を持って、拓馬家を撃滅するのです!」
「戦が兵の数で決まると言うのは、たしかに古来より普遍の真理です。しかし、それは双方の装備や練度といった数以外の点で同条件である場合の話です。我が軍は先の戦で六千の動員だったにもかかわらず、今回は一万二千にも膨らんでいます。明らかに国力を無視した無理な動員と言わざるを得ないでしょう。それから、軍議の前に皆さんの兵を拝見しましたが、兜を付けているものも少なく、そして老人や少年まで加わっているではありませんか。これでは数だけ揃えた烏合の衆です」
三郎の不安の一つはこの大兵力だったのだ。
戦略的に相手よりも多い戦力を整えるのは大前提ではあるが、無理な動員をしている時点で戦略としては誤りなのである。ましてや、本来は徴兵を免じられるはずの老人や少年まで駆り出しているのだ、ロクに訓練も積んでいない新兵を揃えたところで、統制の取れた働きが出来るはずもなかった。兵装がまばらであることも相まって、南斗軍はむしろ弱体化したと言っていいだろう。
兵数の多い軍が有利であることは歴史が証明しているが、練度の低い軍が兵力差を逆転されて敗北することもまた歴史は事実として記録している。
だが、満久は鼻息一つで一蹴した。
「取るに足らぬことを。この好機を逃せば、いつまたやってくるかわからぬのですぞ! もしそうなれば、八咫殿はいかに責任を取るつもりか!」
そうだそうだ、という声が上がる。
……ああもう、また話をすり替えたな。これだからバカと話すのは嫌なんだ。
三郎はすでに半分以上呆れている。
「では、この『好機』にどのような算段で、どのような日取りで拓馬家を攻略するのか教えてください」
「フン、そのようなもの、敵の出方次第で変わってしまうわ!」
「……拓馬家はまだ八千の動員が可能だと思われます。それに対し我が軍は一万二千と兵力に勝るため、敵が野戦を仕掛けてくる可能性は低いでしょう。仮に敵が籠城を選択するなら攻略は困難を極めます。城攻めには敵の三倍を持って当たれというのも、古来の常道ですから」
「なら、力攻めをせずに兵糧攻めにすればよかろう!」
「兵糧攻めなら少なく見積もっても三ヶ月は必要でしょう。……今回の遠征では我らは一月分の兵糧しか用意できていないと聞きます。一体どのようにして攻略するのか、ぜひとも私のような戦の初心者に教えていただきたいものです」
ぐぬぬ、と今度こそ満久は黙り込んでしまった。
三郎のもう一つの不安は、南斗家上層部の戦略性の欠如であった。好機と言うものの、それを実現させる具体的方策を描いていないのだ。目の前にぶら下がった餌に考えもなしに飛びついているようにしか思えない。
……これじゃあ単に、いきあたりばったりだな。
三郎は心底呆れた。すると、まあまあ、と頼高が間に入った。
「八咫殿、すでに遠征は決まったことなのだ。現に皆もここに集っている。今更遠征そのものの是非を言ったところで仕方あるまい」
それだ、と三郎は唇を噛んだ。
三郎の知らないところでこの遠征が決まっていたのである。いや、主家の決定なのだから仕方ないのだが、どうもこの遠征には異なる思惑が何層にも重なっているように思えてならなかった。
三郎は思案して下を向いた。このとき、狐と豚が見合わせて密かにほくそ笑んでいたことに、三郎は気付いていなかった。
それでは、と頼高が話を進める。
「それでは戦仕立てだが、先鋒として南斗秀勝殿を中心に三千をもって先発していただく。中備えはこの頼高が七千を預かる。八咫殿もここに加わるように」
ハッ、と三郎は頭を下げた。
「後詰めは鎌瀬殿の千五百、これは岐洲城にて待機し、万一に備えられよ」
かしこまりました、と狐がうやうやしく頭を下げる。この男、副将にもかかわらず、前線で戦う気は毛頭ないのだ。あれだけ力説したのなら、本人が最前線で戦うべきだろうに。
「出陣は明日の早朝。おのおのがた、それまで英気を養うように」
こうして、軍議は解散となった。三郎は、やれやれと席を立つ。
……結局こうなるのか、仕方ない、なにか起こってもいいように、準備だけはしといてやるか。ああ、また仕事が増える。
そうして、縁側へ出ようとしたその時、快活な声に呼び止められた。
「八咫殿!」
振り返ると、体格の良い豪傑がこちらに向かっていた。
「ああ、これは、秀勝殿!」
南斗家最強の将、『鬼』と謳われる戦上手、南斗秀勝である。
「貴殿、見事この岐洲城を落としたようだな! やはり儂の加勢などなくとも落とせる手立てを持っておったのだな、この知恵者め!」
豪快に笑いながら三郎の背中をバンバン叩く。この人は相変わらずだな、三郎は痛みを堪えながらも心地よく思った。
「ところで、いかがなさいました?」
「ウム。……ここでは他の目もあるゆえ、場所を変えよう」
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