第13話

 ハリネズミと化した陣形に、クモミズは臆する様子もなく、するすると無造作に近づいていく。

 その手には、洞窟で隋兵の死体から奪った剣が一本、握られているのみだ。


「ビビるな、しょせん相手は竹槍しか知らぬ未開の蛮族よ――」

「**‘~~‘??‘*‘*?」

 部下を鼓舞する兵長に、クモミズがなにやら声をかけるが、異国語の言葉など兵長の耳には届かない。


「北の入り江に船溜まりがあったはず。そこまで行くぞ」

 兵長が進行方向に気を配りつつ指示を出し、視線を元に戻すと、目の前にクモミズの巨体があった。

「!!」

 虚を突かれたのは、槍を構える兵士も同様だった。

 まさか一人で突っ込んでくるとは――


 クモミズは、正面の二人の槍を両脇に抱え込むと、腕の力だけで兵士ごと持ち上げた。

 鰹の一本釣りでもするように、二人の隋兵をそのまま背後へ投げ捨てると、円陣への進入路を確保する。

宇文うぶん様!」

 一人の隋兵がいち早く反応した。

 円陣を構成する左手前方のその兵は、兵長を守るべく、とっさに槍の石突きを後ろ手のままクモミズに繰り出した。


 クモミズはそれを首をひねっただけでかわす。

 間髪入れず、入れ墨に覆われた右腕を、蛇のように槍にまとわりつかせる。


「背を借りる!」

 隋兵にしても、それは捨て技だったようで、ためらいなく槍を手放すと、隣の同僚の背を蹴って、腰の剣を抜刀し、クモミズに襲い掛かる。


 クモミズは右手で槍をしっかりと握りこむと、筋肉を膨張させた。

 螺旋状に絡んでいた槍と腕。

 負けたのは槍だった。

 粉みじんに折れくだける。


 腕の筋肉の膨張力だけで槍を折る――およそ人間業とは思われなかったが、一番驚いたのは兵長だった。

 奇襲され、部下の一人が反撃したものの、その槍が目の前数センチで圧し折られた。

 破片が飛んできて、思わず兵長は目を閉じてしまった。


 反撃を試みた兵士はというと、すでに空中である。

 後ろ手に槍を繰り出したのはあくまでフェイント。

 はなから有効な攻撃になるとは思っていなかったが、まさか折られるとは想像もしていなかった。

 といって、今さら止められない。

 全体重の乗った一撃を、クモミズに見舞う。

「うぉぉぉ!」

 その攻撃は、クモミズの剣によってあっさりと阻まれた。


 左手にした剣でその斬撃を受け止めると、クモミズは、圧し折ったばかりの槍の、ささくれだった断面を相手の喉にぶち込む。

「グヘァワ」

 気管支ごと潰されたことをしめす、くぐもった断末魔。

 勢いあまって、そのままのしかかってきた隋兵を、フンヌと押しやる。


 兵長が次に目を開けて見たのは、身体ごと吹っ飛んでくる部下の背中だった。

 もみ合うようにして倒れる。

「く、くそ!」

 顔面に覆いかぶさるようにして、喉から槍を生やして痙攣する部下の胴体が乗っかる。

 動転して、それを何とか押しのけ、頭をあげると、地上に立っているのはクモミズただ一人だった。


 わずか数瞬、その間に、円陣を組んでいたすべての部下が殺されていた。

 全身朱に染まったクモミズが近づいてき、兵長の頭をつかむと、

「もういいかと訊いたんだ。――それとも、早かったか?」

「貴様、漢語を……」

「悪かったな。これでも、ちったぁ、学があるんだ」

 己の最後を悟りつつも、兵長は血笑する。

「我を殺しただけで終わりだと思うなよ。いずれ帝国百万の軍がこの海に殺到するのだ。泣いても、喚いても、貴様らは根絶やしにされる」

「そうかい。楽しみなことだな」

 クモミズは兵長の喉を掻き切った。


「あ~ぁ、一人で全員倒しちまった」

