第36話 まためんどくさいことになった!

「これは嘉納殿! よくお越し下さいました」


 鎌瀬満久が恭しく頭を下げて歓迎する。岐洲城の屋敷に嘉納頼高を招いていた。


「おお、鎌瀬殿。此度は招いていただき、嬉しく思うぞ」


 ガハハ、と豚がふんぞり返って笑う。この男の笑いはどこで聞いても下品だ。


「それにしても、鎌瀬殿。いかがかな、城主の座は?」

「某ごときには勿体なき城です。されど、やはり国元の酒が恋しく思いますな」

「ハハハ、さもあろう」


 また、頼高は汚い笑い声をあげた。


「そうだ、新たな出兵の件、当主様のご承認を頂いたぞ」


 承認といっても、南斗家当主は十歳にも満たない子供である。所詮は形式上のことだ。


「それは良きこと。某としても提案した甲斐がございました」


 そう、満久は新たな出征を主張していたのだ。

 先の戦いの戦後処理がようやく終わったばかりで、兵の補充もままならない。しかも、敵方より攻め込まれたわけではない、こちらから攻め込もうというのである。狂気の沙汰ではなかった。

 だが、二人にとっては関係のないことであった。部下や民衆がいかに苦しもうと知ったことではない。自分の懐さえ傷まなければ、何をしてもよいという思想なのだ。


「ウム、一昨日の内に使いを走らせたゆえ、そろそろ各々に陣触れが届いておろう」

「おお、すでにそこまで。いやはや、この満久、先の戦では不甲斐ないところをお見せしましたので、此度の出陣にて汚名をすすぎとう存じます」


 さもあろう、と豚が大げさにウンウンと頷く。そこへ、満久は声を潜めて耳打ちをした。


「……実は、嘉納殿にお耳に入れたきことがございます。ぜひお人払いを」


 ほう、と興味を持った頼高が家臣に目配せして下がらせる。二人きりになったところで、満久はようやく語りだした。


「南斗の家中で、敵に寝返りを画策してる者がおります」

「なんだと!? 一体誰が!?」


 ありえない話ではなかった。戦国の世では、寝返り工作は平然と行われていたのである。現代で言えば、人材のヘッドハンティングみたいなものだ。『七度主君を変えねば武士とは言えぬ』などと豪語した武将もいたほどだった。

 豚が身を乗り出してくる。すでに陣触れは出してしまっているのだ、もし出陣中に裏切りが発生したら大事である。

 その様子を見て狐は、しめしめとほくそ笑んだ。内心では復讐の炎が巻き起こっていたのである。

 頼高には戦場で見捨てられたという恨みがある。だが、さらに憎むべきは、小賢しく動き回ってこちらの意のままにならないカラス野郎である。


 さあ、八咫の穀潰しめ! 貴様の地獄はここからだ!


「はい、その者の名は――」






 何度目だろうか、三郎はまた夢の中にいた。

 打ち合わせのあとらしく、会社の廊下を例の後輩と並んで歩いていた。

 後輩が目を伏せながら言う。


「先輩、すみませんでした! 俺のせいなのに、先輩まで怒られてしまって」

「いいんだ、私なんて普段から怒られっぱなしだからね」

「でも……」

「上の連中の言うことをそのまま真に受けちゃダメだよ、アイツら現場の状況を考慮せずに要求だけ一方的に押し付けてくるんだから。まあ、言わんとするところはわかるけどさ、理解してもらうための努力をしないのはアイツらの怠慢だよ」


 後輩が顔を上げる。


「……先輩はやっぱり優しいっす」

「そうかな、偏屈なだけだよ」

「それは、そうっすね!」


 笑った後輩だが、突然足がもつれて壁に手をついた。


「大丈夫かい?」

「なんか最近ちょっと立ちくらみみたいなのなるんすよね。なんでだろう……」

「昨日、また上から仕事押し付けられてただろう? ちゃんと、休まないと」

「そう言う先輩だって休んでないじゃないすか」

「あー。まあ、お互い様だな」

「ですよ! それに、明日やっと代休取れたんすよ! 二十日ぶりの休みっすよ! 今日は頑張るしかないっす!」


 屈託のない笑みを浮かべる後輩。


 ……だが、思えばこのときには……!


