第49話 負けるつもりはないけどね

 鹿嶋長政は軍に休息を取らせていた。

 もともと秀勝が陣を張っていた小高い丘である。すぐに南斗軍本隊を攻めなかったのは、連戦による兵の消耗を避けるため、別働隊との連携を図るため、そして岐洲城を抑えている限り南斗軍に逃げ場がないためであった。


 ……能代城を枕に討ち果てると言うなら、それもよし。足掻いて逃げると言うならそれもよし。いずれにせよ、お主らは俺の手の内だ。


 長政が床几に座って思索していたそこへ、伝令が駆け込んでくる。


「申し上げます! 敵が西へ移動を始めました!」

「そうか、そちらを選ぶというのだな」


 さすが無能よ、わざわざ醜態を晒すほうを選ぶとはな。もっとも、潔いなどという軽薄な名誉のために選択を誤ることと比べれば、足掻くほうが生物らしくはあるがな。


「それから、奇妙な噂が流れております!」

「奇妙だと」


 長政は眉をひそめた。そういう類のものは当てにならないのだ。


「捨て置け」

「は、いえ、しかし」

「なんだ」


 長政は苛立った。伝令がいよいよ畏まる。


「その、敵の総大将が逃亡したとの噂が」


 フン、やはり無能は無能でしかないのか。それで奴ら、一斉に逃げ出したということか。哀れな。やはり、俺が救ってやるしかない、死をもってな。


「代わりの大将として、八咫と申す者が率いていると――」

「なに!?」


 長政は思わず立ち上がった。


「なんと言った」

「は……?」

「今、なんと言った!!」


 長政は伝令を掴み起こして揺さぶった。


「な、長政様!?」

「八咫だと!! あの八咫が、率いていると言うのか!!」

「て、敵の逃亡兵が、そのように申しております!」


 長政は乱暴に手を離した。


 あの薄汚い狐め、しくじりおった!! あのような矮小な輩に任せたのが間違いであった。所詮は小賢しい浅知恵しか回らぬのだ、やはり無能に生きる価値などないわ。


 長政は激しく歯ぎしりした。だが、すでに思考はこの先のことに切り替わっている。


 ……八咫が率いているとなれば、こちらの戦略はすべて筒抜けと考えて良い。いや、そう考えておかねば、こちらが手痛い敗北を喫することになる……!


「敵が向かったのは西だと申したな?」

「ハッ、左様にございます!」


 ならば、奴らの行き先はあそこしかあるまい。明陽川のあの丘だ。


「よかろう、奴らが明陽川を死地と定めるなら、それに応じてやる。別働隊に使いを出せ、一度軍を引けとな」

「はあ、しかし、敵は移動を始めております、その途中を襲えば楽に勝てるのでは?」

「そのようなことが通じる相手ではない」


 長政は天賦の才を持った戦略家である。だからこそ、ここは慎重に対処するべきだと判断した。

 長政の戦略構想に三郎が大将となるシナリオはなかったのだ。前提条件が変わったのに、戦略を見直さずに継続するのは愚の骨頂である。


「八咫! 明日だ、明日は容赦をせぬ。その首、必ずや討ち果たしてくれよう」






 本隊と別れた南斗秀勝は、先鋒軍の生き残りの内、五百を率いて沿岸へと向かった。大戸水軍と合流するためである。

 そこで、秀勝は妖艶な美女と会うことになる。


「ふうん、アンタたちを乗せて、岐洲城を一緒に攻略しろって?」


 京が秀勝を舐めるように見回す。


「そうだ、これが八咫殿の書状だ」


 受け取った京が、髪をかきあげて書状に目を通す。所作がいちいち艶めかしい。京のだらしなくはだけた胸元に多くの視線が集まる。戦で気が昂ぶっている時に、この豊満な肉体は毒以外の何物でもなかった。

 だが、秀勝は京の顔から目を離さなかった。あの三郎が信頼するこのおんな海賊が、どのような人物であるかまだ計りかねていた。


「あの殿様も、人使いが荒いねえ」


 そう言いながら、京が書状を畳む。そして、ふと秀勝の視線に気付いた。


「なんだい、アタシが信用できないって顔だね」

「さてな。儂はまだ、貴殿の行いを見ておらんのでな」


 すると、京が笑い出した。


「アッハッハ……! 貴殿だなんて、よしてくれよ。アンタ、見かけ通りかたっ苦しいね!」

「なに?」


 その顔、と言ってまた笑い出す。


「とりあえず、乗りなよ。信用出来ないってんなら、ちゃんと行動で示してやるからさ。それが嫌なら、歩いて行くんだね」


 京の背後に並ぶ大戸の衆がニヤニヤと笑みを浮かべる。腰に手を当てて正対する京も含めて、彼らから己の実力に対する自信が伺えた。


 ……さすが、あの八咫殿が信ずるだけのことはある。


「いや、よい。よろしくお頼み申す」


 秀勝は頭を下げた。京が何度か瞬きしたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。


「任しときな! 大戸水軍が誇りにかけてでも、アンタたちを送り届けてやるよ」






 その夜、日もとっくに暮れた夜中になって、ようやく三郎は一息ついていた。それまで、竹薮の刈り取りや柵などの陣地造営、陣構えの指示などで、ずっと休まる暇がなかったのである。


