第53話

 蒼空がどこまでも広がっている。

 海原も、空を映したかのように穏やかで、目地の限りに凪いでいる。

 風すらも絶え、一羽の海鳥が羽ばたくのに疲れたのか、キョトキョトと止まり木を探す。


 格好の枝があった。

 海に木とはおかしいが、はたしてそれは船の帆桁だった。

 すうっと着枝し、一声鳴くと、海鳥はさして興味もないように甲板を見下ろす。

 海鳥は首をかしげる。

 こうした船につきものの、男くさい騒々しさがなかった。

 どころかシンと静まり返っているではないか。


 水夫がいないわけではない。

 いるのだが、それらは揃って片方の船縁に寄り、何かを待つように固唾をのんでいるらしい。

 海鳥はもう一度首を傾げ、周囲を見回すと、不思議な情景が広がっていた。

 大小さまざまな二十数艘ほどの船が、数珠つなぎに一列に並んでいるのだ。

 それがゆるりとした曲線を描いているので、結果直径50メートルほどの円となっていた。


 陽に焼けた水夫たちが厳粛な儀式に臨むように視線を送っているのは、その円の内側だった。

 そこにはさらに不可思議な光景が現出している。

 集った船はすべて、内側の舷側に、縄を結わいつけている。

 さらにその縄は、ある“もの”と結び付けられていた。


 現代人ならば、それを直径50メートルの巨大トランポリンと形容しただろう。

 縄はまず大量の海驢アシカの皮で出来た敷布と結ばれている。

 その海驢アシカの皮の上に、今度は菅の畳が掛けられ、さらにその上にきぬの畳が敷かれている。

 海上に現れた円形の絨毯。


 これはいったい何なのか。

 だが人ならぬ身の海鳥は、すぐさま興味を失ったようだった。

 一通りの羽づくろいを終えると、飛び立っていく。

「んで、これは結局なんなんだ?」

 かわりに疑問を発したのは、裴洋だった。


 周りに、護やつぶらといった面々があるのを見ると、どうやらこの船はシコメ水軍のものらしい。

「“海鎮め”の儀式じゃよ」

 護が説明してやるが、裴洋は不得要領顔だ。

 母国を棄て、倭で成り上がると宣言した裴洋、もうすっかり馴染んでいるような気配だった。

「だからその儀式の内容を聞いてんだよ。っつたく」

「若、焦りは禁物ですぞ。郷に入っては郷に従え、とあるではありませんか」

「分かってるよ、うっせえな」


 裴洋はぼやきつつ、船団でかたち作られた円の中央部に目をやる。

 海驢あしかの皮、菅、そしてきぬを三重に重ねてつくられた絨毯の上に、ポツンと小さな人影がのっている。

 ハルだった。


「あの小娘が、スサノオって海の神と結婚するんだな?」

「そうだ」

「って云われてもなぁ」

 裴洋はポリポリと頭を掻く。

「君子、怪力乱神を語らず、が俺の座右の銘なんだがな」

 とはいっても、骨を埋めると覚悟した倭国だ。

 風習、宗教、その他について、知っているに越したことはない。

 敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。


「スサノオってのは、どんな奴なんだ?」

「なんだ、そんなことも知らねーのか」

 あざけるように云ったのは、つぶらだった。

「スサノオ様ってのはな、あれだ、でっけえたこみたいなお方だ」

たこか?」

「んだ。大海を統べる大蛸」


「蛸と人間の娘が夫婦になって、どうする?」

「ばっきゃろう!」

 圓が裴洋の頭をぽかりと殴る。

「男女が夫婦になって、やることといったら、ひとつだろう! くんずほぐれつだ!」

「………スサノオってのは、蛸なんだよな」

「蛸だ。八本の足がある、大蛸」


「組んず解れつ、なのか?」

「んだ。――組んず、そして、解れつ、だ」

 圓は確信をもって云う。

「あの娘、十歳かそこらだよな」

 海底奥深くから、巨大な蛸があらわれ、衆人環視のなか、その8本の触手を熟しきらぬ少女の肢体にからませ――

 裴洋の脳裏によからぬ妄想がよぎり、慌てて頭を振る。

「なんか、色々ダメな気がするぞ」


 と、裴洋たちとは対角線上にある小舟で、騒動が起こった。

 一人の水夫が突如立ち上がり、船縁を乗り越え、海に浮かぶ絨毯の上に飛び移ったのだ。

「危ねえだろ! なにしてやがる!」

 笠で顔を隠した水夫は、ずいぶんと背が低かった。

 まるで子供のようだ。


「おい、お前!」

 水夫は同僚の声を無視して駆けだす。

 拍子に、笠が風に飛んでいく。

 笠の下からあらわれたのは、コイチだった。

「ハル!」

 

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