第7話

 状況が全く分からないものの、相手の醸し出す雰囲気からして友好的なものではないようだ。

 咄嗟にそこまで判断して、イザヤはハルをおのれの背後にかくまった。

「〈例の話し〉か?」

 ハルが小刻みに震えているのが、背中から伝わってくる。

「嫌なんだな」

「………」


 相手は14、5人。

 巨躯の女をのぞけば、他はほぼすべて壮年の男だ。

 そしてそのうち6人ほどは槍を携えている。

 万が一、武力沙汰になったら――

 イザヤはおのれの右袖をさする。

 ――コイチは何をやってるんだ。


 集団は女を中心にして闊歩してくる。

 まるで鳥の群れか、あるいは一つの有機体であるかのように、完璧なまでに統制のとれた動き方だった。


 イザヤと一定の距離をとって立ち止まった。

ツコウ!」

 ダブダブと脂肪ののった喉を震わせ女が命じると、すかさず一脚の組み立て式椅子が用意される。

 無論それは女の体重に耐えられるものだ。

 それに腰掛けると、

ソナウ!」

 今度は別の男が枇榔製の巨大なウチワを取り出し、女を扇ぎだす。


 ただ一人の肥満女を、何時いかなる時も快適に過ごさせること、それがこの集団の至上命題であるようだった。

 多少、気勢が削がれた格好のイザヤだったが、危機的な状況は変わらない。

「何者だ」

 努めて冷静に言う。

「無礼な、貴様。この海でシコメさまを知らぬのか!」

 男の一人が言うと、シコメと呼ばれた巨女が余裕綽々に制する。

「まぁまぁ、サカシよ、落ち着け。この者の顔貌をよく見てみよ。外国人トツクニビトであろうが。ワラワのことを知らぬでも、しょうがないわ」

「さ、さすがシコメさま。お目が鋭い」

「フフフ」


「それで、シコメとやら、わたしたちに何か用か」

「用かじゃと? 人のものを盗んでおいてようもほざいたわ」

「なんのことだ」

「ハルよ。その皮被りの娘。それはワラワの所有物じゃぞ」

 シコメが言うと、その隣が定位置とばかりに陣取る小男が言い募る。

「おおかた人攫いが逃げる途中で難破でもしたのでしょう。これぞ天罰」

 サカシ――いかにも小知恵の利きそうな顔立ちをしているが、背丈はといえばコイチと同じくらいしかない。それに中年男の頭が乗っているのだ。


「ほれ、返しや。さすれば命くらいは助けて進ぜよう」

 イザヤがはっと振り返ると、ハルが足を踏み出そうとしていた。

 このままだとイザヤに迷惑がかかる、そう思っての行動なのは、震える唇を強く嚙んでいるのでわかった。

 イザヤはそれをとどめると、

「心配するなといっただろう」


「どうした。ん? ワラワの館で育てられた恩を忘れたか。みなし児のそなたを、それこそ掌中の珠のごとくいつくしんできたのじゃぞ。それもこれも今日こんにちがため。お国のためじゃ」

「断る、と言ったら、どうなる」

 予想外の言葉だったのか、一瞬きょとんしたシコメは、ついで顔中をゆがませ哄笑してみせる。

「力づくで奪い返すまでじゃ」


 一方その頃コイチは、絶望に立ち尽くしていた。

 帆は天幕にするために取り外しており、櫂も砂浜に置きっぱなしだ。

 つまりは動力源のない船なのだ。

「ドウヂヨウ」


              ☆  ☆  ☆


 琉球諸島のなかの、とある島。

 サンゴ礁に縁どられた海岸線にいくつかの集落が点在している。

 平和そのものといったその世界に、突如闖入者が現れた。

 最初水平線上の黒い染みかと思われたそれは、やがて巨大化していき、ついにはその威容を海上にあらわにした。

 島民のつかう刳り船とは比較にならないくらいの巨大船。

 船体に描かれた文様や、海風にはためく旗を見ると、それが大陸は隋の戦艦であることがわかる。

 が、島民たちにそんなことが分かるはずもなく、浜辺はにわかな混乱に陥った。

 男たちは急いで浜に上がり、女子供も漁具の手入れをやめ、三々五々と集まってくる。


 戦艦は目的地はあきらかにこの島だった。

 船べりに並ぶ男たちの表情を表現するには、獲物を見つけた肉食動物、というのがぴったりかもしれない。


 戸惑う島民たちの前に、重武装の一団が上陸した。

 色とりどりの房を天頂に飾った兜、虎を象った肩当、龍がうねる鎧。

 そして鉄製の鉾、剣、弓矢。

 南国の太陽をギラギラと反射するそれは、いままでこの島民が見たことすらないものだった。


「な、なんじゃ、おぬしら」

 島長しまおさである老人がやっとのことでそう言った。

 逃げるにはもう遅く、また狭い島で隠れる場所など最初からない。

 上陸したのは一部の兵士にすぎないが、これだけでもここを制圧するに十分な数だった。


 怯える島長の前に、ひときわ豪奢な甲冑をまとった兵長らしき50がらみの男が進み出てくる。

 その男が背後に振り返り、漢語で呼ばわると、もう一人、20歳くらいの優男風の兵士も出てきた。

 傲岸不遜な兵長と違って、こちらはいかにも面倒くさげだ。


 ざわめく島民たちを、兵長は右腕を上げることで制し、何事か述べ始める。

 無論それは漢語である。

 何を言っているか全く伝わらない。

 兵長が述べ終ると、ついで優男が口を開く。

 それは(だいぶ訛りがあるものの)歴とした日本語だった(ついでにいうと、字間にはさまれる、エーだか、オーだかといった言葉や、くだけまくった文面は、すべてこの優男の性格に発するものである。優男は名を裴洋ハイ・ヨウといった)


「えー、我らは隋帝国のものである!」

「ん-で、なんだったっけ、そうだ。喜ぶべし。これら辺境の島々、つまり、琉球国は、オレらが、じゃなかった、我らが皇帝陛下の領土とあいなる予定である」

「予定というか、決定ね。承服しがたいことがあってもー、うん、めんどくせーから以下省略。――んで、要点を述べると、領土拡張には兵事がつきものである、ってこと。正式なる領土占有は、きたる来年、もしかしたら再来年、あるいは三年後の、正規水軍の征討によってなされるものであーる」

「ここまでわかった? わかったら手ぇー挙げて」


 人をくった態度とはまさにこのことだろう。

 特徴的なくっきりとした二重瞼をやや半眼にし、裴洋は滔々とまくし立てる。


「で、ですよ、島夷とういのみなさん。軍事行動にはえてして不確定要素が入り込むもの。古今東西、不変の法則。つまりは無意味な虐殺とか、そういう系ね」

「よって、先遣隊である我らは考えた。いかにして無意味なる流血を防ぐか、を」

「そこで、これだ」


 と裴洋にかわって兵長がグイと進み出、一枚の紙きれを指し示す。

 それには墨痕鮮やかにこう書かれている。

『免死符』

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