「出たよ、クモミズさんの、ムコウミズ」

 感嘆の声を上げるのは、クモミズの配下たちである。

 洞窟からここまで、俊足のクモミズに置いて行かれ、今ようやく現場にたどり着いたのだ。

 着いてみるとすべてが終わっていた。

「見ろよ、船のやつらも逃げていくぞ」

「違うな、どうやら仲間割れを起こしたようだ。撃退したわけではない」

「ってことは、また襲ってくる余裕があるってことか?」

「久しぶりの大戦おおいくさになりそうだな」

「なに、こっちにクモミズさんがいれば百人力だ。それに、もっと強えぇイサフシさんだっている」


               ☆  ☆  ☆


「チクショウ、一体、どうなってやがんだ」

 木の陰から、クモミズの無双っぷりを見ていたのは、裴洋である。

 “絶域に通じたる家柄”として、幼いころから倭語を習得させられていた裴洋は、今回の遠征に欠かせない存在であった。


「これは、あきらかに何蛮どのの謀反ですぞ。若」

 指摘するのは、裴洋に影のように付き従う“爺”である。

 名門裴家に仕える白髪瘦身の執事――は、この状況にあっても、あくまで冷静なようだ。

「“若”はよせ。――っつたく、特別任務といえば聞こえはいいが、つまりはこそこそと嗅ぎまわるだけの犬じゃねーか」

「雌伏の時でございますぞ。さいわいにも、子龍しりゅうさまにお目をかけていただき、こうして重要な任務を仰せつかったのです」

「雌伏ったってな、死んじまったら、元も子もねーだろ」


 海岸では、略奪・凌辱のため本隊とは別の場所にいた隋兵がひとり、島民たちに引き立てられ、首を落とされていた。

 十数人はいるはずの残りの兵も、こうして個別に狩り出され、殺されるしかない。


「クソッ、この裴洋さまは、いずれ主人公になる男だぞ。こんなところで死んでたまるか。――爺、なんとか船を確保して、子龍さんのとこへ行くぞ!」

 裴洋は密林を手探りで進んでいく。

 裴洋自身、武芸はあまり得意ではなく、武器は背中に背負った最新式の“弩”だけである。

 威力はすさまじいが、連射が利かないという弱点がある。

 なるべく島民に出くわさないように動かなければならない。


「おい、そこのお前!」

 そう思っていたらさっそく見つかってしまった。

 しかも運の悪いことに、あのでたらめに強かった入れ墨の男の仲間のようである。

 数は3。


「うわー、し、知らねぇ、俺、なんも知らねーんだ」

 裴洋は慌てふためくあまり、よく分からないことを口走る。

 主人公を自称するにしては、かなり無様な振る舞いである。

「てめぇ、大陸の兵だろ」

「違う!」

「嘘こけ、大陸のやつの格好をしてるだろ!」


「本当だ! よく考えろ、倭語をしゃべってるだろ! 俺、あいつらに別の島で拉致されてたんだ」

「そういやそうだな。言葉が通じる。だいぶ訛りが強いが」

 芸が身を助けるとはまさにこのことだろう。

 裴洋の嘘を、三人はあっさり信じたようだった。


「じゃあ、なんでそんな恰好をしてるんだ」

「奪ったんだよ、あいつらに酷い目にあわされたから。売ればいい値段になる」

 裴洋がそう言うと、三人は目の色を変える。

 隋兵の甲冑は、確かに価値がありそうだ。

「いいことを教えてやる。向こうに二人組の隋兵が隠れてた、早い者勝ちだぞ」

 裴洋のその言葉に、三人はすっ飛んでいった。


「ふへー、危なかった」

「見事な誑かしでございましたな、若」

「うるへー」

 自称“主人公”である裴洋の多難は続く。

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