第8話

 基本的にその島民の誰も、漢字を読むことができなかった。

『免死符』という禍々しい文字面を見せられても、島民はきょとんとするばかり。

 が、それも織り込み済みだといわんばかりに、兵長は幾人かの配下に顎をしゃくってみせる。

 しばし、無言劇が繰り広げられた。


 兵士が手頃な島民の男を槍で脅し、中央に連れてくる。

 次いでもう一人。

 都合ふたりが、隋兵と島民のあいだに立たされる格好となった。

 四方から槍を突き付けられ、哀れな生け贄は、意味も分からず全身を震えさせている。


 兵長が近寄ると、その片方だけに満面の笑みを見せつつ、『免死符』を握らせる。

 兵長が何事か告げると、裴洋が通訳する。

「免死符を持つものと、持たざるもの、それが何を意味するか、よく見ておけ」


 言い終わるがはやいか、兵長は今までの笑みを引っ込め、ギラリと腰の刀を抜き放つと、一刀のもとに『免死符を持っていない方』を斬り殺した。

 島民たちの間に悲鳴が巻き起こる。

 男は肩口から胸のあたりまで袈裟に切り裂かれ、血煙を噴いて倒れた。


『免死符を持った方』は血糊を浴びながら全身をがくがくと震わせている。

 兵長は血に濡れた剣を構え直し、そちらにも向ける。

 振り下ろすかと思われた瞬間、その剣をぴたりと止めると、わざとらしいまでに男が握りしめる『免死符』に気づいたふりをする。

 そしてその肩を叩き、握手までし始めた。


 握手した格好のまま、漢語でまくしたてる。

『死んだこの男を見よ。本軍が来襲すればこの程度ではすまん。いかんせん獰猛な者たちばかりゆえな。だが見よ――』

 兵長は免死符を握った島民の右手を無理やりに挙げさせると、

『――この免死符を持っていさえすれば、命ばかりは助けてもらえる』

 裴洋に通訳させ、その意味が島民たちの間に行き渡るのを確認すると、兵長は懐から『免死符』の束を取り出した。

『だが無論タダではない。死にたくなければ、贖うべし! 家一番の宝物、村一番の宝物を、この俺のもとまで持って来い! ウハハ!』


 いかに理不尽でも、相手が軍事力という現実的脅威を手にしている以上、従わざるを得ない。

 島民たちは悲鳴を上げつつ、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの家に走っていった。


               ☆  ☆  ☆


「胡人兵め」

 そうした陸上での出来事を、冷ややかな目で見つめている集団があった。

 沖合の軍艦に居残った兵士たちである。

 その瞳に宿る感情は、到底同僚に向けるものではなかった。

 上陸した兵とは軍装まで異なっている。


『胡人兵』と蔑むからには、上陸した兵たちは中国大陸の北方に起源をもつ騎馬民族系の兵士なのだろう。

 事実、隋帝国を作り上げたのは非漢族の鮮卑である。

 一方船に残った水夫たちは半裸に近い軽装をしている。

 彼らは大陸南方の江南地方にルーツを持つ。

 南船北馬の言葉にある通り、この軍は、江南人が船を操り、騎馬民族が主要な軍事力をなしているらしい。


「いいんですか? 何蛮かばんさま」

 言ったのは、水夫の中でも特殊な出で立ちをした男だった。

 目を引くのが頭部を丸ごと覆った布。

 幾重にも白布を頭に巻き、開口部は目の部分しかない。

 そこからのぞく皮膚もどす黒く変色しており、あるいは皮膚が崩れる業病を患っているのかもしれない。

 似たような格好の男は他にも幾人かいた。


 一方の何蛮はというと漁網で作った寝台(つまりはハンモック)で、日向ぼっこよろしく寝そべっている。

「好きにさせとけ」

 男は覆面の奥でため息をつく。

「ですけど、こんな辺鄙な島に、お宝なんてあるんですか? 貨幣の概念があるかすら怪しいもんじゃないですか」


 何蛮はフフンと笑うと、

「貨、財、貴、買、貯……、全部に貝の字が入ってるだろう」

「そういやぁ」

「かつてはな、貝殻が貨幣だったんだ」

「へー、案外学がおありなんですね、何蛮さまって」


「案外、は余計だ。――海巴かいゆう(宝貝、子安貝)といって、俺の故郷じゃ現役だぜ。んで、その海巴は、身近なところでは手に入らなかったからこそ、貨幣として通用したんだ。じゃあ、その貝の供給地はどこだったと思う?」

 何蛮の謎かけの答えを察すると、覆面の男は足元に広がる海を見やる。

 海底にひしめく貝殻を想像すると、

「じゃあ、俺、大金持ちっすね」


               ☆  ☆  ☆


「どうしても逆らうというわけじゃな、外国人トツクニビトよ」

 イザヤの無言を、断固たる意思表示と解すると、シコメは配下の一人を呼ばわる。

ツラヌク!」

「お任せを」

 進み出てきたのは、鋭い目つきをした男だった。

 手にした槍を隆々としごいてみせる。


「それ以上近づくな。わたしもむやみに人を傷つけたくない」

「言うねぇ」

 いまだ丸腰のままのイザヤに、ツラヌクは余裕をもって槍を腰に構える。

「素手で戦う気か? これで最後だ。その娘をこちらに引き渡せ」

「イザヤさん!」

 ハルがたまらず声を上げる。

 武器すら持たず、あまり荒事に向いていなさそうなイザヤである。

 自分がシコメの下から逃げ出したりしなかったら――

「心配するなと言ったろう。わたしには右腕の秘密の武器があるのを忘れたか?」


「何をごちゃごちゃとっ!」

 ツラヌクが砂を蹴った。

 鋭い槍の穂先がイザヤを狙う。


 イザヤは右腕を振った。

 その瞬間、ツラヌクは絶叫を上げてのけぞった。

「うわぁーっ、眼が、眼が!」

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