第55話 明陽川の戦い 六

 中枢部を失った拓馬軍右翼部隊は、もはや戦闘集団としての機能を失いつつあった。戦闘開始から十分を待たずして、その数を半分に討ち減らされていたのである。


「やるな、八咫。だが、それは目先の利益に囚われた無能のすることだ」


 長政は即座に指示を出した。この反応の速さ、状況判断の正確さは他の追随を許さない。


「左翼に伝達、そのまま敵陣の背後を急襲せよ」






 拓馬軍左翼部隊の動きに気付いた舞耶が叫ぶ。


「三郎様! 後ろから敵が迫ってきます!」

「うん、やっぱり早いね」


 ぺろっと三郎は舌を出した。付け焼き刃であることは三郎もわかっていたのだ。


「いかがします!? このままでは、逆に我らが挟撃されてしまいます!」

「そうだな、それはマズイ。というわけで、包囲やめ。中央部は二手に分かれて、逃げろ」


 え? と、舞耶が不思議そうな顔をする。


「後ろから来た敵を通すんだ。そのまま包囲してる敵と合流させてやれ。その時が――」






 拓馬軍左翼部隊の急襲は功を奏した。南斗軍の中央が、背後からの攻撃に耐えきれず左右に分かれていったのである。


「見たか、南斗の弱兵共め! このまま突入!」


 左翼部隊の将は、右翼部隊を救出するべくそのまま前進することを選択した。すると、そこへ前方からその右翼部隊が押し寄せてくるではないか。彼らは、自分たちを包囲していた敵が左右に分かれるのを見て、そこに活路を見出し必死の突入をしてきたのであった。

 左翼部隊と右翼部隊、共に互いに向かって前進しあい、勢い余って真正面から交錯する。あっという間に、双方入り乱れとなり、前進も後退も出来なくなってしまった。


 ――マズイ!!


 左翼部隊の将はさすがに感づいた。戦場において立ち止まるなど、格好の的でしかない。


「止まるな! 進め! 前に進むのだ!!」


 そう叫ぶ将の頭上を、数多の矢が雨のように降り注いでいた。






「今だ! 止まったところを狙い撃ちにしろ!」


 三郎の声と同時に、南斗軍の弓隊が一斉に矢を放った。この一撃は痛烈を極めた。なにせ、拓馬軍は動かぬ的となって戦場で立ち往生しているのだ。次々と矢の餌食となった。


「よし、弓隊止め! 掛かれ!」


 三郎の合図で弓が射撃を中断する。そして、混乱の極みに達した敵へ、猛然と南斗軍が襲いかかった。完全に包囲された拓馬軍は、為す術もなく打ち倒されていった。


「三郎様、このままいけば勝てますね!」

「……いや」


 三郎は思案するように頭を掻いた。

 三郎の狙いはあくまで時間稼ぎである。三郎はずっと岐洲城陥落の報を待ち続けていた。


 ……もし、アレがそれよりも先に、押し寄せたら。


 その時は、三郎は苦渋の決断をしなければならなかった。






「そうか、八咫。これがお主の狙いだったのか」


 長政は淡々として、自軍が血祭りに上げられていく様を見ていた。後退して隊列が乱れていた鉄砲隊の再編は済んだものの、このまま射撃を繰り出せば味方にも被害が出てしまう。長政の手勢では、彼らを救うことが出来なかった。