「そうだ、先輩。これから外回りなんすけど、ちょっと何時になるかわからないんで、先に帰っててください」


 ……ダメだ、行っちゃダメだ!


「それじゃあ、行ってきます! 先輩、また、明日」

「行くな、行ったら君は――!!」

「ちょっと、大丈夫かい?」






 三郎は目を覚ました。


「どうしたんだい、うなされて?」


 揺れる視界の中で、黒髪の乙女が見えている。美しい姫だ。


「……ん、舞耶か?」


 ……前世の夢か。やれやれ、仕事のしすぎだ、最近忙しかったからなあ。


 そう思っていると、不意に両目を何かで覆われる。もっちりぬくぬくたぷんたぷん……


「ぬおおおおおおおおおっぱいいいいいい!!」


 きゃん、と三郎に馬乗りになった人物がいたずらっぽく身を起こす。もちろんそれは、


「京、お前かあああああああああああ!!」

「ホラホラ、朝っぱらから大声出さないの」


 そう言いながら、人差し指を三郎の口に当ててくる。


 一体どうしてこんなことになってるんだ? 確か岐崎湊から館に帰ってきて、疲れたからって先に寝て、変な夢見て、起きたら誰かが馬乗りになってて……


「って、なにしてんだ!?」

「なにって、夜這いだよ。あ、朝だから朝這い?」

「どっちも違う!!」


 ふふふ、と口元に手を当てて京が笑う。

 京は白衣の上に紫根染の上衣を羽織っている。そして普段は三つ編みに結っている髪を下ろしていた。本人の色っぽさを上品な優雅さが包み、さらに妖艶に映し出していた。

 どこからどう見てもどこかの姫の姿であった。


「……そんな格好もできるんだな」

「アタシも大戸家の姫だった時代があったからね、まあその名残さ」

「似合ってるじゃないか」

「お、嬉しいこと言ってくれるねえ」

「ああ、普段からそうやって慎ましくしていればいいのに」

「それは余計。さて、それじゃあ、早速……」


 三郎の股間を右手で弄ろうとする。


「おわっ、やめっ、なんでっ!?」

「なんでって、身体で払ってくれる約束だろう?」


 まさか本気だったのか!?


「ねえ……」


 京が身体をずらして、脚を絡ませてくる。膝頭を擦りながら上へと移動させ、腿がついに三郎の股間へと迫る!

 その時だ、


「一大事です、三郎様あああああああああああああああああああああ!!」


 舞耶が怒気をほとばしらせながら障子を開け放つ。そうして、目があった瞬間、その場にいた全員が凍る。


 あ、死んだわ。


 三郎が白目を剥いていると、


「いつまで呆けているのですか、この甲斐性なし!!」


 舞耶が京を押しのけ、続けて三郎の胸ぐらを掴み上げた。


「な、なんだよ、舞耶!?」

「そうさ、ヒドいじゃない、舞耶姫!」

「一大事にございます!!」


 三郎と京は互いに見合った。どうも、舞耶の様子が普段とは異なる。


「主家からの使いです」


 そう言って、舞耶が書状を懐から取り出した。げえっ、と三郎は舌を出す。


「やれやれ、南斗の連中、今度は何をしでかすつもりだ? どうせまた、ろくでもないことを考えてるんだろうけど」


 頭を掻きながら書状を受け取り、中を読んでみる。だが、内容を読んでいる内に、いっそう激しく頭を掻くことになった。


「ああもう! まためんどくさいことになった!」

「どうしたんだい?」


 京が聞いても、三郎は書状から目を離さない。舞耶を見やると、怒りと困惑が交じったような複雑な表情をしていた。

 三郎が珍しく大声をあげる。


「あのバカ共はまともな思考を持っているのか!? いや、持ってないからバカなのか! チクショウ、これじゃあ私はなんのために頑張ったんだ! 元の木阿弥じゃないか!」


 一通り掻きむしったあと、三郎は舞耶に問うた。


「皆は?」

「は、すでに集まっております」

「それは、結構!」


 三郎は諦めたように、大きなため息を吐いた。


「京も来てくれ。……出陣だ」

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