「だー、もう働きたくない。有給を要求するー」


 三郎は臨時に設けた小屋の中で、地に身を投げだした。そこへ、舞耶が入ってくる。


「三郎様?」

「なんだい、まだ何かあるのかい?」

「あ、いえ、すべて終わりましたので」

「そいつはよかった」


 三郎は完全に地に突っ伏している。それを見て、舞耶は笑った。


「なんだ、見世物じゃないんだぞ」

「申し訳ございません。……お疲れ様でございました」


 言いながら、舞耶が傍らに座る。


「いや、それを言うのはまだ早いよ」


 まだ、準備をしただけである。本番は明日だ。

 三郎には敵が夜襲を仕掛けてこないという読みがあった。なにせ、敵は五百丁もの鉄砲を有しているからこそ、優位に立っているのである。

 夜戦に置いては鉄砲を集中運用して用いることは難しい。視界の効かない闇の中では、銃撃の対象が判別できないのだ。夜戦は斬り込みによる奇襲だからこそ効果を発揮するのであり、鉄砲の使用は不向きであった。

 わざわざ、自分が持っている優位性を捨ててまで、長政が夜戦を仕掛けてくることはないだろう。少なくとも、自分なら夜戦はしない。そう三郎は判断していた。そして、やっこさんも同様に考えるだろうとも。

 そう言う点では、三郎は長政を信頼をしていた。バカの味方よりも、優秀な敵を信頼するなど、奇妙な話ではある。だが、だからこそ、


 ……侮れない。本当に、厄介な相手だ。


 考えに耽った三郎を見て、舞耶が神妙な面持ちで言う。


「三郎様。その、ご迷惑ではありませんでしたか?」

「うん、どうして?」

「三郎様は、大将になるなど、望んでおられなかったと思うので。また某は出しゃばった真似をしたのではないかと」

「まったくだよ! 本当は寺で一生のんびり過ごす予定だったのに、あれよあれよという間に五千もの部下が出来てしまった。実に嘆かわしい!」


 三郎は身体を起こした。


「……まあでも、舞耶が救けてくれなかったら、私は今頃、能代城のあの地下牢で朽ちていた。それだけじゃあない、南斗軍や、八咫のみんなだって、死んでいたかもしれない。これは舞耶が救ってくれたんだ。ありがとう、礼を言うよ」


 はい、と舞耶が笑顔になる。三郎も頷いた。


「……ただ、明日は本当に勝てるかはわからない」


 え? と、舞耶が驚く。


「これまでの戦で勝ってこれたのは、敵がバカで、そこに付け入る隙きがあったからなんだ。やっこさんはバカじゃない。果たして、勝てるかどうか……」

「三郎様……」

「もちろん、私だって負けるつもりはないけどね。ただ、勝てる保証はない」


 ……鹿島長政。織田信長に匹敵する男。この世界における『英雄』。

 私にあるのは二周分の歴史の知識ぐらいだ。果たして、それで太刀打ち出来るものか。……いや、そうじゃないか。結局、最後を分けるのは、何がしたいかなんだ。私は――。


 すると、舞耶が三郎に向き直って言った。


「三郎様なら、大丈夫です」

「おいおい、何を根拠に」

「三郎様は、皆を守るために、誰よりも準備をしておられました。ここにいる誰よりも。それは……、あの頃の三郎お兄様と、何もお変わりありませんでしたから」


 舞耶が微笑む。それは、三郎に十年前を思い起こさせた。

 あの頃、三郎が書を読み耽っていると、「お外に行きましょう!」と、しつこく手を引いてきた、幼い姫君のあの笑顔を。


「ですから、三郎様は大丈夫です! 何かあれば某が守って差し上げ」

「舞耶」


 三郎は呼びざま、舞耶を抱き寄せた。


「ちょえっ!? さ、三郎様!?」

「私はいつも舞耶に助けられてばかりだ。舞耶がいてくれて助かる。……ありがとう」

「そ、某は家臣として当然のことをしたまでですから!」

「そうだな。それでも感謝するよ。本当にありがとう」


 三郎は自身が完璧な人間ではないことを自覚していた。出世欲も金銭欲もなく、あるのは知識欲だけ。なのに、皆を守りたいだなんてだいそれたことを願っている。

 そんな矛盾した不出来な人間なのだと、自嘲しながらも認識していた。

 その矛盾を舞耶はわかってくれる。単なる部下ではない、幼なじみの、信頼する側近として。

 それが、三郎にはとても心地良かった。


「これからもよろしく頼む」

「あ、あの、三郎様……」

「舞耶がいなくちゃ、困るんだ」

「で、ですから、その!」

「なんだ? なにか不満があるなら言ってくれ」

「ちょっと、あの、いい加減に!!」


 不思議に思った三郎が舞耶から離れると、そこには耳まで真っ赤にして目を回し口をぱくぱくさせた一人の乙女がいた。


「舞耶、どうした! もしかして熱か!? それは困る! 舞耶に乗せてもらわないと私は馬に乗れないんだぞ!!」

「ええい、うるさい!!」


 三郎は舞耶に突き飛ばされた。


「おい、舞耶!」

「心配なさらずとも、どこなりと連れ回して差し上げます!! おやすみなさいませ!!」


 火照った頬を手で押さえながら舞耶が外に駆け出していく。


「一体どうしたんだ? やっぱり日頃の鬱憤でも溜まってたのかな? 仕方ない、帰ったら資料の整理でもするかな……」


 この朴念仁にとって、舞耶はあくまで部下で幼なじみで側近であった。

 それがまた、舞耶の頭痛のタネとなっていたとは、三郎は知る由もない。






 かくして、天寧二十年十一月十日の夜は過ぎていった。

 決戦は、翌十一月十一日である。

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