第27話
倭国使・小野妹子が退いてのち、同じ場所に今度は朱寛がひざまずいていた。
隋帝国の首都、大興城(長安)の宮殿である。
こちらは傍からも分かるほどに震えている。
「で、一万の兵を預けられて、戦果がこの布甲一枚ということか」
「い、いえ、住民の慰撫、隋歴の頒布、すべて滞りなく……」
確かに戦闘行為を禁じたのは自分である。
そもそも琉球などという島国に用はない。
高句麗征伐、それが本命だ。
父、文帝もなしえなかった偉業。
百万の民を動員し、運河を掘削させているのも、そのためである。
民の怨嗟の声など一笑に付し、黄河と淮水を結ぶ通済渠、続いて黄河と天津を結ぶ永済渠、そして長江から杭州へと至る江南河が造られ、総延長は2500キロメートルを越える。
監督官の話しでは、完成は再来年(610年)になるとのことだ。
だがそこに気になる風聞が入ってきた。
高句麗が海をはさんで倭国と結んでいるという。
もともと不倶戴天の敵であるはずだが、隋という超大国の誕生を機に、対応を迫られているという。
倭国からの使者が来ているタイミングを見計らって、琉球に兵を出したのも、恫喝が目的だった。
そしてそれは、蘇因高(小野妹子)という倭人にも、十分すぎるほど伝わったはずだ。
朱寛は任務を全うしたに過ぎない。
だが、この苛立ちはなんだ。
命じられたことを、命じられた範囲内でしかこなさない。
楊広のもっとも嫌うタイプの人材だ。
――下がれ。おって沙汰いたす。
命じようとした時、朱寛の首に揺れるものに気付いた。
「なんだ、それは」
「――は?」
絶対君主の視線をたどり、朱寛は襟元に手をやる。
部下の一人が献上してきたものだ。
正確にいうと、その部下から無理やり召し上げたのだが、純金製の十字の首飾りである。
何を意味するのかは分からないが、高価そうなのでちょろまかしていた。
まさかそれが見つかるとは――
皇帝はしかし、それを怒る風でもなく、ツカツカと近づいてくると、やおら猿臂をのばし、ブチリと鎖ごと引きちぎって目の前にかざしてみせる。
「いや、あの、それは、その……」
「もうよい、下がれ」
何か因縁でもあるのか、十字架に目を奪われ、朱寛のことなどすでに頭にないようだった。
暴君の気が変わらぬうちにと、そそくさと退散する朱寛だった。
楊広が首飾りをたもとにしまうと、続いてまかり出てきたのは、何蛮だった。
恐れる気配もなく、玉前にかしこまる。
「お前か」
楊広が一代の英傑なら、この男もあるいはそうであったろう。
江南の水軍を率いて、さんざん悩ましてくれた。
不運なのは、自分と同じ時代に生まれてきたこと――
そう考えると、楊広もそれほど悪い気分にはならない。
楊広は玉座にふんぞりかえり、無言のまま話しを促す。
「琉球への、陛下御自らの出兵を進言いたします」
いきなり短刀で突いてくるかのような口ぶり。
だが楊効は、その簡潔さが嫌いではない。
やや間をおいて、
「それほどの価値があるとは思えんがな。秦の始皇帝がどうだとか、不老長寿の薬がどうだとか、そんな話しならば、もう聞かんぞ」
「では、倭国の“位置”についてはどうでしょう」
「なに」
「後漢書などにある倭国の位置関係、あれはやはり誤りでございました。――
「ではどこにあるというのだ」
この時代、中国では日本列島はよほど南の方へ偏っていると考えられていた。
邪馬台国論争がいまだ決着を見ないのは、それが理由である。
「韓半島のすぐ目と鼻の先でございます。海峡を挟んで、互いの国が目視できるとか」
「つまり、高麗を牽制するのに、うってつけということか」
楊広が考えていたのは、むしろ逆のことだった。
隋が高麗を攻めている間に、同盟をくんだ倭国の軍が江南のあたりに出没するのではないかと、危惧していたのだ。
それゆえの、恫喝を意味しての琉球出兵だった。
それがずっと北の方、むしろ隋とで、高句麗を挟み込むような位置にあるのだとすれば、地政学上の意味合いがかわってくる。
何蛮が追い打ちをかけるように言う。
「かの三国志の時代、呉の孫権が、夷州・亶州なる海上の国を、二人の部下に探らせたのも、あるいは北方の魏を挟み撃ちにする狙いがあったのやも――」
そこまで言えば、この男も理解するだろう。
倭国の価値、というものを。
楊広は沈思するようだった。
もう一押しか、何蛮は確信する。
「琉球の島々は、その倭国へ、ひとつなぎの数珠のように連なっております。そのうちのいくつかは、おそらく火山によって形成されたものでしょう、高木がなく、一面草原によっておおわれた島もございました。無論まわりはすべて海でございますから、塩の入手に困ることはございません」
――海で閉ざされた草原、そして塩……
楊広はギロリと何蛮を睨む。
北方の騎馬民族出身だけに、その二つの意味するものが分かる。
駿馬の育成には、塩が何より欠かせない。
秦の始皇帝による天下統一にあたって、西域の岩塩地帯で育った馬が、その原動力になったともいわれる。
塩といえば確かに海だが、海で馬を育てるなど、今の今まで考えたことすらなかった。
のちの時代になるが、人類史上最大の版図を誇ったモンゴル帝国は、朝鮮半島も支配下に置いたが、直接そこを治めることなく、韓国人に任せる方式をとった。
そのなかにあって、火山島である済州島だけは、皇帝の直営化に置き、島を丸ごと馬の飼育地として利用した。
何蛮の言うのは、それを数百年も先取りする策であった。
楊広は呵々と笑う。
かつて何度も歯向かってきた目の前の男。
配下に収めたとはいえ、心から信用することはないだろう。
だが――使える。
「よかろう、しかし、我が親征の儀については、言質はまだ与えられぬ」
楊広はいたずら小僧のように笑う。
「何蛮、倭国への道をつけてみよ。二年、いや、一年、お前が、お前の配下の水軍を自由に使うのを許してやる」
「は、はっ」
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