「だが、これで終わりだと思っているなら、八咫、お主もここまでの男だな」


 長政の目は、前方の戦場、そのさらに奥を見つめている。たしかに、長政の手勢は鉄砲隊のみである。だが、拓馬軍はまだ無傷の部隊が残っているのだ。

 そう、三千の別働隊が、ようやく戦場に到着したのである。啄木鳥きつつき戦法の本領は、ここからであった。


「もはや小細工はいらぬ。数で押し切る」


 包囲陣を敷き、無防備にも背後を晒している南斗軍へ、三千もの兵が襲いかかる。






「三郎様、敵の別働隊が、川を渡ってきました!」

「そうか、間に合わなかったか」


 三郎は頭を掻いた。

 これで、南斗軍と拓馬軍、双方の兵力差は逆転する。しかも、南斗軍は包囲している敵と交戦中であり、その背後は無防備なのだ。再び、不利な状況に追い込まれたことになる。


 ……岐洲城が落ちなければ、まだ戦い続ける他にない。あの別働隊を退けないと活路はないんだ。

 仕方がない、奥の手だ。


「舞耶、八咫の皆に伝えてくれ。――出番だと」

「はい!」


 舞耶が伝令を呼んで連絡事項を伝えている間に、三郎は近くにいた将に声をかけた。


日俣ひまた殿!」


 日俣行成、三次川の戦いに続いて、明洲原の戦いにおいても、混乱した軍を立て直し、粘り強く戦っていた南斗の将である。


「なんだ、八咫殿! この忙しい時に!」

「それは良かった。それでは!」

「おい、何を言って」

「私は別の用がありますので、ここはお任せします」


 三郎はすでに舞耶と共に馬上の人となっていた。


「お、おい、待て! 任せるとは、一体何事か!?」

「ああ、これでも私は日俣殿のことを評価しているんです。では、よろしく!」

「あ、ああ!? うん、え、ええええええ!?」


 怒りたいのか喜びたいのかよくわからない悲鳴を上げる。それでも、次の瞬間には兵たちに指示を繰り出していた。

 バカの巣窟である南斗家臣団の中でも、この行成はまだ戦の心得があると、三郎は見ていたのだ。もちろん、南斗秀勝は別格であるが。


 ……バカだなんだって一括りにしてちゃ、何も見えないからな。一人ひとり、別の人間なんだ、何かしらの取り柄はあるさ。


 三郎は行成にあとを託し、舞耶に馬を駆けさせた。その先に並ぶのは、八咫軍三百五十名である。

 三郎は、八咫軍を戦闘には参加させずに待機させていたのだ。後ろから来るであろう別働隊に備えて、遊軍として手元に残していたのである。


「みんな!」


 三郎は、八咫の皆に向かって叫んだ。


「……ごめん! どうも、他に手がないようなんだ。もっといい策があるのかもしれないけど、私が思いついたのはこれが精一杯だった」


 三郎は忸怩じくじたる思いで語った。この策は皆に大きな負担を強いる。それでも、三郎は勝たねばならなかった。軍を預かる総大将として、八咫家の当主として、彼らの主として。


「皆には苦労をかけるが、ここが踏ん張りどころだ、力を貸して欲しい」


 三郎の呼びかけに、兵の一人が応える。


「三郎様に思いつかないのなら、他の誰にも思いつかないですよ!」


 そうだそうだ! と、次々に声が上がる。


「三郎様の策が一番だ!」

「今までだって、間違いは一度もなかった!」

「おらぁ、三郎の殿様に、一生ついてくって決めてるだ!」


 三郎は思わず頭を掻いた。面と向かってこうも称賛されると、やはり気恥ずかしかった。側では、舞耶がニコニコと微笑んでいる。三郎は頭の下がる思いだった。


「よし、行こうか。――全軍、突撃」


 応! と、力強い声が巻き起こる。

 八咫軍総勢三百五十、迫りくる拓馬軍別働隊三千に向かって、突進を開始した!






「なあ、ずっと不思議だったんだけどさ?」


 京が傍らの秀勝に向かって問いかける。船上に仁王立ちするさまは勇ましくも艶やかだ。


「八咫軍はなんであんなに強いのさ?」

「どういう意味だ?」


 聞き返すのは、あぐらをかいた秀勝である。船は不慣れであるが、さすがは歴戦の勇士、馬にでも跨っているかのごとく落ち着き払っている。


「いやさ、あの朴念仁の殿様が相当な切れ者だってのはわかるよ。けどさ、いくら頭がよくったって、下の連中がボンクラだったらどうにもならないじゃない。だけど、八咫軍はずっと戦功を重ねてきてる。……あの強さはなんなのさ?」


 秀勝はしばらく黙った後、静かに語りだした。


「……儂は今でこそ、南斗軍最強と言われているが、つい先年までは別の名で呼ばれておった。――『双璧』とな」

「『双璧』? ってことは、アンタみたいなのがもう一人いたってこと?」

「そうだ。もう一人の名は、『八咫朋宣とものぶ』」

「八咫って、まさか」

「先代八咫家当主、現当主である八咫三郎朋弘殿の父君だ」


 へえ、と京が感嘆を込めて口にする。


「八咫家は武門の家でな、代々の当主は猛将揃いであったし、さらに武勇第一といった家風が末端の兵にまで行き渡っておるのだ。強さの秘密はそこだ」

「なるほどねえ。でも、今の殿様はとんだ軟弱者じゃない?」

「ガハハ、確かに今の八咫殿は知恵が回るばかりで、武芸はからっきしだな! ホレ、なんと言ったか」

「刀は振れないし弓は引けないし馬にも乗れない!」

「そう、それだ! 八咫殿の気質から言って、さぞかし家中では苦労したことだろうな!」


 だろうねえ、と京もニヤニヤと笑い出す。

 しかし、秀勝は目を細めた。


「……だがな、本人の武勇は置いても、あの御仁の指揮ぶりは猛将と呼ぶに相応しい。普段は飄々としていながら、ここぞとばかりに前に出るあの胆力は、まさに八咫一族の名に恥じないものだ」


 数多くの戦場を経験してきた秀勝だからこそ、三郎の指揮には舌を巻く思いであった。

 三郎の采配はまったく底が知れない。臆病にも動かないでいるのかと思えば、一気呵成に攻め立てる。しかも、その攻勢が尋常ではないのである。かと言って、攻勢で押し切るのかと思えば、さらに別の手立てを用意していたりするのだ。

 柔剛併せ持ち、それを臨機応変に使い分ける。味方として戦っていても、その戦いぶりの巧妙さには驚嘆させられていた。もし敵として戦うなら、不気味さのあまり生きた心地がしないだろう。

 今、目の前で繰り広げられている光景を見ても、秀勝はそう強く思わずにはいられなかった。


「まこと、恐ろしい御仁よ」


 秀勝は正面を見据えた。つられて、京もその視線の先を見つめる。


「そうだねえ、面白い殿様だよ」


 二人は眼前に広がる景色を見つめて、口を閉ざした。自分たちの出した結果がにわかには信じられなかったのだ。いや、あくまで三郎の指示に従ったまでだ、三郎はあの時から事あることを予見して備え、そして自らが現場にいなくともこの状況を作り出したのだ。

 秀勝はそれを恐ろしいと言い、京は面白いと言った。


「そろそろ、あっちにも報せが届く頃かな」

「ウム。さぞかし、待ちくたびれておることだろう」


 京と秀勝、二人の見つめる先には、水没した岐洲城が濁流に浮かんでいた。

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