第39話 油断をするようなバカよりは
「お帰りなさいませ、三郎様」
八咫の陣に戻ると、舞耶が出迎えてくれた。
「ああ、ただいま。……出陣は明日の朝だ、皆に休むよう伝えてくれ」
かしこまりました、と舞耶が頷くが、いつになく表情が硬い。
「どうしたんだ、舞耶? いつもの威勢がないじゃないか、まるで乙女みたいだぞ?」
「な、某は武士にごさいます!」
「それそれ、舞耶はそうしてればいいんだよ」
三郎は茶化して言ったが、舞耶が言い返してこない。どうも、らしくなかった。
「……今回の戦では、我らのほうが数は多いのですよね?」
「ああ、そうだね」
「数に勝るということは、我らが有利なのですよね?」
「うーん、まあ、一概にそうとも言い切れないけど、基本的には有利だね」
あくまで、基本だけど。
「……有利なのはわかっているのですが、有利だと思うほど、不安になってしまって」
舞耶が目を逸らしながら言う。
「その、三郎様もあまりいい顔をなさっていませんし」
あら、顔に出ていたか。
「それに、勝てるとおごっていると、また負けてしまいそうな気がして」
ああ、と三郎は気付いた。
「春の、戦かい?」
舞耶が言っているのは、あの拓馬光信によって八咫軍が大敗北を喫した春の戦のことだ。
あのとき、拓馬光信は軍を三つに分けて展開し、中央の軍を少なく見せることによって、八咫軍の突撃を誘発した。八咫軍は、一気呵成に責め立てる突撃戦法を得意としていたのだ。それは、数の少ない敵陣に対しては、抜群の効果を誇るのである。このときも、敵軍の中央突破を図ることで、勝負を決めるつもりだったのだ。
結果は、中央を突破し切る前に、三方より包囲され半数以上を討ち取られる惨敗となった。
このときの八咫軍は、たしかにおごっていた。それは、家督を相続したばかりで、初陣として参加していた舞耶も同じである。そしてこの敗北は、八咫軍を壊滅させただけでなく、舞耶にトラウマを植え付けていたようだった。
「そうです。有利であれば、悠然と構えていればいいのですけど、どうにも落ち着けなくて。……むしろ、不利であれば腹が据わるのですけどね!」
舞耶が珍しく作り笑いをする。よほど、こたえているらしかった。
そうか、と三郎は思いを馳せる。
これまで、舞耶がずっと気を張っていたのは、あの敗戦で負けたらどんな酷い目にあうか、目の当たりにしていたからだったんだな。
だから、「負けてはいけない」と、心を奮い立たせていたんだ。
「まあ、良かったんじゃないか」
三郎がそう言うと、舞耶が首を傾げた。
「油断をするようなバカよりはよっぽどマシさ。あとは、その不安を解消してやればいい」
「そんな、どうやって!」
「簡単なことさ、準備すればいい」
ハッとして舞耶が目を見開く。
「逆に言えば、不安に思うのは、自分が準備できていない、という証拠でもあるかな。だから、自分が納得するまで準備すればいい。まあ、相手があることだから、それだけでは不安を完全には拭い去れないんだけどね」
舞耶がしばらく思案する。自分の中で、咀嚼しているように見えた。
「さあて、それじゃあ私は先に寝るよー」
「えっ、ちょっと、三郎様!」
「寝るのも大切な準備の一つだからね、舞耶も早く寝るんだよ」
舞耶が瞬きを二回させてから、顔を綻ばせる。どうやら、飲み込めたようだった。
三郎様、と舞耶が呼び止める。
「この戦、勝てますか?」
うーん、と三郎は唸った。
「そうだな、仮に私が敵だったら、南斗軍を壊滅させることは出来るね」
三郎は、敵がどういった作戦を取るのか考えていた。そして、自分ならどうするか、と。
……ああしてこうして引きずり込んで、こっちでこうやれば、簡単に出来るんだよな。
そんな大それたことを、とは思う。だが、
「鹿島、長政か……」
岐崎湊で出会った、あの陽キャ。あれが、京の言うように鹿島長政で、拓馬家の武将で、もし今回の戦の指揮を取っているのなら、あるいは……。
三郎が我に返ると、舞耶が心配そうにこちらを見つめている。
「まあ、大丈夫さ。私のこの案には、致命的な欠陥があるからね」
「? なんですか?」
「私が南斗軍にいると、成立しないんだ。なにせ、私だったらこの案を看破してしまうからね」
なるほど、と舞耶は笑った。
「さて、敵はどう考えるかな……」
やっこさんは、私のことを認識しているだろうか。……『三郎』か。そうか、あれは、私のことだったのかもな。
拓馬家の本拠、瀬野城。その城下に、一際大きい武家屋敷がある。
主の名は、鹿島長政。
「フン、そうか。あの小汚い狐も、役に立つではないか」
長政は家臣から報告を聞いていた。
南斗軍が岐洲城に集結し、明日にも拓馬領に侵攻するというのだ。だが、長政に特に焦りも不安もなかった。なにせ、すべて長政の策略通りなのだから。
懸念事項があるとすれば、ただ一つ。
「敵軍の中に、八咫三郎朋弘はいるか?」
「ハッ、左様に聞いております」
ククク、と喉を鳴らして長政は笑った。
……来るか、八咫! 岐崎湊ではしくじったが、今度は逃さん。お主のような危険な男は、間違いなく排除する。容赦はせぬ、確実に、お主を仕留める。
「手筈通りだ、ぬかるな」
ハッ、と家臣が頭を下げる。だが、すぐに立とうとしない。長政はそれを咎めた。
「どうした、行け」
「ハッ、……その、よろしかったのでしょうか?」
「なにがだ」
長政は苛立った。要領を得ない話は、長政のもっとも唾棄すべきものだった。それは、無能の行いに他ならなかった。
「いえ、なんでもありません! 失礼致します!」
慌てて家臣は引き下がった。長政の言葉尻には有無を言わせないものがあった。
おずおずと退出し、離れた控えの間へと向かう。そこに、同僚たちが待機していた。
「皆の衆、長政様は手筈通りにとのことである。よしなに」
それを聞いた一同が立ち上がる。すでに、詳細な指示は事前に出ていた。あとは、それに従って粛々と行動するのみである。
それにしても、と一人が声を上げる。
「長政様は冷酷なお方にございますな」
うんうん、と皆が頷く。
「ああ、まったくだ。この瀬野城までの他の城や砦を破却なさるとは」
「しかし、これで敵はこちらの思うがまま。袋の中のネズミも同然よ」
「いやはや、我らは長政様の配下で良かった。あのお方に、勝てるはずがないからな」
一同は肩を竦めて見合わせた。
翌朝、南斗軍は岐洲城を進発した。その数、一万と五百。
それは、南斗家と拓馬家の抗争が始まって以来、最初の拓馬領への侵攻だった。
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