第2章 天下の堅城

第16話 この世の中はバカだらけ

 まどろみの中、三郎は声を聞いた。


「何度言ったらわかるんだ、こんなことも出来ないのか!?」


 どうして、そんな醜い顔ができるんだろう。

 三郎は怒り狂う相手をまじまじと見ていて、疑問で仕方なかった。でも、そんなことを口にすれば、火に油を注ぐことになりかねない。だから、別の言葉を口にした。


 これではお気に召しませんでしたか、ではどうすればよろしいでしょうか。


「そんなことは自分で考えろ、この能無しが!」


 考えた末がこれなのですが、何が気に入らなかったのか教えて頂けませんでしょうか。


「なんだその顔は、不満があるのなら言ってみろ!!」


 ……いっそ、正解を教えてもらえませんか。そのほうが、時間もエネルギーもムダになりませんよ。


「つべこべ言うな!! やれと言ったらやるんだ!!」


 ……これだから。これだからバカは嫌いなんだ。

 この世の中はバカだらけだ、こんな世界なんていっそなくなってしまえ――






 三郎は目を覚ました。呼吸を整える。焦点があってくると、目に入ったのは見慣れた天井だった。

 八咫の館、その三郎の居室である。

 三郎は身を起こした。


 ……そうか、夢か。


 前世の夢であった。思い出したくもない。前世の自分が死ぬ、何日前のことだろうか。


 やれやれ、久しぶりに見たな。それもこれも、戦場で働きすぎたからに違いない。


「まったく、新人にいきなり実戦やらせるなんてブラックにも程がある!」


 前世だったら超過勤務手当を貰えるのにな! いや、ほとんど貰えなかったからめちゃくちゃ苦しかったんだけど!

 ええい、こうなったらふて寝してやる! そうだ、わざわざこんな早くに起きる必要なんてないんだ。私がこの家で一番偉いんだから私は惰眠をむさぼる権利を有しているはずだ!

 さあ、レッツ睡眠!


 その時だ、寝所の障子が激しく音を立てて開け放たれる。


「三郎様! いつ刻だと思ってるんですか!!」


 三郎側近の舞耶である。


「知らん! 私は寝る、おやすみ!」

「何を言ってるのですか、戦の祝賀会が明日の昼から南斗家の本拠で開かれるのですよ、今日の内に出なければ間に合いませぬ!」

「ええ、もう当主返上するから寝かしてくれー」

「また、何をふざけたことを!!」

「だいたい、どうして本拠まで行かなきゃいけないんだ。そんなもの勝手にやってればいいじゃないか、ウチが参加する義理なんてない。それに、あんな連中と一緒に食ってみろ、バカが伝染って二度と立てなくなるぞ。あ、仕事しなくて済むならそれもありか……」


 ブチッと舞耶の堪忍袋の緒が切れる音がした。


「つべこべ言わずさっさと支度しろ、この引きこもりの甲斐性なしがああああ!!!」






 ――拓馬家本拠、瀬野せの城。

 ここでは、三次川の戦いの報告が行われていた。

 上段の主は拓馬家当主、拓馬茂利たくましげとしである。あの拓馬光貞の甥、光信の従兄弟に当たる。歳は三十六歳、壮年ながらすでに老人のように気の抜けた印象を受ける。


「そうか、光貞殿も光信殿も討ち死になされたか。お労しい」


 戦の内容を告げた武将が頭を垂れる。


「我ら、まことに面目ございませぬ。されど、敵があのような奇術を用いてこようとは」


 そうだそうだ、と擁護する声が周囲から上がる。三郎の見せた機動用兵は常軌を逸してるように見えたのだ。

 人は理解の範疇を超えたものをまず認めようとせずに拒絶する。そうしてなかったことにしてしまうのだ。

 だから、今回の敗戦を『素人が考えた愚策がたまたま当たってしまった』つまり、運が悪かったということで流そうというのだ。

 だが、この場において一人だけ異なる思考をしていた人物がいる。


 鹿嶋長政かしまながまさ、一六歳。先年、亡くなった父に代わって拓馬家中でも最大勢力を誇る鹿島家を継いだ青年武将である。

 あの拓馬光信をも凌ぐと言われる実力に加え、都の皇族の血筋を引くとも噂される身分であった。精悍な顔立ちに切れ長の目に黒真珠の瞳を宿し、その高貴な生まれを現しているかのようだった。

 だが、長政にはおよそ表情と呼べるものがなかった。常に冷徹な眼光が、周囲を威圧していたのだ。


 ……なにが奇術だ、この低能共め。運が悪かったから負けたのではない、頭が悪かったから負けたのだ。それがわからぬから、お主たちは無能で低能なのだ。

 俺があの軍を率いていれば、このような惨敗はしなかった。いや、合戦に勝つだけではない、そのまま敵国を蹂躙し、滅亡に追い込めたものを。

 フン、それにしても――、


「一つ、よろしいか?」


 長政は報告した将に問いかけた。


「こ、これは、鹿嶋殿。なにか、お気に触るようなことでもございましたか?」


 この無能の低能めが、と悪態が口から出そうになったが、グッと堪える。


「その、奇術とやらを用いた敵将は誰か?」

「何を言うかと思えば、あのような愚策を用いる将など取るに足りませぬ」


 小馬鹿にした将であったが、思わずその笑いを引っ込めてしまった。長政が恐ろしい眼光で睨みつけていたのである。

 将は身を震えさせた。血の気が引く思いであった。


「たしか、先だって還俗して八咫家を継いだ者でして。……名前は、三郎朋弘だとか」

「八咫……三郎、朋弘」


 さて、コイツが真に優れた慧眼の持ち主であるか、それともただの無能に過ぎないか。

 八咫三郎朋弘。その実力、見させてもらう。

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