第10話 三次川の戦い・本戦 壱

 ――翌日、午前二時。


 最も闇が深い時間、川の朝霧が立ち始めた闇の中、それは唐突に始まった。


「殿! 嘉納殿!!」


 嘉納頼高は伝令の悲痛な叫びに眠りを妨げられた。


「何事だ、うるさい……」

「殿、敵が……敵襲にございます!!」

「なんだと!?」


 拓馬軍の先鋒が、突如南斗軍の第一陣に襲いかかったのである。

 南斗軍とて夜襲を警戒していないわけではなかった。ちゃんと交代で見張りを立ててはいたのである。

 しかし、三郎が緒戦で勝ったことで敵の戦意を挫いたこと、大軍同士での闇討ちは同士討ちの危険性が高いこと、そういった油断から警戒が弛んでいたのである。

 そして、いわゆる丑三つ時と呼ばれる午前二時、それは最も人間の眠気を誘う時間。油断と眠気という弱みをさらけ出した南斗軍へ、拓馬軍は一挙に押し寄せたのだ。


「ええい、なにをしておる! 夜襲には警戒せよとあれほど言っていたではないか!! 皆を叩き起こせ! 迎え撃つのだ!!」


 申し上げます、と次の伝令が駆け込んでくる。


「第一陣、すでに敗退した模様です! それにつられて、第二陣から逃亡者が!」

「なにいいいいいいいいい!?」






「……様、起きてください、三郎様!!」


 三郎はまどろみの中、懇願するような声を聞いた。


「やだあ、仕事したくないー、二十連勤なんてもう嫌なんだー」

「何を寝ぼけておられるのですか、この甲斐性なし!!」

「んえ?」


 三郎は薄く目を開けた。そこに、黒髪の乙女が寄り添っている。


「あー、舞耶?」

「そうです、貴方様の側近の舞耶にございます!」

「そうかそうか、いやあ良かった」


 前世で泣きながら会社に行く夢を見ていた。今や、戦場のほうが遥かにマシに思える。


「何も良くありませぬ! お味方が、敵の攻撃を受けております!」


 慌てた様子の舞耶だったが、一方の三郎はやけに落ち着いていた。


「あー、やっぱりかー」

「やっぱりって……」

「うん、まあ予想はしてたんだけどね、どうせ困るのは南斗のバカどもだし、いっかーって思って忠告しなかったんだ。あと、働きたくなかったしな!」

「ハア、あの?」

「まあけど、負けてもらっちゃあ困るからな、戦況はどうだい?」

「ハッ、第一陣が破られ、第二陣は潰走、現在は第三陣が戦っておりますが……」


 その時、伝令が駆け込んでくる。


「申し上げます! 第三陣に続き、第四陣も敗走!」


 三郎は舞耶と見合わせた。沈痛な面持ちになる舞耶に、三郎は明るく声をかけた。


「心配するな、策は考えてある」

「本当ですか?」

「だけど、働きたくないから今は静観!」


 そう言って三郎はまた眠りだした。舞耶と伝令は互いに見合わせて、ため息をついた。






 南斗軍総大将の頼高がひときわ大きな怒声を陣内に響かせる。


「うろたえるな!! この中に猛者もさは一人もおらんのか!?」


 南斗軍の縦深陣、その八陣の構えの内、すでに第五陣までもが打ち破られていた。残るは六陣から八陣、そして頼高の本陣を残すばかりである。

 縦深陣は幾重にも陣が重なり、本陣に迫るまでには厚い防御網を突破せねばならない。各々の陣は横に長く薄い長方形をしており、確かに一つの陣を突破すること自体はたやすい。

 だが、突破を重ねるごとにその前進が衰えてしまい、最終的には途中で力尽きることになる。縦深陣の狙いはそこにある。

 ところが、今の南斗軍は不意を付かれたため、ロクな抵抗すらせずに敗退を続けていた。第六陣に及んでも、未だ拓馬軍の前進力はほとんど衰えていないのである。


「と、殿! 殿ぉ!」


 情けない声を上げて武者が駆け寄ってくる。


「なんだ、どうした!?」

「第六陣が、突破されましたぁ!」


 頼高の背中を、冷たい汗が流れ落ちた。

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