第9話
で、コイチはというと、いまだ悪戦苦闘の最中だった。
手を使い、足を使って島への帰還をはかるが、なぜか島影は遠ざかる一方。
コイチはようやく気付く。
船はとある潮流に乗り入れていたのだ。
「ど、どうしよう。これってもしかして……」
コイチの脳裏に祖父の言葉がよみがえる。
コイチを筆頭に村の子供たちを集め、祖父は口を酸っぱくして説教するのだ。
――よいか、黒瀬っちゅう潮にだけは近づいちゃいかん! 乗ったら最後、世界の果てまでもつれていかれるぞ」
真っ白い骨になって、眼が三つもある人間や、角の生えた化け物の住む島にまで流されていくんじゃ。
コイチにその時の恐怖がよみがえる。
船を囲む海水は、確かにいつもより黒みを帯びている気がする。
「そ、そうだ。こんなときこそ船魂さまに……」
コイチは帆柱の脇に設けられた祭壇に手を突っ込む。
「あ、あれ? でも、どの神様にお祈りすればいいんだっけ?」
☆ ☆ ☆
砂浜に陣取る隋軍の兵長の足元には、うず高い山が出来上がっていた。
島民がこれはと思った宝物を献上しているのだ。
だが意思の疎通が不十分だったのか、その大半はガラクタのように見えた。
兵長の表情は険しいままだ。
と、胡人兵が三人がかりで巨大な壺を運んできた。
「へへ、こいつら、こんなの隠してやがりましたぜ」
ずしんと置かれた壺には、銭が山と詰め込まれている。
兵長は無造作にそれに手を突っ込むと、
「明刀銭、五銖銭、貨泉、五鉄銭――、思ったとおりだ。まぁ、こんな小せぇ島じゃこれくらいが精一杯か。しかたねぇが、大奮発してやる」
兵長はひときわ大きな紙切れを取り出した。
「『免死符・全島民用』。本軍が来たら、これを差し出すがよい。殺されずに済む。――たぶんな」
一通りの略奪が終わった後も、兵士たちはみなニヤニヤと笑っている。
何かを待ち望んでいる様子だ。
兵長が宣言する。
「よし、次は別のお宝だ。女だ!」
待ってました、と兵士たちのあいだから歓声が上がる。
人間狩りが始まった。
☆ ☆ ☆
ハァ、ハァ――
若い女が海岸線を逃げていく。
突然のことだったので、裸足のままだ。
振り返ると、劣情に眼をぎらつかせた隋兵がひとり、ゆっくりと追いかけてくる。
足裏の皮が破けるのにも構わず、ゴツゴツした岩場をかけていく。
「待ちなよ、お嬢ちゃん。へへ。楽しいことしようぜ」
女は海蝕洞を見つけた。
そこへ逃げ込む。
バチャバチャと海水を跳ね上げ、奥へ進むと、行き止まりだった。
ハッと振り返ると、隋兵が出入り口をふさいでいる。
「どうした、逃げるのはおしまいか」
バシャリと10センチほどの海水を踏んで、侵入してくる。
女はどん詰まりの、一段高くなった岩によじ登った。
「なんだ、寝台がわりってか」
女は観念したようにそこに横座りになり、じっと兵士を見つめる。
「なんだ、やけに物分かりがいいじゃねーか。南国の女は肌も開放的だが、そっちの方もあけっぴろげか?」
隋兵は涎をたらさんばかりになっている。
女は何を思ったか上着を一枚みずから脱ぎだした。
あっけにとられて隋兵が一歩距離を詰めると、それには首を横に振る。
「なんだ?」
女は隋兵の方を指差す。
「へへ、俺も脱げってか?」
身振りで言葉を理解したのか、今度は首を縦に振る。
「ウヘヘヘヘ、役得ってやつだ。辺境に派遣されるのも悪くないな」
言いながら、兵士はいそいそとズボンをぬぎだした。
「たっぷり可愛がってやるぜ。――!」
すね毛もあらわに、だいぶみっともない格好となりつつ、女のもとへ近寄ろうとした時、隋兵の身体が硬直した。
足元を見る。
おのれの足首に海蛇が噛みついていた。
はっと辺りを見回すと、それは一匹二匹といった数ではない。
ここは海蛇の巣なのだ。それも有毒の。
「く、くそ、小娘。わざと、ここに……」
兵士の顔はみるみるうちに真っ青になっていく。
ついには口から泡を吐いて、倒れてしまった。
「チクショウ」
もはや女と遊んでいる場合ではない。
毒の効力がどの程度かは分からないが、一刻もはやく隊の元へ戻るのが賢明だ。
隋兵は痙攣する四肢をなんとかうごかして、洞窟の外へと向かう。
そこへ、ひときわ巨大な海蛇がするすると近寄ってきた。
蛇は兵士の喉に噛みつくと、その身を起こしにかかる。
兵士は、ズルズルと持ち上げられた。
頭が上がり、胴体が上がり、ついには両足が地面から離れた。
「ぐっ、は……」
毒と窒息によって、朦朧とする意識の中で、兵士はその蛇が、本物の蛇ではなく、鱗文様の入れ墨を隙間なく彫り込んだ男の腕だと知る。
「
九死に一生を得た女が見たのは、四人組の男たちだった。
「しかし、こいつ、ここいらじゃみねぇ格好ですね。クモミズさん」
「何者ですかね」
「大方、大陸の兵だろう」
クモミズは言って、隋兵を投げ捨てる。
それを片手で、いとも簡単にやってしまうのだから、すさまじいまでの膂力だが、見た目もそれに相応して厳めしかった。
両腕にはびっしりと三角形の鱗の入れ墨。
目元にも鋭い目つきを強調させるように筋が入っている。
身長も180センチをゆうに越しているだろう。
「嫌な予感がするな」
「おい、小娘、何か知ってるのか?」
「大変だ!」
クモミズの仲間らしい二人組が洞窟に駆け込んでくるなり、叫ぶ
「浜が異国の軍隊に襲われてる! 相当な数だ! 百は下らねーぜ!」
「チッ、俺の悪い予感はたいてい当たるんだ」
「その割にはうれしそうですぜ」
「お前ら、ついてこい。久しぶりに暴れられるぜ」
「クモミズさん、まさか丸腰で行くんですか?」
仲間の一人が死んだ隋兵の剣をクモミズに放ってよこす。
それを受け取ると、駆け込んできた二人組の片方に、
「ウサミ、お前は船に俺の得物を取りに戻れ」
「へい」
返事をすると、もう一人がおずおずといった体で口を開く。
「あ、あの、このこと、イサフシさんには……」
「なんだ、俺だけじゃ、力不足だってのか」
すごまれて男はうつむく。
「いえ、そういうわけでは」
フン、と鼻を鳴らして、クモミズと残り三人は集落の方へと駆けて行った。
残された二人がつぶやく。
「おっかないなぁ、クモミズさんは」
「な、なぁ、やっぱりイサフシさんにも知らせておいた方がいいよなぁ」
「うーん」
「でも、どこにいるんだ? あの人」
「さぁ、また遊んでんじゃないか、鯨とでも」
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